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十三、純然たる悪意
わたしたち三人が飛ばされたのは、おそらくUSJ内の倒壊ゾーンだ。窓の外には廃墟と化したビル群が横たわっている。
戦闘のさなか、後ろから強く腕を引かれた。
「邪魔だ、どけ!」
怒号とともに、そのまま背後に回される──爆豪くんだ。彼とは訓練で一度組んでいるから、わたしの弱点も把握しているはず。近接戦闘なら自分の方が有利だと判断したんだろう。
腕を引かれた意図を悟り、後ろに下がって戦況確認に入った。目を瞑り、カラスと視覚を共有する。
クラスメイトたちは散り散りになっていたが、全員がこのUSJ内にいるようだった。視認する限りでは、みんなはまだ無事のよう。しかしあちこちで戦闘が始まっている。
「クラスメイトは、おそらくみんな無事! USJ内にいる!」
わたしの掛け声と時を同じくして、爆豪くんと切島くんが互いに最後の一人を床にのした。
「これで全部か、弱ェな」
「っし! 早く皆を助けに行こうぜ! 攻撃手段少ねぇ奴らが心配だ! それに、俺らが先走ったせいで十三号先生が後手に回った。先生があのモヤ吸っちまえばこんなことになってなかったんだ! 男として責任取らなきゃ──」
「行きてェなら一人で行け。俺はあのワープゲートぶっ殺す!」
床には敵の身体がいくつも転がっていた。残念だがこいつらを拘束するものはない。今はこのまま捨て置いて、この二人と行動をともにするほうが良いだろう。
──どくん
突如、背中にひどい悪寒が走った。
悲鳴のような、カラスからの強い〝SOS〟。耳がキンとして、思わず目を閉じる。この子はたしか、広場の近くにいたはず。
視界を借りると、そこには相澤さんと男が対峙していた。相手は奇怪な風貌で、全身に〝手〟をまとっている。やつらが現れたときに敵軍の中央にいた、もっとも不気味な男だ。
相澤さんが男から距離をとる。片腕を、酷く負傷している。そこではっきりと感じとった。彼に忍び寄る、得体の知れない悪意を。
彼が退いた先の背後に、巨大な敵が立っている。瞬く間に、相澤さんが地面に叩きつけられた。
「オイ、苗字。俺を入り口まで──」
マズい──!
弾かれるように、翼が動き出す。気づけば窓枠を蹴り上げ、外に飛び出していた。
「って、オイ、てめェ!」
「ちょ、苗字! どこ行くんだよ⁉」
背後から二人の声が聞こえる。返事をする間も惜しい。わたしの身体はかつてない速度で、中央広場へと向かっていた。
広場は、倒壊ゾーンからほど近い。一番大きな廃ビルを越えると、視界はすぐにそれを捉えた。
高速で飛びながら、羽をもぎる。脳みそを剥き出しにした怪物が、相澤さんに馬乗りになっていた。彼の腕が、あらぬ方向へ曲がっている。
──相澤さんっ!
放たれた矢が、光の筋を描いて怪物の背中へと飛ぶ。
「っ」
矢が届いた。たしかに命中した。しかしなぜか、勢いを失ったそれは、はらりと地面へ舞い落ちてゆく。
なんで! まさか、硬化の個性か⁉
でもおかしい、当たったのに跳ね返りもしなかった。もう一度、羽をもぎる。とにかく、もっと近距離で打ち込まないと! エネルギー保存則を覆すほどの巨体に、意を決してもう一度矢を放った。
「くそっ、なんで!」
しかし確かに命中したはずの矢は、再び地面へと落ちていく。
ちがう。矢は跳ね返ってない、吸収されている。矢の勢いがそのまま、あいつの身体に。ダメだ、どうしたら!
怪物が相澤さんの左腕を踏み潰す。今度ははっきりと、骨の砕ける音がした。絶叫が聞こえる。
「っ、相澤さんッ!」
無我夢中で、怪物の後ろ首へと突っ込んだ。頭を掴むがびくともしない。怪物は肩に乗るわたしに目もくれず、相澤さんの頭を掴んで床に叩き続けている。
わたしじゃ、相手にもならないってか!
羽をもぎり、両手で矢を掴んで剥き出しの脳みそに突き刺した。策なんてない。もうほとんど無意識だった。
放してっ! 放せ! はなせってば!
初めての、肉をえぐる感触がする。力を込めた。ありったけ。
あいざわさんを、放してよ!
「フハハハハ! 健気な生徒だなあ」
たぎった頭が、手元の感触で現実へ引き戻される。なぜか、腕が震えるほどの衝撃を感じた。その手応えに〝効いている〟とわかる。
理由はわからない。けれど、たしかに効いている。そのまま弱点と思しき脳天に、力いっぱい矢をねじ込んだ。
放せ、はなせ!
