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二十七、ライバル
正面から普通に対峙して、勝てる相手じゃない。そんなことはわかっている。
わたしは黒い怪物の腹の中から幾度となく放った矢が未だに決定打を打ち込めていないことに、少しの焦りを感じていた。
きっと彼は、いくら腕を負傷しようとも意識を失うまで立ち向かってくるだろう。そんなことは想定していたんだ。……が、正直なところ、わたしには急所に打ち込む以外で相手を行動不能にさせる術がない。
じりじりと消耗させて彼の体力を削り、ここぞというタイミングで蹴り落とすか? 喉元に矢を押し当てれば、さすがの爆豪くんも降参してくれるだろうか?
「クソが!!」
爆豪くんの止まない爆破に、仲間もジリジリと削られつつある。ボトボトと落ちてゆくカラスたちに、心が揺らいだ。──後で、必ず治してあげるからね。
仕方ない、こちらから仕掛けるしかないか。
わたしは乾いた唇をぺろりと舐めて、瞼を閉じた。
落ち着け、大丈夫だ。爆豪くんの我慢も、そろそろ限界だろう。苛立った人間の視野は極端に狭くなる。それはまさしく、目の前に餌を置かれたまま待てを強いられた犬のように。
さあ、食いついてこい──!
胸の高鳴りが、どくん、どくん、と耳元で大きく鳴り始める。
わたしの翼を模したカラスたちが、切開するように怪物の腹を割った瞬間、暗闇から飛び出した。爆豪くんは無防備にもわたしに左半身を見せたまま、右手首に左手を添えている。
構えた弓矢が渾身の一矢を放つその刹那、緊張と焦燥で切っ先がわずかに震えた。
──今だ!
右手の指が弦から離れ、矢が光を放って爆豪くんの腕へと飛んでゆく。お願いだから、いい加減落ちてくれ!
しかしわたしの願いも虚しく、彼は視界の端で光を捉えてしまった。瞬時に獣の瞳と視線がかち合う。
「そこかァ!!」
彼が持ち前の瞬発力で、腕をこちらへと振り向けた。
ああ、ダメ!
わたしの放った矢は、向かい合った爆豪くんの顔へと飛んでいく。
パンッという音を立てて、光の粒が弾け飛ぶ。頭部に命中した矢の勢いで、彼は後ろへのけぞった。そのまま頭から地上へと落下していく。
刹那の出来事が、やけにゆっくりと感じられた。
「爆豪くんっ!!」
わたしはすべての臨戦態勢を解いて、落ちていく爆豪くんの身体に手を伸ばした。どうしようっ! 顔に、矢がっ!
伸ばした手が、彼の服を掴む。身体を抱え込もうとした瞬間、突如、伸びた手がこちらの胸ぐらを掴み返す。ハッと息をのんだ。
「っ!」
なぜか、天地が入れ替わる。細めた目に一瞬だけ澄んだ青が映ると、彼の右手から放たれた爆破で、わたしはそのまま地上へと叩きつけられた。
「……ハァ……ハァ……ツメが甘ェんだよ、テメェは!!」
瞼を開くと、爆豪くんがわたしの上に馬乗りになっていた。わたしの首に掛けられた彼の手は燃えるように熱くて、その腕は流れる血でべっとりと濡れている。
肝を冷やした最後の矢は、彼の頬に一本の赤い線を残していた。それを確認すると、身体からすべての力が抜け落ちる。
ああ、よかった、ほんとうに──。
大きく息を吸い込んだ。時間をかけて、ゆっくりと吐き出す。
「……まいり、ました」
わたしは組み敷かれたまま、そっと両手を上げた。
『苗字さん、降参! 爆豪くんの勝利!!』
「……アァ!? なに勝手に降参してんだよ! 俺はまだテメェに傷一つつけちゃ──」
腕を伸ばし、人差し指で彼の言葉を制した。唇に指を当てられた爆豪くんが、驚いて押し黙る。
わたしはそそくさと彼の下から抜け出して、血まみれの左腕を掴んで空高く突き上げた。不意に引っ張られた彼が、よろけながら立ち上がる。
「ばくごーくん、決勝戦進出、おめでとう!!」
「ア゛ァ!?」
『爆豪、勝───利!! これで決勝は、轟対爆豪に決定だァ!!』
「テメェ!! ザケんじゃねェ!! まだ終わってねェだろーが!!」
しかし爆豪くんの雄叫びを打ち消すように、会場からは大きな歓声が沸き起こっていた。わたしは彼の腕を力一杯持ち上げ、観客に向かって笑顔でもう一方の手を振る。
一瞬の隙をまんまと逆手に取られたが、ふしぎと悔しさはない。勝ちを貫く彼に、勝利の女神がほほ笑んだだけだ。
しかし一生懸命に手を振っていると、突然、カクンと視界が傾いた。──あ、ヤバい。
急激に襲いくる眩暈に、足元が力を失ったように崩れ落ちる。
唐突に広がってゆく白んだ景色の中で、お兄ちゃんの心配する顔が浮かんだ。だめだ、また心配かけちゃう。
しかし身体は、なぜか衝撃を受けることはなかった。左の手首にだけ圧迫感を感じる。頭上から「チッ!」という舌打ちが聞こえたかと思えば、身体がふわっと宙に浮いた。
鉛のように重くなった瞼の隙間に、爆豪くんの顔とぼやけた青空が映る。
「カラス……いっしょ、……おねがい」
「わかっとるわ。……だァーってろ」
そんなこともわかってくれてるなんて、やっぱり爆豪くんはやさしいね。
「……あり……がと」
彼の腕の中は温かくてふわふわで、ほのかに甘い香りがする。心地よい感覚に身を委ねていると、やがてわたしの意識はゆっくりと遠のいていった。