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十四、弱さを受け止めて
保健室だ、まずそこに向かおう。
戦場から離れ、少しずつ冷静さを取り戻していく頭に、リカバリーガールの顔が浮かんだ。治癒できる身体じゃないかもしれない。それでも今の私には、そこ以外に向かうべき場所が思い浮かばなかった。
飯田くんがうまくいっていれば、いつ救援が来てもおかしくない。更にギアを上げようと翼に力を込めたとき、下方に大勢の先生たちが見えた。
先生──。
「マイクせんせいっ!!!」
わたしの叫び声に、先生たちが空を見上げる。
「苗字、無事だったか!」
降り立つと、そこには大勢の教員が一堂に会していた。マイク先生がこちらに駆け寄る。
「っ、イレイザー!」
「相澤さんがっ、腕と、あたまを、……ヴィランに! ほねが、くだけて──」
堰を切ったように涙が溢れてきた。呂律が回らない。──ちがう、そうじゃないだろう。
「みんなが、戦ってます! おねがい、みんなをたすけて」
もう、大丈夫だ。そう言って、マイク先生はわたしの肩から相澤さんを下ろし、そのまま地面に横たわらせた。思わず、自分も膝をつく。
項垂れるわたしの頭をさらりと撫でて、マイク先生はすぐさま立ち上がった。その後ろからリカバリーガールが現れる。顔を上げると、飯田くんもいた。
「ここは任せて、あんたたちは先を急ぎな!」
リカバリーガールの掛け声で、先生たちがドームへと走っていく。わたしは眼前に横たわる痛ましい姿をまじまじと目にして、更に涙が込み上げてきた。地面についた手が、まだブルブルと震えている。
なんの役にも立たなかった。なにも、なんにも。
応急処置を施すリカバリーガールの隣で、わたしは為す術もなくその場に座り込んでいた。洗練された救命行為に手が出せない。なんの知識もない自分を悔やんだ。
まわりのカラスたちが騒がしい。近くの子が〝もうすぐ来る〟と叫んでいる。応援がやってくる──私はその知らせを聞くでもなく耳にしながら、ただ相澤さんの無事を願った。
突如、後方から地響きがした。振り向くと、黒いなにかがドームを突き抜けて飛んでいく。わたしが手も足も出なかった、あの敵だ。
ああ、勝ったんだ、オールマイトが──。
その後、時を待たずして警察と救急隊が駆けつけた。相澤さんがタンカーで運ばれてゆく。
わたしたちは無事に保護された。
「よくがんばったね」
見ず知らずの誰かの言葉に、ボロボロと涙が溢れてくる。近くにいた女性が「もう大丈夫だから」と背中をさすってくれた。けれど、こびりついた恐怖に身体の震えはおさまらない。
なんの役にも立たなかった。
急ぎ運ばれていく相澤さんを前に、わたしは溢れる涙をしばらく止めることができなかった。
校内の至る所からサイレンの音が聞こえる。
「……十八、十九、二十。両足重傷の彼を除いて、ほぼ全員無事か」
刑事さんが、クラスメイトの安否確認をしている。わたしは相澤さんの容体が気になっていた。
「とりあえず、生徒らには教室へ戻ってもらおう。すぐ事情聴取って訳にもいかんだろう」
「刑事さん、……相澤先生は?」
梅雨ちゃんの言葉に、俯いていた顔が上がる。
刑事さんが「ちょっと待ってて」と言って、どこかへ電話をかけた。しばらくすると「治療を担当した医師からだ」と言ってスピーカーに切り替えた。
『両腕粉砕骨折、顔面骨折、幸い脳系の損傷は見受けられません。ただ、眼窩底骨がんかていこつが粉々になってまして、目に何らかの後遺症が残る可能性もあります』
「──だそうだ」
「……ケロ、」
「そんなぁ……」
拳を握りしめる。わたしは梅雨ちゃんと峰田くんの隣で、言葉を失ってしまった。
結果として、相澤さんと十三号先生は重症を負ったものの、命に別状はないらしい。オールマイトと緑谷くんはリカバリーガールのもと、保健室で治療中とのことだった。みんなの顔に、少しだけ安堵の表情が広がる。
しかし〝命に別状はなし〟とは、現状を目の当たりにした者からすればずいぶんと無慈悲な言葉だ、と思った。先生たちはわたしたち生徒を守ってくれたけれど、その代償はあまりにも大きい。
俯いていると、刑事さんが近付いてきた。
「君、悪いが先に少しだけ話を聞かせてもらえるかな。対峙した敵について、急ぎいくつか確認したい」
「……はい」