「逃げ、ろ……!」
唐突に、視界が揺らいだ。なにも見えなかった。
黒いなにかが、わたしの両腕を掴んだ。視界が逆転する。バキッと鈍い音がして、全身に衝撃が走った。体が地面へと叩きつけられている。投げ飛ばされたとわかった。遅れて、掴まれた腕に激痛が走る。
「~~っ、!」
視界の中で、自分の腕がぐちゃぐちゃになっていた。言葉にならない痛みに、立ち上がることさえできない。
治れ、なおれ、なおれなおれなおれ! はやく、なおれ!
飛びそうな意識の向こうで、男の声が聞こえる。
「……あーあ、今回はゲームオーバーだ。帰ろっか。あ、そうだ。帰る前に平和の象徴としての矜持を、少しでも──」
その瞬間、手を纏った男が水辺に向かって跳び出した。
「へし折って帰ろう!」
頭が三つ、視界の端を掠める。声にならない叫びで喉が震えた。逃げて。
しかし男は、即座にたどり着いたはずの三人の前から動かない。そうして、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「ッチ、ほんとかっこいいぜ、イレイザーヘッド」
「ぐっ!」
相澤さんの頭が、また地面へと叩きつけられる。反射で、自分の指がぴくりと動いた。ほぼ同時に緑谷くんが咆哮を上げた。
「手っ、放せぇ! スマッシュ──!!!」
凄まじい勢いを伴って、拳が撃ち込まれる。あたり一面に煙がたった。しかし視界が晴れると、そこには〝こちら側〟にいたはずの怪物が立っていた。
なぜ。怪物が緑谷くんの拳を、腹で受け止めている。効いてない。それよりも見えなかった。速すぎる。目で追えない!
「いい動きをするなあ。スマッシュって……オールマイトのフォロワーかい?」
緑谷くんの腕が怪物に掴まれる。
「っ、やめて!」
ようやく音を伴った自分の声が、か細くあたりに響いた。先ほどよりも腕に感覚が戻っている。動け。弓を握れ。
でも、わたしにやれるのか、あの怪物が? 脳裏によぎる迷い。身体を蝕む逡巡。いや、やるしかない。やるしかないんだ! 動け。
──バン!
「オールマイトォォオ!!!」
峰田くんの叫びがこだまする。その声に、誰もが振り向いた。
ああ、あなたを待ちわびた、心の底から。
「もう大丈夫……私が来た!」
燦然と輝く我らのヒーローが、鬼の形相でそこに立っていた。
気がつくと、わたしたちの目の前にはオールマイトの背中があった。
隣には緑谷くん、梅雨ちゃん、峰田くんがいる。オールマイトが肩に抱えていた相澤さんをそっと地面へと下ろした。そこでようやく、自分の思考が追いつく。
「みんな入り口へ。相澤くんを頼む。意識が無い。早く!」
「っ、はい!」
咄嗟に腕の感覚を確かめた。いつの間にかそれはあるべき姿へと戻っている。まだ痛みは残るが、動く。大丈夫、これならいける。
「緑谷くん。わたしが消防士搬送でいくから力を貸して!」
「え⁉ あっ、うん!」
うつ伏せに横たわる相澤さんの上半身を引っ張り上げた。それを緑谷くんに支えてもらいながら、自分の頭を相澤さんの腹に潜り込ませる。そのまま黒い身体を肩へと乗せた。よろけながら、なんとか立位を保つ。
「でも、苗字さん、腕が……!」
「大丈夫! ごめんけど、先行きます」
そう言い残して、わたしは力いっぱい羽ばたき、真っ直ぐに出口へと飛んだ。
相澤さんはもうぴくりとも動かない。まるで死体のようだ。翼に上手く力が入らない。人間を乗せた肩では、スピードが出せない。いや、そんなことはどうでもいい。はやく、運ばないと。
なんとか長い階段を越えた先で、誰かが倒れていた。白いスーツの背中に大きな穴が空いている。
そんな、十三号先生まで──。
しかしこのまま地上に降りては、自分の足だけで相澤さんを支えることは不可能に近い。
視界に砂藤くん、障子くん、瀬呂くんが映る。その近くに三奈ちゃんとお茶子ちゃんが見えた。こちらに気付いたのか、みんなの顔面が蒼白になる。
「お茶子ちゃん! お願い、浮かせて!」
地面スレスレまで降りると、お茶子ちゃんが駆け寄ってきて相澤さんに触れた。肩が、ぐっと軽くなる。
「相澤先生っ!」
「かなり危ないの、十三号先生は⁉」
「……先生も重症やけど、こっちはギリ意識ある!」
「わかった、じゃあこのまま運ぶ」
「俺が扉を開けよう!」
障子くんが扉に向かって駆け出した。薄く開いていた扉が彼の複製腕で大きく開かれる。
「飯田が助けを呼びに行った。救援が来るかもしれない。道沿いに飛んでくれ!」
「うん、ありがとう、障子くん!」
わたしはもう一度相澤さんの身体を強く掴み、そのままUSJの扉をくぐった。