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五十七、襲撃

 林間合宿もついに三日目を迎えた。
 
 この合宿での個性伸ばしを経験すれば、雄英に入学してから目まぐるしいと感じていた日々も、実はまだ余力があったのだと思い知る。
 それほどに身体の変化を感じているし、その実、無個性のわたしですら体感的に一皮むけたような感覚があった。
 
──トン、トン、トン
 
 目の前から、小気味いい音が聞こえる。規則正しく繰り返されるその音から、なかなかの腕前だろうと推察することができた。
 彼はいったいどれくらい成長したんだろうか。
 
「爆豪くん包丁使うのうまー! 意外やわぁ」
「意外ってなんだコラ! 包丁に上手い下手なんざねェだろ!」
「出た。久々に才能マン」
 
 真向かいで手早く人参を刻む爆豪くんを、ちらりと盗み見る。
 華麗な手捌きに、お茶子ちゃんは子どものように目を輝かせた。
 通りすがりの上鳴くんが口にしたとおり、たしかに彼は才能マンで、大抵のことは何でも器用にこなしてしまう。
 わたしはじゃがいもの皮を剥きながら、視界の端でそれを眺めた。
 昨日は炊事場を爆破して修繕に忙しくしていた彼だけど、今日はしっかりと調理班として貢献しているらしい。
 
 ふと、昨晩の女子会を思い出す。
 
『ズバリ! 名前は爆豪のこと、どう思ってんの~?』
『え、わたし?』
 
 クラスの女子たちには、わたしと爆豪くんが男女の仲になりそう、な関係に見えるらしい。いつも横柄な態度を取られているのに、いったい何をどうしたらそう見えるのか理解に苦しむ。
 
 ふわりと風に揺れる、薄い金髪が目に留まった。
 まあ、大人しくしていればモテそうだなとは思うけど。
 
「おい、テメェは料理できるんか」
 
 たった今思いを馳せていた人物に声をかけられて、唐突に意識が現実へと戻った。
 
「わたし? うん、できるよ」
「……そうかよ」
 
 訓練でも何でもすぐに張り合おうとしてくる彼は、きっとわたしの手元を見てそう訊いたに違いない。料理に関しては手際は悪くないほうだと自負している。
 
「こっちに引っ越すまでは毎日お兄ちゃんにお弁当作ってたんだ。……どう、意外?」
 
 そう言って笑うと、彼はちらりとわたしを見て、すぐさままな板に視線を落とした。その手は相変わらず器用に人参を刻み続けている。
 
「この前言ってた兄貴か」
「うん、そうだよ」
 
〝この前〟とは、期末試験前に爆豪くんと切島くんがうちに勉強しに来たときのことを言っているのだと思う。
 そういえばあのとき、玄関に置いてあったお兄ちゃんのスニーカーを見つけて、切島くんは随分と申し訳なさそうにしていた。最初は理由がわからなかったけれど、今ならその意味が少しわかる。
 あの靴を置いていったときに交わしたお兄ちゃんとの会話を思い出したからだ。
 
『なんで靴を置いて帰るの?』
『ん〜、防犯と牽制かな』
『ケンセイ? 泥棒さんに男の人がいるぞってアピールするってこと? でも、玄関から律儀に入る泥棒っているかなぁ?』
『まあ、そうだね。世の中には〝泥棒さん〟の見た目をしてない〝泥棒さん〟もいるからね』
『……?』
 
 お兄ちゃんの言ってた〝牽制〟って──そういう意味だったんだ。
 
 たぶん、兄として妹の貞操を心配してくれていたんだろう。高校生なんだからちゃんと健全に暮らしなさいよ、ということなんだと思う。
 別にわたしは、恋愛するために雄英に来たわけじゃないのに。
 
「……あん時の」
「ん?」
「あん時の、どら焼き」
「うん。もしかして、気に入った?」
 
 モチモチしてて美味しいよね、と笑いかけると、彼はまな板に視線を落としたままぼそりと呟いた。
 
「あれ、東京土産じゃねえだろ」
 
 どくん。
 
 唐突に、潮が引いたような静寂が訪れた。
 急に辺りの音をすべて持ち去られたように静かになって、爆豪くんの包丁の音だけが大きく響く。
 
──トン、トン、トン
 
 逆に、わたしの手は完全に止まってしまった。
 
──トン、トン、トン
 
 懸命に頭をフル回転させていると、やがて彼もゆっくりと作業の手を止めた。やけに長く感じる沈黙に、なんて返事をしようか思案する。
 恐る恐る覗き見るように顔を上げると、がちりと視線が絡まった。
 
