惜しむらくは、そのエナジー

※ 本作品は、二〇二四年春イベント『男ばかりは花ざかり』さんの、胸がときめくセリフ『悪い子にはお仕置きしないとな(相澤消太)』を拝借しました。開催おめでとうございます!

 

 

「すまん、意味が分からん」

 

 意を決して全てを余すことなく披露した私を、そんなはっきりと切り捨てないで欲しい。

 狭いワンルーム。

 一人暮らしの私の部屋へと初めて踏み入った、お付き合いを始めたばかりの彼──相澤さんの第一声はそこそこに酷いものだった。

 

「その、なかなか理解されない趣味だとは思ってるんです。ただどうしても止められなくて……」

「いつからだ」

「えっと、三年ほど前からでしょうか」

「あ?」

 

 三年前ならもう知り合ってんだろうが、と嫌味を隠しもせず彼は溜め息を吐き捨てる。そうなんですけど、ともごもごする私を他所に、彼はシェルフの上に飾られた一等可愛いそれを手に取った。

 その瞬間、私の中の熱いものが火を吹く。

 

「さすがご本人! それは私が初めて満足いく形に仕上げたイレイザーヘッド初号機でして特に捕縛布の生地にこだわって作ってるんです! 三年前ご本人を前にして初めて腰に付いているフラップの素材と形状を知ることができたので、もう私感動しちゃって! これは絶対に死ぬまでになんとか再現したいと思ってそこからは迸る魂のままにフィギュア製作に打ち込んでおりました! 最初はネット上で公開されている情報を元に製作してみたのですがどうしても実物からは程遠くヒーローの強靭な肉体を再現するには限界がありまして私なりに試行錯誤を重ねた結果やはり一度解剖学を学んでおくべきだと意識を改め美大出身の友人に頼み込んでからは──」

「もういい、わかった」

「あ、はい」

 

 そりゃあ、なかなか理解できないだろう。なにせ付き合ったばかりの彼女の部屋には自分を模したフィギュアやらぬいぐるみやら絵画やらが飾られていて、居住スペースを逼迫するほどなのだから。もしかしたら相澤さんが戦慄するほどの恐怖を与えてしまったかもしれない。いや、多分与えてしまった。

 

「つまりお前は知り合う前から俺のこと知ってたってことか?」

「はい。大学生の頃にヴィランから助けて頂いたことがあって」

「ああ、そういや、そんな事言ってたな……すまん、覚えてない」

「いいんですそんなの! 気にしないでください! 私はイレイザーヘッドに出逢えただけで十分なんですから!」

「…………」

 

 じとりと怪訝な目を向けられたが、私はにっこりと笑顔を返した。

 

「あー、つまり、どれくらいになるんだ。その、俺のことを追いかけて」

「かれこれ七年ほどでしょうか」

「……長いな」

「はい。これでも一途なんです、私」

「ああ、見りゃ分かるよ」

 

 おかげさまで二十代の殆どをイレイザーヘッドに捧げてきた、と言っても過言ではない。

 大学二年生の時に運命の出逢いを果たしてからは、私の人生はガラリと変わってしまった。

 

 まずはネット社会の情報網を駆使して【イレイザーヘッド同好会】を立ち上げたところから全ては始まる。なにせ戦をするにはまず情報が要る。敵を知り己を知れば百戦して殆うからずだ。

 とはいえ、情報収集の手間はさほど深刻でもなかった。いくらアングラで活動しているとはいえ、全国津々浦々には彼に救われた人々がある一定数居るわけで、ネット上では「あの無精髭の素敵な男性は誰⁉︎」「わたしの気怠げな王子様は何処⁉︎」「メディアに露出しないのなぁぜなぁぜ?」とそれなりに界隈を賑わせていたので、そこに便乗したまでである。

 しばらくは鳴羽田を中心とした目撃情報が大半を占めていたが、ある年を境にその姿はパッタリと鳴りを潜めてしまった。俗に言う〝イレイザーヘッド・イレイザー事件〟である。

 殉職されたのではないかとの声が囁かれ、誰もが哀悼の涙を流す中、諦めの悪い私は血眼になって情報を嗅ぎ回った。そうして掴んだのだ──彼が雄英高校で教鞭を執っているらしい、という情報を。

 そこからは説明するまでもないだろう。雄英高校に事務員として就職し、今に至る。

 しかし誠に遺憾ではあるが、世の人はこれをストーカーと呼ぶので詳細は伏せている。

 

