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六十四、たった二人の家族

 同い年なのに、俺たちとはどこか違うと思う瞬間がいくつもあった。
 成績優秀で、誰とでも分け隔てなくて、それでいてよく笑う。上手く言えねェけど、苗字がいればA組が〝うまく回る〟んだ。
 正直、あの爆豪が一目置いてるとこも何気にデケェと思う。
 ただそれと同じくらい、踏み込めねェ何かがあると感じる場面もあった。その正体が、今、少しだけわかった気がする。
 
「名前の兄です。どうぞよろしく」
 
 目の前に座る苗字と轟との間に、兄貴だと名乗るホークスが割り込むように顔を覗かせた。しゃがみ込んで苗字の片翼に顎を乗せて、肩に腕を回したまま轟に話しかけている。
 正面から見ると、まるで「俺の妹にちょっかいかけてんじゃねェ」とでも言い出しそうな態度だ。
 
「君、エンデヴァーさんとこの息子さんだよね?」
「まあ、はい」
「えーっと、名前はたしか……」
「轟焦凍です」
「そうそう! しょーとくん! いや~困るんスよねー、そんな気軽に誘われちゃあ。うちの名前、そういうのゼンッゼン慣れてないんで」
「? 何がですか」
「ハハッ、もしかして無意識に誘っちゃった感じ?」
「いや、俺なりにいろいろ考えて……苗字の部屋が、もっと色んなもんで溢れてたらいいなって。そしたら死ぬとかそういう考えになんねェかもしんねェから」
「と、轟くんッ!」
 
 奥のテーブルから、緑谷が叫んだ。
 一瞬なんでなのかわかんなかったが、よくよく考えればそういうセンシティブな話は家族に知られたくねェ奴もいるよな、とすぐにわかった。
 
 ただし、兄貴にとって気に障ったのはそこじゃなかったらしい。
 金色の瞳が鋭く光ったのを、俺は見逃さなかった。
 
「へえ〜、君、名前の部屋に入ったんだ」
 
 ぞくり。
 
 氷のような冷たい言葉に、こっちの心臓が震えた。
 途端に、あの紅いスニーカーが脳裏をよぎる。苗字の家の玄関にわざとらしく置かれていた、男物の──。
 
 隣に座る爆豪に目配せした。無意識だった。──なあ、俺らまずくねえか。
 しかし視線を送るも、爆豪はまっすぐに正面を向いたまま、こっちを見ねェ。ただひたすら、不機嫌そうに眉をひそめていた。
 
「〝お部屋披露大会〟ってやつで見ました」
「あ〜、なるほど! はいはい。そこで名前の部屋がスッカラカンで驚いちゃったわけだ」
「そうです」
「そっかそっかぁ〜。まあ、名前の部屋は昔からあんなだから、あんまり気にしなくていいっスよ。必要なものは適宜俺が持ってくるし」
 
 それに、とホークスが続ける。
 
「大事なものは、ちゃんと仕舞ってあるんで」
 
 そう言った兄貴の目元は、やわらかくほどけていた。
 ああ、本当に兄妹なんだな──その表情を見れば、腕に抱いた妹がどれほど大切なのかが、少しだけわかる気がする。
 
「? そう、ですか」
「まっ、そーゆーことなんで──」
 
 黄金に輝く瞳が、突如として真剣さを帯びた。
 
「名前に関しては、男との一対一のお出かけはなしで頼ンます」
 
 ぶわり。全身に鳥肌が広がった。
 たぶん、その場にいた男子全員が静かに身震いしたと思う。反対にホークスはにこやかに笑っていて、それが俺たちの恐怖に拍車をかけた。
 
「はぁ」
 
 曖昧な相槌をうった轟だけが、なぜそんなことを言うのかわからねぇって顔をしている。すげぇな、轟。
 
「あー……君、そういう感じね」
「? すんません。さっきから話がよくわか──」
 
 そのときだった。
 
──バサッ!
 
 一瞬の内に、俺の目の前を大きな漆黒が覆った──苗字の翼だ。
 静観していたからだが大きく躍動して、華奢な足がソファの背を駆け登る。スリッパは宙に投げ捨てられ、裸足になった苗字がそのまま後ろにいるホークスに飛びついた。
 
「っと……!」
 
 受け止めたホークスが、たたらを踏んでなんとか体勢を保つ。
 突然のことに、思わず呆気にとられた。
 まるで幼い子どもに戻ったみてェに、苗字は両手を広げて兄貴の胸に飛び込んでいる。
 
「おに、ちゃんっ……っ……なん、でっ」
 
 瞬きをした。苗字が泣いている。
 ひっく、ひっくと喉を鳴らしながら泣いていた。
 
「っ……うぅっ……ぁ、っく……」
 
 何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
 たぶんこの場にいた誰もがそうだ。泣き声というより、もはや叫びに近いそれが、静まり返った部屋に大きく響いている。
 