「っ、」
 
 感情の読み取れない静かな赤い目が、こちらを真っ直ぐに見つめている。思わず、ぷつりと糸を切るように視線をそらした。
 
「さあ、どうだろう。東京ってなんでも売ってるから」
「……そうかよ」
 
 わたしが誤魔化すと彼は静かになって、また人参を刻みはじめた。


「さっ! くじ引きでパートナーを決めるよ!」
 
 ピクシーボムの掛け声のもと、その手元からくじを引く。〝8〟という数字が書かれていて、わたしの肝試しの相手は緑谷くんに決まった。
 
「苗字さん、よろしくね!」
「うん! こちらこそ。相手が緑谷くんで本当によかった〜」
 
 胸を撫で下ろしながら峰田くんの方へと視線を向けると、緑谷くんは苦笑いを返した。
 
「緑谷くんは怖いの大丈夫な人?」
「うん、僕はたぶん平気な方だと思う」
「そっか! わたしも、たぶん平気かな」
「僕たち八番目だから最後だね」
「そうだね」
 
 緑谷くんが怖いの平気なら、さすがに今回はカラスに働いてもらうのはやめておこう。なんとなく面白くなくなっちゃう気がする。
 
「よかったぁ! 梅雨ちゃんと一緒やぁ〜」
 
 近くから安堵する声が聞こえて振り返ると、お茶子ちゃんが梅雨ちゃんの手を取って涙ながらに跳ねていた。
 
「ふふ、お茶子ちゃんは怖いの苦手みたいだね」
「そうみたいだね」
 
 にこりとする緑谷くんのやさしい眼差しに、既視感を覚える。
 つい先日砂浜で遊んでいたときにも、彼は同じ視線をお茶子ちゃんに向けていた。
 
「そういえばお茶子ちゃんとじゃなくてよかった? わたし、替わってこようか?」
「え、どうして?」
 
 彼が、ふしぎそうに返す。
 
「わたしとじゃなくてお茶子ちゃんとの方が良かったんじゃないかなって」
「え、え、どうして?」
 
 そう聞かれて、思わず眉を掻いた。
 
 こういう話に疎いと言われるわたしだって、こうして毎日一緒に過ごしていれば察するものがある。緑谷くんのお茶子ちゃんへ向ける視線は、友人の類とはまた毛色の違うもののような気がするのだ。
 ただ、そう。彼が認識していないのなら、わたしが口を出すべきことじゃないのだろう。
 
「……いや、なんとなくそう思っただけなの。気にしないで」
 
 そう言って笑いかけると、緑谷くんはふしぎそうに首を傾げたあと、少し俯いて口を開いた。
 
「たしかに麗日さんのことは大切な友人だと思ってるよ。……け、けど、それは苗字さんも同じだから」
 
 ちょっぴり恥ずかしげに、されどまっすぐに視線を向けられて、不覚にもドキリとしてしまう。
 
「だから交換とかはしなくていいよ。も、もちろん、苗字さんが僕でよければだけど」
 
 わたしってば、余計なおせっかい焼いたみたい。
 
「……うん。うれしい、ありがとう」
 
 慣れないことを言った彼の顔はほんのりと赤く染まって、その後峰田くんからまったく見当違いの罵声を浴びせられていた。なんか、ごめんね。


 まるで冷水を浴びたようだった。
 先ほどまでの楽しい時間はあっという間に消え去り、嘘みたいな現実が目の前に広がっていた。
 
 ピクシーボムが頭から血を流したまま、地面に伏したのは一瞬のことだった。
 その頭は大きな四角柱の武器に押さえつけられていて、武器を手にした長髪の男はにやりと不気味な笑みを浮かべている。
 その隣では背中に大太刀を携えたトカゲのような様相の男がこちらを鋭く見据えていた。
 
 ようやく訓練も一段落ついて、やっと訪れたお楽しみの時間だったはずなのに。誰かの叫び声とともに空気が一変した。
 突然の出来事に、恐怖が波のように襲いきて身体が凍りつく。
 
 どうして、万全を期したはずじゃ──。
 
「なんで……なんでヴィランがいるんだよ!!」
 
 峰田くんの叫びがあたりに響いた。
 突如として現れたヴィランにわたしたちは言葉を失っていた。
 
「ピクシーボム!!」
 
 緑谷くんが叫ぶ。助けようと前に飛び出した彼を、マンダレイと虎さんが遮った。間を置かずして、頭の中にテレパスが響く。
 
〝敵二名襲来! 他にも複数いる可能性アリ! 動ける者はただちに施設へ。会敵しても決して交戦せず撤退を!!〟
 
「ご機嫌よろしゅう、雄英高校。我らヴィラン連合、開闢かいびゃく行動隊!」
 
 満を持して、トカゲ姿の男が饒舌に語り出す。隣の長髪の男ははしゃいでいるように見えた。
 
「このコの頭、潰しちゃおうかしらどうかしら? ねえ、どう思う?」
「させぬわ、このっ!」
 
 虎さんが叫んだ。
 
「待て待て、早まるなマグ姉! 虎もだ、落ち着け。生殺与奪はすべてステインの仰る主張に沿うか否か……」
「ステイン! 奴の思想にあてられた連中か!」
 
 トカゲ男の言葉に飯田くんが声を荒げる。そうだ、飯田くんのお兄さんもステインに襲われた。
 
「アァ、そう。俺は、そうお前。君だよメガネ君! 保須市にてステインの終焉を招いた人物」
 
 飯田くんたちが三人でステインを取り押さえたことは、わたしも轟くんから聞いて知っている。ただ、この件は警察との間で内密に処理されて、報道されていないはずだ。なのにあのトカゲ男も知っているということは、つまりステインとヴィラン連合は繋がりがあったということだろうか。
 
