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十七、デジャヴ
八時二十五分──教室内はUSJ襲撃の話題で活気づいていた。おそらく、ここ二日間で流れたニュースにクラスメイトたちが映っていたからだ。それを見れば、浮き足立つのが高校生というもの。教室はいつも以上のざわめきに満ちている。
「皆ァ! 朝のHRが始まる、私語を謹んで席につけ!」
「ついてるよ。ついてねーのおめーだけだ」
「しまった……!」
教壇に立つ飯田くんが、瀬呂くんにしっかりとツッコまれている。空回りの委員長は今日もかわいい。ドンマイ。
それよりも、今日は誰がHRを担当するのだろうか。相澤先生はしばらく入院するだろうから。あ、マイク先生だったらいいなあ──そんなことを考えていた、朝の優雅な時間。
「おはよう」
重低音にビクッと身体が跳ねる。教室にいつもの声が響いて、目を見張った。
昨日、自分が見たまんまの姿がそこにある。全身に包帯をぐるぐると巻いた先生が、首から両腕を吊るしてのっそりと教室に入ってきた。──ねえ、嘘でしょ?
「「相澤先生復帰早えええ!!!」」
さすがに今日の復帰は想像していなかった。
そうだ。そもそも昨日、お目付け役のカラスを解放していたんだった。病院で先生の顔を見たら、わたしも安心して。
だってまさか、たった一日足らずで退院してくるとは思わなかったから。想定を超える相澤先生のタフネスに、驚きを通り越して恐怖すら覚える。
「俺の安否はどうでもいい。何よりまだ、戦いは終わってねぇ──雄英体育祭が迫ってる」
え、体育祭──? そんな告知のために戻ってきたの?
眉間にしわを寄せていると、いつもの鋭い眼光がこちらを捉えた。かと思えば、すぐさまふいと逸らされた。
「敵に侵入されたばっかなのに、体育祭なんかやって大丈夫なんですか?」
「また襲撃されたりしたら……」
響香と尾白くんから、もっともな意見が上がる。
「逆に開催することで雄英の危機管理体制が盤石だと示す、って考えらしい。警備も例年の五倍に強化するそうだ。何よりウチの体育祭は、最大のチャンス。敵ごときで中止していい催しじゃねェ」
ずいぶんと強気な構えだ。それほどに、体育祭は重要なイベントということだろう。
「いや、そこは中止しよう? 体育の祭りだよ?」
「えっ、峰田くん。雄英体育祭見たことないの⁉」
「あるに決まってんだろ。そういうことじゃなくてよぉ」
たしかに、雄英の体育祭は日本のビックイベントのひとつだ。かつてのオリンピックに代わる催しとして国民には広く知られている。
その上わたしたちヒーロー科にとっては、全国のプロヒーローに見てもらえる人生最大のチャンス。もはや就活面接に近しいイベントといっていい。
将来、わたしはお兄ちゃんの事務所でサイドキックとして働くつもりでいるから、正直なところスカウトにはあまり関心がない。──のだが、それでもわたしの名が知られている方が兄への箔がつくというもので。
ゆえにこの体育祭に対しては、決して手を抜かないと入学前から決めている。
「年に一回、計三回だけのチャンス。ヒーローを志すなら絶対に外せないイベントだ。その気があるなら準備は怠るな」
放課後。教室の前がざわついていた。いや、ざわついてるなんてもんじゃない。気づけば外に出られないほど廊下には人が溜まっている。何事だろう。
「なんだよ出れねーじゃん! 何しに来たんだよ!」
「敵情視察だろザコ。敵の襲撃を耐え抜いた連中だもんな。体育祭の前に見ときてェんだろ。そんなことしたって意味ねェから、どけモブ共」
峰田くんの叫びに、爆豪くんが扉へと近づきながら答えた。初対面の人への〝モブ〟扱いに、クラスの空気がひやりとする。あいかわらず強靭メンタルすぎてヤバいな、爆豪くん。
群衆からの冷たい視線に、こちらは固唾を呑んだ。
「知らない人のこと、とりあえずモブって言うのやめなよ!」
飯田くんからの指摘にみんなが苦笑いしていると、人だかりの後方で紫の髪が動いた。
「噂のA組。どんなものかと見にきたが、ずいぶんと偉そうだなぁ。ヒーロー科に在籍する奴は皆こんななのかい?」
「ああ?」
人混みを掻き分けて、ひとりの男の子が現れた。どくん、と心臓がはねる。急激にバクバクと脈が速まり、反射で胸の辺りを押さえた。なぜか、彼から目が離せない。
ガタンと音を立てて自席から立ち上がる。
「どうしました?」という百ちゃんの声をそのままに、わたしはとぼとぼと歩き始めた。
「こういうの見ちゃうと、ちょっと幻滅するなぁ。普通科とか他の科ってヒーロー科落ちたから入ったって奴けっこういるんだ。知ってた?」
なんだ、この人。なんでこんなに胸がざわつくの。
「そんな俺らにも学校側がチャンスを残してくれてる。体育祭のリザルトによっちゃ、ヒーロー科編入も検討してくれるんだって。その逆もまた然りらしいよ。敵情視察? 少なくとも俺は、いくらヒーロー科とはいえ調子に乗ってっと足元ゴッソリ掬っちゃうぞっつー宣戦布告しに────え、なに」
大胆不敵な青年に、気づくとあと一歩の距離まで近づいていた。この人、絶対にどこかで──。
「あの、どこかで会ったことありますか?」
「は? ……いや、ないけど」
紫の髪。目の下のくま。特別目立つ風貌でもないのに、やたらと目を引く顔だ。いや、目を引くなんてもんじゃない。絶対に会ったことがある。でも、どこで見かけた?
記憶を探れど、思い当たる節はない。
「そもそも、そんなデカいもん背負ってたらこっちも忘れないし」
「……たしかに。それも、そうですね」
周りに変な空気が流れていると、群衆の後ろの方から「おうおう! 隣のB組のモンだけどよぉ!」と、とんがり目の人が頭を覗かせた。
どうやらその場から動けないご様子で、遠くから脅しをかけている。わたしの背中を低い声が撫ぜた。
「どけ、苗字」
「あ、ごめん。また明日ね、爆豪くん」
「……ケッ」
また無視された。むむむ。片頬を膨らませてその横顔にひと睨みするも効果はない。
「おい、どうすんだよ爆豪! お前のせいでヘイト集まりまくってんじゃねぇか!」
「関係ねェよ……上に上がりゃ、関係ねえ」
爆豪くんは男らしい一言を残して、そのまま人混みの中に消えていった。後方では未だとんがり目の男の子がキャンキャンと吠えている。あの子、ワンちゃんみたいだな。
わたしはもう一度、目の前の人物を見上げた。まだやんわりと心臓がうるさい。こちらからの視線に気づいたようで、彼は怪訝な顔を返す。
絶対に、どこかで会ったことある。……と思うんだけどなあ。
わたしからの熱い視線に降参したのか、彼は首に手を当てて、ゆっくりと立ち去っていった。
ああ、そういえば名前くらい訊いとくんだった。その背中が見えなくなった頃、ふとしたように後悔の念が頭をもたげた。