 ホークスの腕が、苗字のからだにきつく巻きついた。
 
「ごめん……ごめん、名前」
 
 先ほどまで飄々としていた兄貴の、ひどく狼狽した姿に胸を打たれた。その顔は何かをひどく後悔しているように見える。
 
「外、出ようか」
 
 声を上げて泣く苗字をお姫さまのように抱き上げて、ホークスは踵を返した。
 ずかずかと大股で玄関まで歩き──いつからそこにいたのか──玄関扉の前に立っていた相澤先生に小さく声をかけるとすぐに、二人はそのまま扉から出ていった。
 
 心配よりも先に、胸のあたりがむずむずした。
 兄妹っつってたけど、なんか恋人みてぇだ──。
 
 まるで恋愛映画のワンシーンを観ているような心地に、現実とは思えない甘さと奇妙なくすぐったさを感じる。
 漢気を重んじる俺には、一生縁のないことかもしんねェと思った。


「イレイザーさん、すんません。ちょい連れ出します」
「……あんま、遅くなるなよ」
 
 しんと静まりかえった寮を後に、すぐさま夜空へと舞い上がった。腕の中にはこの世でもっとも大切な妹を抱えている。
 
 声を上げて泣く名前を見たのは、いつ振りだろう。
 さみしいも、悲しいも、名前が感情を口にするのは稀だ。
 それは嫌に物わかりが良かった幼い頃から、ずっと変わらない。
 
 報告を受けたときから、命の危険に晒されていたのだと知っていた。自分の役割を全て投げ売ってでも、すぐに駆けつけてやりたかった。
 はやる気持ちを何度も押し殺して、飛ぶ鳥を落とす勢いで仕事を片付け、それでも、ようやく見えた顔はずいぶんと朗らかで──だから俺は油断していたのかもしれない。
 
 自分の甘さに嫌気が差す。
 
 雄英の屋上に到着し、ふわりと降り立った。抱きかかえたまま名前の首元にすり寄る。
 
「名前、ごめん」
「っ……ひっく……」
「本当に、ごめん……」
 
 返事の代わりに、首に回された腕がきつく絞まった。
 愛おしさがこみ上げる。
 
「……ここ、意外と景色よか」
 
 顔を上げると、眼下には麓の夜景が広がっていた。
 
「ほら、暗いばってん海も見えとう」
 
 街の明かりの先には、光によって象られた真っ暗な海が広がっている。山頂に立っているせいか、砂浜が緩やかに湾曲している様子がよく見えた。
 
「って、そんなのもう見慣れとうか」
 
 生ぬるい風が吹いた。火照ったからだが幾分か涼しく感じる。
 仕事を片付けたその羽で、福岡からここまで飛んできたせいで、ボディスーツの下は汗だくだった。
 
「これが、名前が毎日見とう景色なんやね」
 
 俺のひとりごとが、夏の夜に溶けてゆく。
 
 名前が落ち込んでいるとわかったときには、いつもこうして夜景を見に連れ出した。俺が一方的に喋って、そうしたら名前も少し元気になって、相槌をうつ。
 そこからぽつりぽつりと、口からこぼすように感情を吐露して、俺はそれを真綿に触れるような気持ちでやさしく包み込む。
 
「……かった……っ」
 
 小さな声が風に邪魔されて薄まった。
 
「ん、なんて?」
 
 顔を近づけると埋もれていた顔が見えて、胸のあたりがぎゅっと締まった。
 
「っ……こわ、かった」
「うん」
「もう、死んじゃうって……おもって」
「うん」
「おにぃちゃん……ずっと、っ、呼んでた……のにっ……」
「うんっ……」
「来て、くれなくてっ……さみし、かった……!」
 
 ああ──。
 
「ごめん、名前」
 
 俺は、なんて愚かなんだろう。
 
「本当に、ごめん」
「っ……わかってる、の」
 
 そう、彼女はすべてわかっているんだ。
 
 俺のヒーローとしての立場も、がんじがらめな責務も、たったひとりの妹すら助けに行けないやるせなさも、すべて。
 それでも名前は言葉にしてくれた──俺が来てくれなくて、さみしかったと。
 
 これまでの彼女なら、絶対に口にしてくれなかったことを、今。
 
「名前」
「ん……」
 
 それを言葉にすることが、彼女にとってどれだけ勇気が要ることで、どれだけ苦痛を伴うことか、わかっているからこそ、俺は──。
 
「ありがとう」
 
 嬉しくて、たまらないんだ。
 
「……っ」
「俺に謝らせてくれて、ありがとう」
 
 そうだよ、名前。言葉にしていいんだ。
 だって、俺たちはたった二人の家族なんだから。

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