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二十三、人誑しのカラス
「ねえねえ、お昼ご飯、一緒に食べない?」
誘われてやってきた、いつもの食堂。
窓際のテーブル席に向かい合わせで座る俺たちの前には、カツ丼とサンドイッチが置かれている。
柄にもなく縁起を担ぎたくなった自分の横で、まさかのサンドイッチを注文した苗字を見て、少しばかり恥ずかしさが募った。
「……いつも、そんなん食べてるわけ?」
「んーん! 思ったより体力使わなかったから、お腹すいてないだけだよ」
こいつ、無自覚に人の神経を逆撫でするタイプだな──。
文句の一つでも言ってやろうかと口を開いたとき、苗字が俺のトレーをまじまじと見つめた。
「心操くん、カツ丼かあ……美味しそうだなあ」
いかにも、という感じで目を輝かせている。ふと彼女のトレーに〝あるもの〟が乗っていることに気づき、はあ、とため息がこぼれた。
「横取りする気満々かよ。……一切れだけね」
「ありがとう!」
彼女は持ってきた箸で、さも当然かのように俺のカツを一切れつまんでいる。おい、しかも真ん中かよ。
「カツ食べたし、これで午後もカァツ!」
片頬を膨らませる彼女を見て、本当にカラスみたいだなと思った。人様の餌を横取りする、ずる賢いカラスだ。
トレーに視線を落とす。
楽しそうにサンドイッチを頬張る彼女を前に、俺は先ほど終えた騎馬戦での会話を思い出していた。
『早速、上位四チーム見てみよか! 一位、轟チーム! 二位、鉄て……アレェ!? オイ!! 苗字チーム!? いつの間に逆転してたんだよオイオイ! 三位、爆豪チーム! 四位、緑谷チーム! 以上、四組が最終種目へ、進出だああ──!!』
『あんた、誰から奪ったんだよ』
『ん~、B組の鱗飛ばす人から一本と、とんがり目の人から二本! A組のみんなには個性バレてるからB組からしか奪れなかったよ、残念』
あのとき、奪れるもんならきっと全チームから奪るつもりだったんだろう。カラスはいったい何匹まで操れるんだろうか──。
正直なところ〝操る〟という共通点を見つけた彼女に、気持ちばかしの親近感を覚えたところだ。
けれども、操れる対象が人とカラスでは、周りに与える印象はまったく違う。カラスを操れる彼女は〝ヒーローみたい〟だけど、人を洗脳する俺は〝ヴィランみたい〟だ。
やっぱり、全然似てないな。
「おーい心操!」
落ちかけていた思考は、横からの聞き慣れた声で現実へと戻された。
「お前、かなりいいとこまで残ってんじゃん! すげー……って、なにヒーロー科のやつと飯食ってんだよ」
声を掛けてきたのは、同じクラスの何かにつけて絡んでくる奴だった。別段、仲が良いわけでも悪いわけでもない。ただ、話しかけられれば会話をする程度。
そんなクラスメイトの登場に、その後の面倒そうな流れを予期して視線を逸らした。
「……誰と食おうが、俺の勝手だろ」
普通科には、ヒーロー科を目の敵にしてる奴も多い。そんな奴らの目に、この光景は異端だろう。下手したら裏切り行為にも受け取られかねない。
まあ、自分もその〝目の敵にしてる奴ら〟の一人ではあるが……。
俺は思い切り顔を逸らして、会話は終いだ、とでも言わんばかりに態度で示した。
「ンだよ心操、感じ悪ィな」
さすがにやりすぎたか。
でも、今は事を荒立てたくない。
「心操くんのお友達ですか? それならここ空いてるのでどうぞ!」
苗字が、隣の席の椅子を引いた。──は? 何やってんだよ、あんた。
今日の食堂は体育祭の影響もあって、いつも以上に混雑している。だから他に空いている席はほとんどない。声をかけられた男は、一瞬怪訝な顔で苗字を睨みつけると「まあ、他に空いてないしな。しゃあねーか」とわざとらしくデカい声で周りに言い放って、彼女の横に座った。
いやいや、あんた、状況わかってんのかよ。
しかし苗字は、俺からの冷ややかな視線に目もくれず、隣の男が置いたトレーを食い気味に見つめている。
「え、あなたもカツ丼!? いいなあ~」
三人の間に、妙な沈黙が流れた。
隣の男は静かに固まっている。まさか、こいつ。
「…………一切れ、食います?」
「え、いいの!? やったあ、ありがとう!」
男はあっさりと根負けした。笑顔を振りまく少女を見る。
苗字、何考えてんだよ。あんたのこと、ヒーロー科ってだけで毛嫌いしてるヤツだぞ。そんな奴から食いもん貰って、疑う心とかないのかよ。
「午後も勝てたら、このカツのおかげだね」
そう言って笑う苗字に、男が露骨に顔を赤らめた。
いや、あんた、俺のカツも食ってたよな。
「え、いや……まあその、……応援、してます」
「ありがとう! 心操くんのお友達やさしいね」
笑ってこちらを向いた苗字に、ふつふつと小さな苛立ちが湧き起こる。
翼の生えた人たらしを無視して、俺は自分のカツ丼をかき込んだ。
サンドイッチを頬張りながら、目の前の男の子を眺める。
一定のリズムで胸の底に響くような、低くて温かい声。オールアップにされた紫の髪。同じ色の、吸い込まれそうな深い瞳。少し不気味で怪しい雰囲気なのに、堂々とした物言い。
