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五十五、いざ、林間合宿へ

「先生、お隣いいですか?」
 
 わたしがそう尋ねると相澤先生は、なんでここに座る、とでも言いたげに眉を顰めた。
 
「あいつらと座ればいいだろ」
 
 そう言われてバスの中を見渡すけれど、四列シートにはクラスメイトが隙間なくきれいに収まっている。どこにも空いた席はない。
 
「このクラス二十一人なんです」
「知ってる」
「奇数なんです」
「それがどうした」
「隣がいません」
「だからなんだ」
「……さみしいです」
「はあ……好きにしろ」
 
 そこは補助シート出せばいいだろとは言わないんだな、と先生の優しさに笑顔を返した。
 
「失礼します」
 
 林間合宿に向かうバスの中、先生に詰めてもらったシートの隣に翼を押し込んで座る。
 がたいのいい先生と翼の大きなわたしとではバスのシートはちょっぴり狭い。いや、かなり狭い。けれど、ひとりで寂しく座るよりはずっとマシだ。
 
 寂しいというのなら、それこそ補助シートを出して女の子たちの隣に座れば済む話なのだけど、座席を一望したときに、なんとなく先生の隣を選んでしまった。
 別に、深い意味はない。ただ、最近は先生との距離が前よりも少し近く感じていて、それがなぜかひどく嬉しいのだ。本当は一番後ろのシートが空いているけれど、秘密にしておこう。
 収まった翼が先生の左半身に触れている。バスが動き始めた。
 
「お前ら!一時間後に一回バスを停車させる。その後しばらくは──」
 
 ガヤガヤとうるさいバスの中は、みんなの騒ぎ声に溢れて先生の掛け声を掻き消す。隣から、はあ、とため息がきこえた。
 
「まあいいか。ワイワイできるのも今の内だけだ」
「そんなに過酷なんですか? 今回の合宿」
「まあな」
「それじゃあ、わたしお昼寝しとこうかな」
「……お前、マジでなんでここに座った」
 
 もちろん、ここに座った理由ならもう一つある。
 体を丸めて縮こまり、翼越しに先生の肩にちょんと頭を傾けた。
 
「おい」
「すぅ〜、すぅ〜」
「邪魔だ」
 
 ぱっと肩を引かれて、乗せていた頭が空振る。
 
「うわ、ひどい。そんな邪険にしないでくださいよ。わたし昨日お兄ちゃんと鍛錬してとっても疲れてるんです。ちょっと肩かりるくらいいいじゃないですか」
 
 昨日、いつものごとく突然やってきた兄は、しばらく我が家に滞在した後、怒りに満ちた笑顔でわたしを公安の訓練施設へと連れ立った。
 本当は一緒に美味しいものを食べにいくつもりだったんだろうけど、家のベランダにあるものを見つけてから、まんまと機嫌を損ねてしまったのだ。
 
「アイツ、またこっちに来てたのか」
 
 手元の資料に目を通しながらも、先生はなんだかんだ会話を続けてくれる。いつもは厳しいくせに、こういうところは優しいなと思う。
 
「はい、自分の手を離れた妹が心配なんですよ。それがちょっとだけ過剰なんです」
「相変わらずだな」
「ベランダに干してた水着を見つけて、誰と行ったんだってうるさくて。説明するのに苦労しました」
「それは自業自得だろ」
 
 自業自得って。まあ、確かに先生を説得したのはわたしなんだけど。
 
『これ、何?』
『なにって、水着だよ』
『……やけん、なんで水着が干してあると?』
『雄英で遠泳訓練に行ったの』
『ハハッ、こんな愛らしい水着で?』
『うん』
『へえ〜……』
 
 その後はどんどん詰問が厳しくなっていって、最終的に鍛錬場に連れて行かれた始末だ。別に、遊びに行ったわけじゃないのに。
 でも、いつもより不貞腐れた様子のお兄ちゃんが、ちょっぴり可愛いなと思ったのも事実で。もしかしたら子離れできない親ってこんな感じなのかもしれない。
 