「申し遅れた、俺はスピナー。彼の夢をつむぐ者だ」
 
 トカゲ男が背中から布に包まれていた大太刀を取り出す。その刃は幾重にも重なる刀身がまるで尖った剣山のように連なっていた。
 わたしたちに向けられた、剥き出しの敵意。まるでそれを象徴するかのような武器だ。
 虎さんが、一歩前に出る。
 
「何でもいいがなあ、貴様ら……! その倒れてる女ピクシーボムは最近婚期を気にし始めててなぁ。女の幸せ掴もうって、いい歳して頑張ってたんだよ。そんな女の顔をキズモノにして男がヘラヘラ語ってんじゃあないよ!」
「ヒーローが人並みの幸せを夢見るか!」
 
 トカゲ男がこちらに向かって駆け出した。
 
「虎!〝指示〟は出した! 他の生徒の安否はラグドールに任せよう。私らは二人でここを押さえる! 皆行って! 良い!? 決して戦闘はしないこと! 委員会引率!」
「承知いたしました! 行こう!」
 
 マンダレイの指示のもと、飯田君の後に続くようにみんなが施設へと駆け出して、わたしも後を追う。
 しかし、隣にいたはずの緑谷くんの足は止まったままだった。
 
「緑谷くん! なにしてるのっ、早くいこう!」
「……苗字さん、飯田君、先行ってて」
「緑谷くん!? 何を言ってる!?」
 
 まさか、参戦するつもりなのか。
 疑念を抱いたその瞬間、緑谷くんが戦闘態勢のマンダレイに向かって叫んだ。
 
「マンダレイ! 僕、知ってます!!」
 
 そのまま、彼は施設とは違う方向へと駆けてゆく。
 駄目だ、ひとりで行動するには危険すぎる。
 
「待って緑谷くんっ、わたしも行く!」
「いや、僕一人で行く! 苗字さんは早く施設に戻って、カラスで皆の安否確認を!」
 
 ハッとした。たしかにそうだ。
 それはわたしにしかできない役目だと思った。
 
「わかった! くれぐれも気をつけて!」
 
 彼は一度だけ頷くと、足元に緑色の光線を放ちながら瞬く間に森の中へと消えた。
 
「仕方ない……苗字くん、行こう!」
 
 飯田くんに促され、やむなく施設へと走り出す。一緒に駆け出したのは、飯田君、峰田くん、尾白くん、口田くんの四人だった。
 さっき緑谷くんが言っていた、みんなの安否確認。あれはできれば早いほうがいい。わたしは先頭を走る飯田くんに叫んだ。
 
「飯田くん! みんなの状況を把握したいの。お願い、わたしを背負って!」
 
 彼がハッとして、すぐさまその場にしゃがみ込む。その背中に迷わず飛び乗った。
 
「そうか、カラスたちで状況把握を……よし、急ごう!」
 
 目を瞑りながらではみんなの後を追えない。わたしの言わんとすることを察した彼が、わたしを背負って走り出した。
 揺れる背中で、近くのカラスたちに問いかける。
 すぐさま至るところから〝SOS〟が届いた。瞑目すると、あらゆる景色が流れてゆく。
 
「ダメだ、色んなところでカラスが危険を知らせてる! どこから処理したらいいのか……」
「落ち着くんだ、苗字くん。でないと見えるものも見えなくなる!」
 
 梅雨ちゃんとお茶子ちゃんに迫る制服の女の子が見える。
 ガスマスクをつけた百ちゃんたちが駆けている。
 燃え盛る青い炎が森を焼き尽くしている。
 紫色のガスが渦を巻いている。
 爆豪くんと轟くんが黒い敵と交戦している。そして、踏み影くんが!
 
 駄目だ、カラス単体じゃ彼らを助太刀できない。まずは施設に戻って、先生たちに報告を。でもこの数を相手にするには圧倒的にこちら側の数が足りない。
 
 一体、どうしたら……!
 
「よし、施設が見えてきたぞ!」
 
 飯田くんの言葉に、目を開いた。揺れる背中から見えたのは、施設前に立つ相澤先生と、あれは──。
 
「さすがに雄英の教師を務めるだけはあるよ。なあ、ヒーロー。生徒が大事か? 守り切れるといいな」
 
 捕縛されていたはずの敵が泥になって溶けてゆく。
 
「また会おうぜ」
 
 男はそのまま土に還った。施設にも敵の手が迫っていただなんて。
 
「先生! 今のは!?」
「中に入っとけ! すぐ戻る!」
 
 一瞬ですれ違う先生に、目にしたすべての情報を伝える術なんてない。
 ましてやここは深い森の中。クラスメイトたちの場所を伝えるのは複数のカラスを集めない限り不可能だ。
 
「せんせいっ、みんなが!」
 
 わたしの叫びも虚しく、相澤先生はそのまま暗い森の中へと消えた。

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