それらすべてが、彼の持つ独特な魅力に一役かっている。
突き放すような喋り方にこちらもすっかり遠慮を失ってしまって、わたしは騎馬戦の流れのままに彼を学食へと誘った。
静かにカツ丼を頬張る心操くんは、すこし苛立っているようにも見えるけれど、お箸を持つ所作がうつくしくてそれが好印象に拍車をかけている。
目が離せない。だって──
絶対にどこかで会ったことがある、と思う。
この既視感の淵源を知りたくて、ずっと彼を目で追っているけれど、やっぱりそんな記憶はどこにもない。
もしかしたら幼い頃に、どこかで偶然出会ったことがあるのかもしれない。一緒に遊んだり、すれちがったり。たぶん、そんな些細なこと。もしくは、近くに住んでた、とか? ……いや、自分に限ってそれはないか。断言できる。
しかし、だとしたらやっぱり思い当たる節がない。
彼の言葉の端々から、わたしを煩わしく思っているのが感じ取れる。普段、そういう人とは距離を置くようにしている。──轟くんとか、いい例。
だけど、この人は〝駄目〟だ。
気になってしまう。
なぜか、もっと関わりたいと思ってしまう。
その理由がわからないまま、彼を見つめる。隣に座る男の子のおしゃべりに適度に相槌を打ちながら、視線はずっと目の前の彼に釘付けになっていた。
静かに黙々と食事を平らげていく彼から、なにか小さなヒントでも得られないかと、食い入るように見つめてしまう。
ふと、騎馬戦でのやりとりを思い出した。一つ聞けば、一つ返してくれる彼は、自分から積極的に話しかけてはこない。他の子が操られていたから、競技中は静かな時間も多かった。──けれど。
この人との沈黙は嫌じゃない。
たしかに、そう思ったのを覚えている。
でも結局、収穫らしい収穫といえば、それだけだった。
「ごちそうさま」
きれいに手を合わせた彼と、目が合う。
「……なに? さっきから」
「っ、なんでもないよ」
次の勝ち抜き戦、わたしの場合は誰と当たるかで勝敗がほとんど決まる。もし轟くんや上鳴くんと当たろうものなら、瞬殺だろう。
少しだけざわつく心は、隣の男の子から奪った二つ目のカツで、しっかり誤魔化しておいた。
昼食を終えて心操くんたちと一旦分かれた後、わたしはひとり、とある場所に向かっていた。
長い廊下を歩きながら、別れ際の心操くんとの会話を思い出す。
「次の試合、あんたと当たったら終わりだな」
「うん、そうだねぇ」
「ちょっとは、遠慮してくれよ」
「しないよ。……大事なひとが、見てるから」
「……大事な人?」
「うん」
そう、お兄ちゃんが、見てくれている──。
数日前のことだ。
「直接会場に見に行くから」と言われた電話口で「恥ずかしいからそれだけはやめて」と断ったときも、わたしの欲しい言葉をくれた。
『名前なら、ぜったいに大丈夫』
お兄ちゃんにそう言われると、本当に大丈夫だと思える。
うん、力の限りやればいい。
いつもそうだ。緊張したとき、沈んでしまったとき、胸がざわつくとき。そういうときは、いつもお兄ちゃんに頭を撫でてもらっていた。
けれど、今はかんたんには会えない距離にいる。だからわたしは、こんなにも〝代わりの誰か〟を求めてしまうのかもしれない。
──コン、コン
「マイク先生、いらっしゃいますか?」
「ヘイヘーイ! 開いてるぜ~!」
見た目より重みのある扉を開けると、そこにはマイク先生と相澤先生が座っていた。
「お邪魔しまーす」
「どうした、なんか用か」
ミイラ男みたいな相澤先生がこちらを向く。
「午前中がんばったので、ご褒美もらいにきました」
へらりと笑って返すと、先生が眉間に皺をよせた。
包帯で見えないから、あくまで直感だけど。
わたしはマイク先生のもとへ小走りで近づき、片手を上げた先生に向かって頭を垂れた。〝よしよしください〟のポーズだ。
「ちゃっかり進出してたなァ、苗字」
「マイク先生、最後の方、わたしのこと見てませんでしたよね」
「悪ィ悪ィ」
片頬をあざとく膨らませるも、頭に乗るやさしい手にわたしの顔はニヤけたままだ。マイク先生のよしよしは、その勢いのある喋り方とは真逆で、ぽんぽんと軽く手を乗せるような、とってもやさしいタッチだ。お兄ちゃんとは、また一味違う。
ふと隣を見ると、汚物を見るような目を向けられていた。
気にしない、気にしない。
「次も、がんばります!」
「おお! しっかり気張れよ!」
「はい! あと、相澤先生」
「……何だ」
「弓矢を解禁してもいいですか? さすがにカラスだけじゃ勝てないです」
「ああ、問題ない。そもそも俺は禁止するとは言ってないぞ」
「え、でも人に向けて放つなって言ってましたよね?」
「対戦相手に、ばあさんが治癒できないような怪我をさせるな、という意味だ」
じとり、と先生を睨む。
「それ、ぜったい言ってないです」
「……今、言っただろうが」
わたしは今度こそ両頬を膨らませて、放送室を後にした。
ぜったい言ってないよ。
相澤先生は、言葉足らず。
メモ、メモ、メモ!