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二十四、本戦スタート
「二人とも、お疲れさま」
観客席でわたしたちを最初に出迎えてくれたのは、尾白くんだった。彼の声を皮切りに、クラスメイトのみんなから「おつかれー」と声がかかる。一回戦の第五試合を終えたわたしと三奈ちゃんへの、労いの言葉だ。
「ありがとう、尾白くん」
「ぐはあ、悔しい! 名前、速すぎたー!」
「ふふふ、だって酸かけられたらわたしの翼溶けちゃうもん」
口では冗談を交えつつも、実際のところは背中を掴んで軽く場外に投げ飛ばしておいた。だってこちらは入学前から割と厳しめの対人訓練を積んでいるので、初戦で負けるわけにはいかない。
──あ、でも、軽くじゃないな。
本当は彼女の背後をとるのにそこそこ苦労した。それに投げ飛ばした後に追い越して空中でキャッチしたけど、しっかり受け身の姿勢だったのが、さすが三奈ちゃんって感じ。その運動神経には脱帽する。
「名前、私の分も頑張ってよね!」
「うん、もちろん!」
三奈ちゃんとの会話を終えて、そそくさと尾白くんの隣に座る。彼が気に病んで本戦を辞退してしまった件を、もう一度ちゃんと謝りたかったからだ。
「……尾白くん、本当にごめんね、騎馬戦の件」
「いや! 苗字さんは実力で勝ち残ったんだから、何も気にすることないよ! 洗脳されちゃったのは俺のミスだし」
尾白くんは手を振りながら、優しくフォローしてくれる。今度、B組の名なしの権兵衛さんにも、ちゃんと謝らないと。
「それよりさ、なんで苗字さんは洗脳されなかったの?」
「んー、個性の件を黙ってる代わりに、って感じかな」
「ああ、なるほど。顔見知りだったんだね」
「……まあ、ね」
すっかり忘れていた。
そういえば、なぜわたしだけ洗脳できなかったんだろう。
イレギュラーとして相澤先生に報告すべきだろうか。もしくは偶然、わたしが心操くんにとってのハズレくじだっただけなのだろうか。
しかしその考えは、前に座る緑谷くんからの言葉で見事に掻き消された。
「苗字さん、お疲れさま! 会場のポール、やっぱり苗字さん対策だよね?」
「うん、たぶんね」
「まあ、彼女の個性を鑑みれば当然の処置だろう。その気になればどこまででも飛んでいけるからな、苗字くんは」
緑谷くんと飯田くんが話しているのは、わたしたちの試合開始前にセメントス先生が「ちょっと待ってね」と言ってアレンジを加えたフィールドについてだ。
地面に引かれた白いラインが交差する四つの角には、それぞれ細長いポールが建っている。地上から四、五十メートルはあるだろうか。ポールの先端には赤い印がつけられていた。
「赤い印より高く飛んだらダメだって言われたよ」
「なるほど、上空にも制限を設けたわけか」
ほとんどの学生には関係のない代物だろうが、飯田くんは「なるほど」と言って押し黙った。顎に手を当てる彼は、きっとわたしと対戦することになったときの対策を考えているんだろう。彼らしいな、と思う。
試合中、フィールドの外には副審らしき人物も立っていたし、空中でサイドラインから出たかどうかの判断はなかなか大変だろうなあ。
わたしは、まるで他人事のようにその歪なフィールドをしばらく眺めていた。
それ以降も試合は続き、緑谷くん対轟くんの因縁の対決がはじまった。
「焦凍ォォオオ!! やっと己を受け入れたか! そうだ! 良いぞ!! ここからがお前の始まり! 俺の血をもって俺を超えて行き……俺の野望をお前が果たせ!!」
ナンバー2ヒーローのエンデヴァーが、自身の息子──轟くんへと激励を飛ばしている。驚くクラスメイトを他所に、わたしはお兄ちゃんを呼ばなくて本当に良かったと、ひとり胸を撫で下ろしていた。
親バカとくくるには、明らかに常軌を逸した行動を白い目で見やる。轟くんの冷たい向上心には、確実にあの親が一枚噛んでいるに違いない。
その後、緑谷くんと轟くんから放たれた全力の攻撃により、観客席まで爆風が押し寄せた。そうして勝利を収めたのは、轟くんだった。
吹き飛ばされた緑谷くんの身体は、かつてないほどにボロボロで救護ロボによって運ばれていく。わたしはすっと席を立ち、お茶子ちゃんと飯田くんへ後ろから呼びかけた。
「様子、見に行かない?」
「うん! デクくん心配やっ」
「ああ、もちろんだ! 俺も行こう」
すると梅雨ちゃんと峰田くんも立ち上がり、わたしを呼び止めた。
「名前ちゃん、私も行くわ、ケロケロ」
「俺も行くぜ!」
振り返り、力強く頷いて、わたしたちはリカバリーガールの元へと駆け出した。
観客席横の階段を上がるとき、爆豪くんから「ケッ」という小さな嫌味が聞こえたけれど、知らないフリをして彼の横をそっと通り過ぎた。
誰、だろう──?
リカバリーガールの待機する出張保健所へ赴くと、そこには見たことのない高身長の男性が緑谷君の傍に立っていた。心配そうに横たわる彼を見つめている。
目があって、軽く会釈した。
リカバリーガールの助手にしては白衣も着てないし、学校の事務員さんだろうか。わずかだが、彼はわたしと目があってから慌てているように見える。
黒いビジネススーツ、その曲がった背格好の男性が「びっくりした……」と小声でつぶやくのを訝しげに眺めてから、緑谷くんへと視線を戻した。
両腕に巻かれた包帯は痛々しく、額からは大量の汗が吹き出ている。
「みんな……次の試合、は……」
小さく唸るように声を上げる彼を見れば、かけようとした言葉も思わず引っ込んでしまうほどだった。
みんなからの心配する声に、リカバリーガールが横槍を入れる。
「うるさいよホラ! 心配するのは良いが、これから手術さね!」
「「シュジュツ──!?」」
結局、わたしたちはボロボロの緑谷くんとほとんど会話をすることなく、その場を追い出されてしまった。
それにしてもあの男性、なぜかとても引っ掛かる。
いったい何者──?
「ねえ、お茶子ちゃん、あの人知ってる? さっき居たスーツの人」
「ううん。うちも誰かなーとは思ったけど」
「……そっか」
まあ、いい。緑谷くんが目を覚ましたら、聞いてみればいいだけのこと。わたしはそれよりも、次の対戦相手である踏陰くんのことで頭がいっぱいだった。