「んじゃ、なんですぐに話しかけて来なかったんだ」

「話し掛けるなんてそんな滅相もない! 推し様は遠くから愛でるだけで十分なのです!」

「推し様、ねえ……」

「はいッ!」

「つーかお前はその〝推し様〟の彼女になったワケだが、そこに関してはどう思ってんだ」

「え、あ……そ、そこに関しては、大変ありがたいことで……でもその、同士を裏切る行為でもありますし、立場は十分に弁えたいとは考えております」

「ふーん」

「それと、その、人生を推し活に捧げて来た故に恋愛には少々疎くてですね……正直なところ、男女が付き合うとはどういうものなのかあまり情報がなく」

「ほう、そうか。だから俺に隠れて他の男と頻繁に連絡を取り合っていた、と」

 

 彼の眼光がきらりと光って批難の色を宿した。そうだった。すっかり忘れていたが、彼がこの家に来たのには理由があるのだ。

 

「いえ、本当に違うんです! 前にも説明しましたがその人は同好会の方で、」

「そんな同好会に男がいる訳ねえだろうが」

「いえ! いらっしゃるんですよ、本当に!」

「この期に及んで嘘をつくとはいい度胸だな」

 

 ジリジリと壁際に追い詰められ、私は逃げ場をなくした。しかし弁明しようにも事実を申し上げているのだから、これ以上申し開きのしようがない。

 自衛のためにも言っておこう。

 私が運営する同好会では彼が雄英教師に着任して以降、その活動範囲の縮小ゆえか、会員数は減少の一途を辿っている。そのため残った会員はいわば百戦錬磨の武将たちであり、はたまた同志であり、私のかけがえのない友人たちなのだ。その内の一人である男性と頻繁に連絡を取り合っていたことがバレて、身の潔白を証明するために、今この家に彼を招いている次第である。

 

「深くは訊かん。とりあえずその男の連絡先を消せ。今回だけは見逃してやる」

「ええええ! それだけはどうかご勘弁を!」

「あ゙?」

「ひぇ……」

 

 相澤さんが、まるで一緒に魂も漏れ出ていきそうなほどに大きく嘆息した。

 

「俺も別に普通の友人ならとやかく言わないよ。……だがな、男との〝スリーサイズ談義〟はおかしいだろ、どう考えても」

「それはっ、わたし自身に筋肉がないためにコスチュームの上からでは筋肉量を推し測ることが難しく、できればスリーサイズの推察には男性の意見を取り入れたいとの思いで──」

「おい待て……まさかあれは、俺のスリーサイズの話だったのか?」

「もちろんです! それ以外に何を語るのですか!」

「やめろ。今すぐやめろ。俺のスリーサイズを他の男との猥談に使うな!」

「猥談だなんてとんでもない! 純粋な筋肉談義でございます!」

「あと、なんでその男がキャットフード持ち歩いていることを知ってる。ストーカーの域超えてんだろうが」

「いえ、誠に恐縮ながらイレイザーヘッドの猫好きは界隈でも周知の事実でして……」

 

 相澤さんはどこか観念したように目元を揉んで、大きな溜め息をついた。もうこの部屋に招き入れてから何度目だろうか。彼は自分のプライバシー流出に酷く気を揉んでいる。

 しかし、こればかりはどうしようもないのだ。情報社会とはそういうもので、SNSの発達した現代においてヒーローとはいついかなる時も好奇の対象なのである。

 

「それにしても、だ」

「はい」

「スマホ出せ」

「……ひぇ」

「早く出せ」

 

 私はしぶしぶスマホを取り出し、ロックを解除して手渡した。彼は自分の所有物のようにスルスルと操作して、その画面を私に突きつける。

 

「これ、完全に黒だろうが」

 

 そこには件の男性──AM.Jr との個人的なメッセージが表示されていた。画面には『貴重な情報提供ありがとうございます。お礼はぜひそちらのカフェでお願いします』とある。送信者は男性だ。

 

