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カラオケと帰り道

「えー! 麗日来れなくなったのー?」
「うん、今朝ご両親がお茶子ちゃんの家に来てくれたんだって。みんなにもごめんって伝えて欲しいって言ってたよ」

 電話口で謝罪を口にしながらも、嬉しさを滲ませたお茶子ちゃんに、よかったね、という言葉が自然と口から出た。いつだったか、食堂でランチを食べながら、お茶子ちゃんが恥ずかしそうに話してくれたご両親の話を思い出して、顔がほころぶ。

「ま、気を取り直して今日は6人で楽しもー!」
「「おー!!」」

 三奈ちゃんの掛け声に透ちゃんと腕を組みながら答えたら、「名前ちゃん、今日はとっても楽しそうね」と梅雨ちゃんが横から顔を覗かせた。たしかに、市内の繁華街、賑わう街中に浮かれて気が大きくなっているかもしれない。

 だって女の子だけでお出かけなんて、ワクワクが止まらないんだもん! 昨晩、嬉しすぎてお兄ちゃんに報告の電話を入れたほどだ。少しくらい浮かれたってバチは当たらないさ。

 なにより、今日は久しぶりのカラオケ! いっぱい歌うぞー! と息巻いて透ちゃんと繋いだ手をブンブンと振り回していたら、透ちゃんの隣から響香がわたしの首元を覗き込んだ。

「名前、それ、もしかしてゼンハイザー?」

 その瞳には、煌めきを宿している。いつかと同じようなやりとりだ。あの時は、マイク先生だったっけ。

「そうだよ〜、かっこいいでしょ!」
「マジっ!? ウチもそれ狙ってんだ、音質どう?」
「もうね、サイッコーに良いよ」
「ヤバっ、後でちょい聴かせてよ」
「もちろん!」

 大きな商店街の中ではしゃいでいると、数歩先を行く百ちゃんが振り返って手を挙げた。

「みなさん、こちらですわ!」

 なんてレディな姿なんだ──。商店街とは少し場違い(というか格の違い?)の麗しい格好をした百ちゃんに、わたしは「はーい!」と思わず翼も両腕も広げて返事をした。


「名前、めっちゃ歌上手いじゃんっ!」
「お兄ちゃんとね、よく行ってたんだ〜」
「え、名前、お兄ちゃんいるの?」

 右を響香、左を三奈ちゃんに挟まれたわたしは久しぶりのカラオケにヒートアップして、つい兄のことが口から洩れてしまった。まあ別に、兄がいることくらいはバラしたってなんの問題もないだろう。

「うん、いつかみんなにも紹介できたらいいんだけど……すごくカッコいいんだよ」
「わー、名前、なにげにブラコンじゃん」
「ぶ、ブラコンじゃないよ! 尊敬しているって意味っ!」

 にやりとしていた響香が、アハハ!と破顔する。揶揄われたのだと分かると、顔に熱が集まった。

「んーもうっ! 揶揄うならヘッドフォン貸してあげないぞー」
「ごめん、ごめんってば!」

 笑いながら耳のプラグでわたしをつつく姿に頬を膨らませると、彼女はさらに笑って「ほらほら、もっと歌って」とデンモクを渡してくる。そんな響香だって、一曲しか歌ってないのにべらぼうに上手くて、こっちが腰抜かしたっていうのに──。

 じとりと睨んでも、響香はなんのこれしきといった風にわたしの野次をかわすのだから、なんだか彼女には一生勝てないような気がしてくる。

「うー! 今日はいっぱい歌うぞー!」

 悔し紛れに片腕を挙げて気合を入れ直したわたしを見て、響香はさもありなんと横からマイクを渡してくるのであった。

 その後も、梅雨ちゃんの蛙の歌に癒されたり、三奈ちゃん透ちゃんとアニソンを歌ったり、百ちゃんの讃美歌に驚いたり、響香とロックンロールしたりしていると、あっという間に夕方になってしまった。

「ぐわー、あっという間に休日が終わった〜」
「ほんとだね〜、今日は誘ってくれてありがとう透ちゃん」
「とっても有意義なお時間でしたわ」
「どういたしまして! 今度はお茶子ちゃんも一緒にみんなで来ようね!」
「だね、またみんなで来よう」

 こうして人生最高の一日を終えた私は、意気揚々と帰りの電車に飛び乗る。向かいのホームに立つみんなに電車の中から大きく手を降った。みんなの姿が見えなくなるまで、窓に張り付いていると、後ろから聞き慣れた声が耳を掠めた。

「苗字か?」

 その声に思わず振り返る。そこにはなんと、私服姿の轟くんが立っていった。


 えーと、どうしてこうなったんだっけ……? と、わたしは現在の不可思議な状況を振り返る。

『悪い、ちょっと時間あるか』

 そう言われて何事かと思いながらこくりと頷くわたしを連れて、轟くんはわたしの家の最寄駅で降り、そのままとぼとぼと歩き始めた。わたしの家の最寄駅と言ってもそれはつまり学校の最寄駅でもあるわけで、ただ丁度良かったからそこで降りただけなのだろう。彼はそのまま住宅街の中の小さな公園に入ると、近くにあったベンチに腰かけた。訳もわからず、わたしは人一人分のスペースを空けて、彼の隣に座る。

 そうして、現在に至る。

 いったい、なにごとだ──?

