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三十、コードネーム
「おはよう」
そう言って教室に入ってきた相澤先生の顔からは、USJ襲撃以降ずっと巻かれていた包帯がきれいに取り除かれていた。
「ケロ? 相澤先生、包帯取れたのね。良かったわ」と漏らした梅雨ちゃんに「婆さんの処置が大袈裟なんだよ」と言って顔を掻く先生。
久しぶりに見えた相澤先生の顔に、わたしも心なしか頬がゆるむ。
「んなもんより今日の〝ヒーロー情報学〟ちょっと特別だぞ──『コードネーム』、ヒーロー名の考案だ」
教室内から「胸ふくらむヤツきたあああ!!」と雄叫びが上がれば、パッと逆立つ相澤先生の髪と、すぐさま静まるクラスメイトたち。
もはや、このやり取りがある種の挨拶みたいになっていて少し笑える。
「というのも、先日話したプロヒーローからのドラフト指名に関係してくる」
今回受け取るプロからの指名は将来性に対する興味に近しいことを念押しした上で、相澤先生がドラフト指名の結果を発表した。
「例年はもっとバラけるんだが、三人に注目が偏った」
結果はなんと、体育祭で三位だったわたしが二八七一票でトップ、次いで轟くんが二七六四票、三番目が爆豪くんで二〇四四票だった。そのあとは、飯田くん、踏影くん、百ちゃん、切島くん、お茶子ちゃん、瀬呂くんと続いている。
これはがんばった甲斐があったよ、お兄ちゃんっ! と心の中でガッツポーズを決めていると、前の席の百ちゃんが振り返った。
「さすがですわ、お二人とも」
「ありがとう百ちゃん、がんばった甲斐があった~」
「俺のはほとんど親の話題ありきだろ……」
喜ぶわたしとは反対に、不満そうな轟くん。
離れた席ではお茶子ちゃんが泣きながら飯田くんの肩を揺らして喜んでいる。かわいい。
「この結果を踏まえ、指名の有無に関係なくいわゆる職場体験ってのに行ってもらう。お前らはUSJンとき一足先に敵との戦闘を経験してしまったが、プロの活動を実際に体験してより実りのある訓練をしようってこった」
なるほど、それでヒーロー名の考案か。
「まぁ、そのヒーロー名はまだ仮ではあるが、適当なもんは──」
「付けたら地獄を見ちゃうよ!!」
突然教室の扉が開き、ミッドナイト先生が入ってくると教室内が一気に色めき立った。
「学生時代につけたヒーロー名が世に認知され、そのままプロ名になってる人多いからね!」
「まァ、そういうことだ。その辺のセンスをミッドナイトさんに査定してもらう。俺はそういうのできん。将来自分がどうなるのか、名を付けることでイメージが固まりそこに近づいていく。それが『名は体を表す』ってことだ。〝オールマイト〟とかな」
前列から回ってきた白いボードに、わたしはすぐさま自分のコードネームを書き込んだ。
みんなが順に発表していく中、踏影くんと被っていないことを確認して、彼の次に手を挙げた。
「……えっと、決めてました。レイヴン、です」
わたしがボードを出すとクラスメイトからは「おー!」と声が上がり、そこそこに好印象だった。まあ、本当に見たまんまだ。
「うん、とってもすてきね! 苗字さんっぽくて私も好きよ」
レイヴン──正直、わたしが希望したヒーロー名ですらないし、公安では既にこの名で呼ばれているから今更変えようもないのだが、それでもみんなに受け入れてもらえそうで、ほっと胸を撫で下ろした。
教壇から降りるとき、黄色い寝袋に入った相澤先生と一瞬目が合ったが、気にせず席に戻る。
どうせ先生たちも知ってるんだろう。
それでもわたしにはミッドナイト先生のさり気ない褒め言葉が、存外嬉しかったりするんだ。だから、これでいい。
そうしてほぼ全員のヒーロー名が決まった頃、相澤先生がのっそりと起き上がった。
「さて、全員のヒーロー名が決まったところで、話を職場体験に戻す。期間は一週間、肝心の職場だが指名のあった者は個別にリストを渡すからその中から自分で選択しろ。指名のなかった者はあらかじめこちらからオファーした全国の受け入れ可の事務所四〇件、この中から選んでもらう。それぞれ活動地域や得意なジャンルが異なる。よく考えて選べよ。そんじゃ、まずは苗字、取りに来い」
「はいっ」
呼ばれて教壇まで行くと、分厚い冊子みたいになったリストを先生が差し出した──これが、わたしへの期待。近くで見るとその厚みに嬉しさが増して、リストにそっと手を伸ばす。
しかし手にした冊子から、なぜか強い抵抗を感じた。
──ん?
思わず先生の顔を見上げる。右目の下にできた傷がぴくりと動いて、そのままじーっとわたしの顔を眺めている。え、な、なに?
こちらが小首を傾げると、先生がいつもより低い声でゆっくりと呟いた。
「よーく、考えて選べよ」
「う、……はい」
なるほど。わたしの魂胆は見え見えというわけか。
思わず渋い声が出て、ふいと顔を逸らしてリストをもぎ取り、そそくさと自席に戻る。
これは方法を考えないとな。
わたしはリストの中身よりも、書類の〝提出方法〟について頭を悩ませ始めた。