「過保護な兄を持つと大変です」
 
 口ではそう言いつつも、わたしの顔が綻んでいることをたぶん先生は気づいている。
 
「そうか……幸せ者だな」
 
 そう小さく呟いた先生の隣は、やっぱりお日様のにおいがして心地いい。
 
 
 
 それからしばらくして、バスは何もない休憩所らしき場所に停車した。都会から切り離された景色が目に優しく、森に囲まれた空気はおいしい。
 
 みんなでバスから降りて凝り固まった体を伸ばしていると、近くに停まっていた黒い車から、猫のような格好をした女性がふたりと幼い男の子が現れた。
 相澤先生が頭を下げる。
 女性らの風貌からして、おそらくヒーローだろう。
 
「煌めく眼でロックオン!」
「キュートにキャットにスティンガー!」
「「ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ!!」」
「今回お世話になるプロヒーロー〝プッシーキャッツ〟のみなさんだ」
 
 華々しいご登場にパチパチと拍手を送っていると、緑谷くんが饒舌に彼女らの解説をはじめた。
 さすがヒーローマニア。どうやら彼女たちは山岳救助を得意とするベテランのプロヒーローらしい。
 
「お前ら、挨拶しろ」
「「「よろしくお願いします!!!」」」
「ここら一帯は私たちの所有地なんだけどね。あんたらの宿泊施設はあの山のふもとね」
「「遠っ!!!」」
 
 指さされた先は森に囲まれていた。その宿泊施設とやらが見えず、ザワザワとみんなの不安が募りはじめる。まさか。
 
「今は午前九時三十分。早ければ〜、十二時前後かしら?」
「ダメだ! 戻ろう!」
 
 切島くんの掛け声を皮切りに、みんながダッシュでバスに戻りはじめた。が、時すでに遅しだった。
 
「十二時半までかかったキティはお昼抜きね〜!」
「悪いが諸君。合宿はもう始まってる」
 
 次の瞬間、突然地面の土が盛り上がり、みんながガードレールの外へと投げ出された。
 
「きゃっ!」
 
 反射で空へと舞い上がったが、頭からどっさり土を浴びたせいでせっかく洗ってきた白いシャツが台無しだ。なにこれ、ひどい。嘘でしょ?
 
「私有地につき個性の使用は自由だよ! 今から三時間、自分の足で施設までおいでませ〜! この魔獣の森を抜けて!」
 
 え、魔獣の森──?
 
 そう言われて上から見下ろすと、人間より数十倍も大きな魔獣が森の中を闊歩していて、ああ、なるほどと思った。ちょうど峰田くんが襲われている。
 助けに行こうとした瞬間、バスの方から声がかかった。
 
「おい苗字。お前もちゃんと戦えよ」
「ええ、ひどい! わたしそんな薄情じゃないですよ」
 
 今だって、助けに行こうとしてたのに。
 意地悪な先生にべーっと舌を出して、みんなの後を追いかける。途中で空飛ぶ魔獣が見えてターゲットを切り替えた。
 
 っとまあ、あの時は強気に返したけれど──。
 午後五時二十分。宿泊施設に着く頃にはなんでひとりで飛んでいかなかったんだろうとひどく後悔するほどには疲労困憊していたのだった。


 ポイポイと服を脱いで一目散に大浴場へと駆けてゆく三奈ちゃんの後ろで、わたしの手は一向に進みが悪い。
 理由は明白だ。
 誰かと一緒にお風呂に入るなんていう初めての行為に、少しばかし緊張しているのだ。いや、少しじゃない。さっきからずっと心臓がうるさい。
 
 みんなは気にしてないのか、ホイホイと汚れた制服を脱ぎ捨てて籠に入れていく。それを横目で覗き見るようにチラチラと確認しながら、こちらはようやくブラウスとスカートを脱ぎ終わったところだった。
 
