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二十五、踏陰くんとダークシャドウくん
「負けないよ、踏陰くん」
別段、脅威ではない。奴から放たれる矢そのものは、細く小ぶりだ。そもそも刺さったところで、俺のダークシャドウにはあの程度の攻撃、無害に等しい。
と、思っていた、はじめは──。
奴とは、放課後に許可をもらって行っていた自主訓練が、たまたま隣だった。鍛錬の場こそ同じだったが、実際に手を合わせたことはない。強いて言うなれば、奇妙な矢を放つ彼女を、そっと横目で確認した程度だ。
以前の屋内戦闘訓練──推薦入学の轟と八百万を打破した爆豪との共闘では、カラスを巧みに操り戦況を打破する索敵要員ではあったが、あのとき轟へ直接手を下したのは爆豪。正直なところ、彼女の戦闘力が優れているという印象は薄い。
つまり俺は、奴のことを完全にみくびっていたわけか──。
あれは、さらなが太陽の光だ。彼女から放たれる矢は、まるで光を集めて凝縮したような代物だった。
いったい、どういった原理だ。なぜ羽をちぎっただけで矢に変貌する。それよりも、あの弓、いったいどこから湧いて出た?
つい先刻、突然放たれた光に目をすぼめたとき、彼女の左手にはすでにあの弓が顕現していた。
空高く飛ぶ彼女は、一向にこちらへ降りてくる気配はない。──くっ、こんなにも一方的なのか。目の前で及び腰になった相棒の背中が、俺に少しの焦りをもたらす。
「ただの矢だ、案ずることはない! ダークシャドウ」
「踏陰! 俺、あいつの矢、嫌いだ! 痛ェんだよ!! すっげェ痛ェんだよ!!」
「とにかく奴を誘き寄せて、なるべく接近戦に持ち込み──くっ!」
フィールドに刺さった矢に、一瞬、足を取られた。そこからは瓦解するように戦況が傾き、気づけば俺はフィールドの外へと蹴り飛ばされていた。
「……お前を、完全にあなどっていた」
そう言って、彼女から伸ばされた手を掴んだ。想像よりも軽やかに立ち上がった自分の身体に、大きな怪我がないことを知る。会場には彼女を讃える大きな歓声が沸き起こっていた。
「でも踏陰くんには練習姿見られてたし、わりと緊張してたんだよね、わたし」
そう言って苦笑いをこぼす彼女。こちらが口を開くと、俺よりも先に、腹から出た相棒が涙目のまま怒鳴り始めた。
「名前ー!! なんてことすんだよ、この野郎ッ!!」
「わっ! ごめん、ごめんって~~」
やたら親しげに話す二人を前に、試合が始まる前は、相棒が彼女に手加減こそしないか心配していたのだったと思い出す。杞憂だった上に、完膚なきまでにしてやられたな。
「みっともないぞ、ダークシャドウ」
「つーか最後、お前が転けたんだろ、踏陰!」
「まあまあ、今度甘いものでも奢るから! 機嫌直して……ね?」
それは事実上、自分との二人きりの逢瀬になってしまうのだが──。俺は沸き起こった邪心を、紳士の心でそっと胸の奥に仕舞い込んだ。
耳のプラグを手でこねくり回しているところに、二人が帰ってきたのを見つけて、手を上げた。
「名前ー! おつかれー。常闇も」
「ありがと、響香」
「存外、手酷くやられてしまった」
「そんなことないよ! 踏陰くん、手強かった~」
──ん? フミカゲくん?
頭に沸いた疑問は近くに座っていたみんなも同じだったようで、間髪入れずに上鳴の叫びが轟いた。
「ええええぇぇ!? ちょ、苗字、なんで常闇のことは名前呼びなワケ!? 距離近すぎじゃねえ!?」
「確かに! 最近よく話してるしよー、俺も気になってたわ」
瀬呂がしたり顔で追い込みをかけたけど、当の本人はきょとん、として空いている席につく。常闇も自然な流れで名前の隣に座った。
「え、だって常闇くんだと、どっちを呼んでるかわからないかなって思って」
「「「…………は?」」」
どゆこと──?
思わぬ返答に、みんなが固まる。
「それにダークシャドウくんは名前で呼んでるんだから、踏陰くんって合わせた方がいいでしょ? 常闇くんだと、踏陰くんだけに距離置いてるみたいで、なんか変だし」
「……どんな理屈だ、それ」
砂藤からの静かなツッコミが入る。名前の奥で、常闇が額に手を当てていた。それを見て、思わず吹き出す。
「ぷはっ……ハハハハ!」
腹から込み上げる笑いを止めることもできず、わたしはそのまま名前に問いかけた。
「いや、ダークシャドウは別にっ、苗字が常闇ってワケじゃないでしょっ」
すると、それを聞いた名前の表情がピタリと固まった。
「え…………そうなの? 踏陰くん」
名前が目を大きく開いたまま、となりに座った常闇に視線を移した。ふん、と鼻から息を漏らす常闇。その顔には、呆れてものも言えぬ、と書かれている。
「名前ちゃん、そういうところあるからなぁ~」
麗日からの苦笑いが伝播して、さらに笑いが込み上げた。
「名前! ちょ、もう、ヤバすぎっ!」
時折見せる名前の不可解な行動に、自分はもう随分前から彼女の虜になっているような気がした。