「えっと、その……」

「会ってたんだな、この男と」

「会ったと言いますか、その、同行したと言いましょうか」

「同行?」

「はい。聖地巡礼にご一緒したまでで……」

「どういう意味だ」

「イレイザーヘッドが愛用しているという猫カフェに、私どうしても行ってみたくて、あとそのカフェにはとても希少な──」

「猫カフェだと……? なぜ俺を誘わない。別の男と行く理由がないだろ」

「だってご本人がいらっしゃったら正しく巡礼できないじゃないですか。意識が散ってしまいます!」

「できないじゃないですか、じゃねぇんだよ。結局隠れてそいつと逢瀬を重ねてたんだろうが」

「逢瀬だなんてそんな! 私はただ情報交換を!」

「相手は何処のどいつだ。AM.Jr なんて、完全にオールマイトのファンじゃねえか。俺の同好会に潜り込んだだけのとんだ食わせものだろ。しかもこのアイコン……多古場海浜公園か。この男、近くに住んでるな」

「それに関しては、その、本当に、彼の立場にも関わりますのでどうか──」

「隠し通せると思ってんのか」

「そ、そんなことは、決して」

「もういい」

「うぅ……」

 

 相澤さんがわたしの手首を掴んだ。軋むほどの強さに思わず胸がきゅんとして、ああ、これがイレイザーヘッドの握力ぅ──と隠れて悶絶していると、彼はどしどしと部屋の奥へと進んでいく。

 ベッドの上で仲良く並んでいるイレイザーぬいファースト(抱き枕用)とセカンド(添い寝用)を無惨に押し除けて、ボンッと私をそこに押し倒した。

 

「ああ! ぬいちゃん達が!」

「もういい、分かった。お前には口頭指導よりも実技指導が向いているらしい」

「え、指導……?」

「ああ、悪い子にはお仕置きしないとな」

 

 私はその後、時間の許す限り彼の胸部・腹部・臀部のサイズを教え込まれ、目視も憚られるほどの崇高な筋肉を余す事なくご披露いただいたのである。

 

 


 

 

「よォー、消ちゃん。週末はどうだったよ」

「……うるせえ」

「Oh, poor you.  その調子だとうまくいかなかったワケね」

「そういう次元じゃなかった」

「どゆこと? 部屋には行ったんだろ?」

「まあ」

「まさか何もしねぇで帰った訳ねェよなあ? 堕とすのにあんだけ手間かけといてよ」

 

 その言葉に睨みで返すも、マイクのしたり顔はいつになくどこ吹く風だ。こいつの設けた飲みの席で彼女と知り合えたと思っていた手前、今までは甘んじて情報を流していたが、あの部屋を見てから感謝の心も消え失せた。

 

「はあ……強いて言えば、緑谷みたいな部屋だった」

「what’s?」

 

 俺は事の次第をマイクに話した。最初は楽しげに聞いていたあいつの顔も、順を追うごとに青くなっていき、終いには憐みの言葉に変わる。

 

 結局、彼女が寝てる間に男の連絡先を抹消しておいたが、効果があるかは定かではない。本気で浮気を疑っている訳ではないが、度々二人で会っているようだし、なにしろ相手にまで好意が無いとも限らない。苦労して手に入れた彼女に対して、そう易々と付け入る隙を与えるのはこちらとて不本意だ。今後、二の舞になるようならその男の方に一度ガツンと言ってやらねばなるまい。

 

 ──俺の女に手を出すな、と。

 

「……マージで緑谷みたいな彼女だな、オイ」

「え、僕がどうかしましたか?」

「うぉ、……お前いつからそこにいた」

「つい今し方ですけど……それより今先生方がお話しされてた方って、もしかして雄英の事務員さんのことですか?」

 

 突如、不穏な空気が漂う。小さな予感が芽を出した。

 

「おい、なんで生徒のお前が事務員のことを知ってる」

「あ、僕、実は彼女とは入学前からの知り合いでして」

「……なに?」

 

 マイクと視線が絡む。

 恐ろしい予感がすーっと背筋を撫でていった。

 

「でもあの、知り合いと言いますか、同志と言いますか……彼女とはネット上で知り合ったんですけど。あッ! 決して如何わしい関係ではなくてですね! よく一緒にヒーローについて議論を交わしているんです。彼女、すごいんですよ! 特にヒーローの肉体美については造詣が深くて、先日もコスチュームの上からスリーサイズを推し計るにはどの筋肉に注目すればいいかという熱い議論を交わしたばかりでして、相澤先生を例に出して色々と教えてくださったんです! ああ、そういえば相澤先生は猫好きでしたよね? 学校近くの猫カフェはご存知ですか? あそこにはオールマイトが渡米する前に書いたとされる貴重なサイン色紙が飾られてて、僕どうしてもそれをこの目で見たくて同志である彼女にお願いして──」

 

「「お前か!」」

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