 先ほどの楽しい時間とは打って変わって、ひどく重々しい空気が漂う。夕刻、西陽の差す公園には遊具の影が長く伸びていた。幼い子供たちが、バイバーイ!と大声で叫びながら公園を後にしていく。徐々に人気の無くなっていく公園を前に、どくどくと強く脈打っていた心臓が、今度は耳元でさらに強く鳴り始めた。

 もしかして。体育祭でわたしが爆豪くんに負けてしまったから、文句でも言いたいのだろうか? お前、俺が宣戦布告したのに先に負けやがって、とか? いやいや。そんなこと言われても。わたしは一体なんて返したら──、

「悪かった」
「……へ?」

 予想外の言葉に、思わず呆気にとられる。

「戦闘訓練で負けてから、ずっとお前に変な対抗意識もってた」
「……あ、うん」
「緑谷にいろいろ言われて、少し、思い直した」
「…………」

 

『君の、力じゃないか!!!』

──緑谷くんの、あの、言葉だろうか。

 観客席でたしかに聞いた、緑谷くんの叫び。そして、エンデヴァーの口にしていた”野望”という言葉の意味。わたしは自分の頭で弾き出した答えが、あながち間違ってはいないんじゃないか、という思いに自分でも驚いていた。

 直接聞いたわけではないが、きっと轟くん家は、なにか家族間での問題を抱えているのだろう。彼が”左”を使いたがらない理由からも、それは明らかだった。

 誰にも負けられない、負けたくない。滲み出ていたわたしへの対抗心も、どうやら”わたしだから”という意味ではなかったようだ。

 ただ、クラスメイトに言われた一言で、ここまで態度がガラリと変わるものだろうか──? わたしは自分の中に湧いた疑問を、素直に彼にぶつけてみた。

「……なにか、あったの?」
「……?」
「言い方悪いかもしれないけど、……その、憑き物がとれたみたいな顔してるから」
「……ああ、」

 長い沈黙のあと、轟くんはぽつりぽつりと自らの家事情を話し始めた。

 父と母が結んだ個性婚。それによる父親との確執。追い詰められた母から受けた火傷。そして、今日、数年ぶりにお母さんと会えたこと。笑って、赦してくれたこと。もう一度、彼が理想のヒーローを目指すために、これから背負っていくもの──。

 すべてを話し終えた轟くんは、電車の中で会った時よりも、少しだけ穏やかな顔になっていた。体育祭で宣戦布告されたときとは、まるで別人のようだ。

「……話してくれて、ありがとう」
「いや、俺の方こそ悪い。お前には関係ねぇことなのに」

 数年ぶりの母との再会が、彼の中でどれだけ大きな出来事だったのか──。それはさわりだけを聞いたわたしには到底理解の及ばないことなのだけど、そんなわたしだからこそか、母の話をする轟くんが幼い少年のように思えた。今日こんなうれしいことがあったんだよ、と話を聞いて欲しくてたまらない少年のように。

 今なら言えるかもしれない。初めて会った時から思っていた、あることを。

「……わたし、初めて轟くんに会ったとき、とってもきれいな髪色だなって思ったんだ」
「髪?……ああ、たまに言われるな、それ」

 唐突に話を切り替えたわたしに驚いたのか、正面を向いていた轟くんがこちらを向いた。「こっちは母親譲りなんだ」と言って、右の髪を薄く掻き上げる。

 いつの間にか日も暮れて、薄暗い公園には街灯の灯りだけが辺りを照らしていた。右側の白い髪が、少しだけ暖色光に染められている。

「……そっちもきれいだけどね、わたしはこっちが好き」
「…………」

 反対側の紅い髪を指刺すわたしに、轟くんは少しだけ眉を寄せた。

「……俺は、こっち側は嫌いだ」
「ふふ、そういうと思った」

 でもね、轟くん──、

「わたしは轟くんの紅い髪を見ても、轟くんのお父さんのことは思い出さないよ。轟くんの紅い髪がきれいだなって、そう思うだけ」
「…………」
「轟くんは、轟くんだから」

 そう言ってわたしが笑うと、彼はまた少し押し黙って「……そうか」と小さく答えた。

 陽の落ちた公園に、おだやかな沈黙が訪れる。 

「……お前、家はこの近くなんだろ?」
「え、知ってたの?」
「ああ、緑谷たちと帰ってるのを見かけた。……日も暮れたし、送っていく」
「いや、いいよ! すぐそこだし!」

 恐れ多いと手を振ると「それでも、送る」と言って聞かない轟くんは、言い方は相変わらずぶっきらぼうなのに、先ほどよりも更におだやかな表情になっていた。

 その顔がとてもきれいで、わたしは見惚れた恥ずかしさで俯きながら、なぜかそのまま勢いで首を縦に振ってしまうのだった。

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