「名前」
「ひぇっ! え、あっ、なに? 響香」
「名前さ、女子の着替えに一人だけ混じった男子みたくなってる」
「えっ!? う、うそ」
「ウチも裸の付き合いは恥ずかしいなって思ってたけどさ、名前見たらなんか笑えてきちゃったよ」
「うぇ、ひどい……」
 
 前をタオルで隠しながら、響香がクスクスとわたしを笑った。
 よく見たら他のみんなはもう全部脱ぎ終わっていて、わたしのことを微笑ましい表情で見守っている。
 
「だって友達とお風呂入るのとか初めてで……恥ずかしいんだもん」
 
 下着姿でもじもじしていると、梅雨ちゃんが近づいてきた。
 
「名前ちゃん、気にすることないわ。とってもすてきな身体よ」
「つ、梅雨ちゃん。そう言われると余計に脱ぎづらいよ……」
「ケロ?」
 
 翼で体を覆うと、今度は透ちゃんの笑い声が近くで響いた。背後から透明の身体ががムギュッと巻きつく。
 
「わっ! と、透ちゃんっ?」
「恥ずかしがり屋さんは〜、こうだっ!」
 
 パチン、とブラジャーのホックが外された。
 
「きゃあっ!」
 
 背中から腕らしきものが回り込んで、同時にむにゅっと柔らかい何かが背中に当たる。
 結局わたしはみんなに囲まれながら、あっという間に一糸まとわぬ姿に剥かれてしまったのだった。
 
 
 
「ふは〜、きもちぃ〜」
「最高や〜」
 
 限界まで頑張った後の温泉って、なんて最高なんだろう。
 硫黄がほのかに香る湯気の中、お茶子ちゃんの隣で温泉に浸かっていると、近くの木に停まっているカラスが「カー」と鳴いた。
 なにやらさっきから、男子側の浴場がうるさい。
 
「どうしたんやろ。なんかあったんかな?」
 
 突然、どこかのカラスから〝キケン!〟とテレパスが届いた。まさか、と瞬時にお湯の中へと肩を沈める。
 すると次の瞬間、浴場を隔てる壁の上にぴょこんと男の子の頭が現れた。その子が何かを叩き落とした姿が見えて、すーっと背筋が冷える。
 
「え、もしかして」
「やっぱり峰田ちゃんサンテーね」
 
 梅雨ちゃんが静かにボヤく中、三奈ちゃんが大声で叫んだ。
 
「ありがと、洸汰くーん!」
 
 前々から注意してはいたが、まさかここまでとは。
 ありえない! あの性欲の権化め!
 
──カーッ! カーッ! カーッ!
 
 カラスたちがわたしを追い立てている。
 
──うん、いいよ。やっちゃって。
 
──カーッ! カーッ! カーッ! カーッ! カーッ! カーッ!
 
 わたしの合図をきっかけに、一匹のカラスが大声で鳴きはじめた。その鳴き声に誘われるように、夜空に黒い影たちが集まりはじめる。
 それらが男子の浴場の上空をゆっくりと覆ってゆく。すぐに壁の向こうが騒がしくなった。
 
「ッざけんな、クソカラス!!」
「苗字くん! これはとばっちりだ!!」
 
 爆豪くんからの罵倒と委員長からの抗議の声が聞こえたが、そっと右から左へと流した。
 
「……もう、知らないんだから」
 
 お湯の中に、ぽちゃんと鼻下を沈める。峰田くんも峰田くんだけど、彼の愚行を止められなかった他の男子にも責任がある、よね?
 ちらりと隣を伺うと、梅雨ちゃんがニッコリと笑顔を返した。
 
「「「ぎゃあああああ!!!」」」
 
 男子たちの叫び声が、折り重なって満点の星空に響いてゆく。
 
「こっちはいいお湯やね〜」
 
 すべてを察したお茶子ちゃんが、隣でのほほんと呟いている。
 
 やっぱり、お兄ちゃんの言った通りだ。
 男の子はみんな狼なんだと、わたしはこのとき初めて実感したのだった。

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