バスへと案内されていくみんなの背中を見送る。梅雨ちゃんと峰田くんが、後方で心配そうにこちらを見つめていた。軽く手を振ると、安心したのかそのまま乗り込んでいく。
全員が乗ったバスが見えなくなると、それを待っていたかのように彼が話し始めた。
「……やあ、ひさしぶりだね」
そう言って、薄く笑う刑事──塚内さん、とは面識がある。
二年ほど前のことだ。上からの提案で、自衛隊と警察の合同訓練に参加させてもらったことがあった。そのときに知り合ったのが、塚内警部だ。
あの時、表向きは警察官志望の見学者として通していた。彼にもそのように紹介されたと思う。
ほとんど見学させてもらうだけだったが、普通はそのような特別待遇はめずらしい。わたしが公安お抱えの少女であることは、彼にとって想定の範疇だっただろう。声を掛けるにあたり、クラスメイトたちへ気を利かせてくれたらしい。
「雄英に入ったことは聞いていた。入学早々、大変な目に遭ったね」
「……はい、でもわたし、何もできませんでした」
「そんなことはない。君が対峙した敵は、間違いなく敵方の主戦力だった。オールマイトをあそこまで追い詰めたんだからね」
オールマイトを追い詰めるほどの、強敵。つまりアレを倒せない限り、オールマイトを超えることはできない。
瞬きをすると、涙の乾いた目元がパリパリと軋んだ。目を伏せる。
「……口実ですか? それとも、本気の事情聴取ですか?」
「あいかわらず、君は……いや、なんでもない。口実半分、聴取半分だ」
その後、敵についていくつか質問をされたので、ただ事実だけを答えた。個性を複数所有した敵だ。警察側も困惑していることが肌で感じ取れた。もちろん、腕の負傷については言及しなかった。
なにが特別推薦だ。なにが公安お抱えの少女だ。
事情聴取のさなか、頭に浮かんでくるのはそんな自責の念ばかりだった。
教室への長い廊下を歩く。頭には事件の恐怖が張りついて離れない。
プロヒーローが日々なにと戦っているのか。わたしは今まで、何一つわかっていなかった。身体が竦すくむほどの恐怖。初めて対峙した、底知れぬ悪意。〝死〟と隣り合わせの世界。
腕をさすった。寒くないのに、なんだか身体が冷えている気がする。
教室に着くと、扉の前に人影が見えた。梅雨ちゃんと峰田くんが廊下に立っている。
「あ、苗字ー!」
「名前ちゃん、事情聴取おつかれさま。身体は、もう平気なの?」
二人はわたしを心配して、待ってくれていたらしい。
「梅雨ちゃん、峰田くん……うん。わたしは大丈夫だよ」
「ほんとかよ⁉ お前、あの敵に投げ飛ばされてたじゃねェかよ!」
「ケロケロ、とてもひどい怪我に見えたのだけど」
「……ううん。腕を捻ったけど、今は平気」
そうだ、上手にごまかさないと──。
わたしが薄く笑うと、梅雨ちゃんと峰田くんはそれ以上踏み込んでこなかった。腕を曲げ伸ばしして「ほらね」とアピールする。二人は心配そうにそれを眺めている。
実際のところ、私の身体はもうどこも怪我してない。だから二人には、勘違いだったと思い直してもらうほかないんだ。
『超再生の件は、極力、他の学生に露呈させないこと』
それが先生たちとの約束だ。まあ、普通じゃないよね、こんな身体。知られたらきっと怖がらせてしまうに違いない。
「名前ちゃん、ひとついいかしら?」
「……なに?」
「相澤先生とは、お知り合いなの?」
「え?」
「〝相澤さん〟と呼んでいたから」
あ、そうか。わたし、あのとき必死で──。
「あ、いや、えっと……うん、入試のときにね。ちょっとトラブルがあって、お世話になったから。そのときの名残で。……だめだね、ちゃんと〝先生〟って呼ばなきゃ」
「やっぱりなー! さすがに親戚じゃねぇよなって話してたんだよ。似てもに似つかねぇしよー!」
「ケロケロ……わたしも変なこと聞いてしまってごめんなさい」
二人が気にしてるということは、後で緑谷くんにもフォローしておいた方がいいだろう。「二人が無事で本当に良かったよ」と笑うと「そりゃ、こっちのセリフだぜ」と峰田くんが呆れ顔満載で両手を上げた。
それを見て苦笑いをこぼすと、梅雨ちゃんにやさしく抱きしめられた。
「すごいわ、名前ちゃん。……本当に、よくがんばったわ」
ああ、わたし、人肌が恋しかったんだ──。
やわらかいぬくもりに、心に巣食った恐怖が溶かされていく。自分も腕を回すと、ひと筋の涙がこぼれて、梅雨ちゃんのコスチュームに流れていった。
友達のぬくもりが広がっていく。
わたしは、ひとりじゃない。