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四十五、決意と覚悟を

 あの時とは違う。今度は戦って勝たなきゃいけない。
 もしくは逃げ切るか。人それぞれ会場が異なるようだけど、わたしが逃げられるようなフィールドだろうか。
 
 いや、きっと飛んで逃げて終わりなんて、そんな簡単な試験じゃないだろう。入試の時とはレベルが違うはずだ。
 
 
 
 陽の差さないモニタールームは、画面の向こうの喧騒と隔てるように静寂が響いていた。
 
「相手があのオールマイトじゃ仕方ねえが……一方的だな」
「ケロ……」
「いや、きっと大丈夫さ。緑谷くんたちなら」
「そうだよ! デクくんなら、きっとっ」
 
 最悪のチームワークで始まった演習試験は、蹂躙されるだけの時間から脱した。わたしたちが知り得ない何かをきっかけに、犬猿のふたりが阿吽の呼吸で歩み出してゆく。
 
『どいてください、オールマイトッ!』
 
 緑谷くんの渾身の一撃がオールマイトの頬に撃ち込まれたその時、長く息を潜めていたモニタールームに歓声が上がった。爆豪くんを脇に担ぎ走り抜ける緑谷くんは、無事にゴールを通過してゆく。
 
『緑谷・爆豪チーム、条件達成』
 
 十戦目の終了を告げるアナウンスが、軽やかに鳴り響いた。
 
 その瞬間、ふわりと吹き抜けた初夏の風。閉鎖空間に高まっていた熱気が、背後の扉から一気に流れ出た。
 
 お迎えがきたようだ。
 
「苗字」
 
 わたしを呼ぶ、おだやかに厳しさを突きつける声。
 
「相澤先生」
 
 思ったよりも小難しい顔をしている先生の顔に、思わずふっと力が抜ける。先生がそんな顔しなくてもいいのに。
 
「話は聞いたか」
「はい」
 
 なぜわたしだけ一人なのか、なんて。そんな野暮な質問はしない。
 さらに高みへ。そう望むのはここにいるクラスメイトたちだけじゃないもの。
 
「なんか……そんな気がしてました、正直」
「入学の日、言っただろ。雄英は三年間、全力でお前たちに苦難を与え続けると。これはお前の能力に応じた試練。プルスウルトラさ」
 
 ふしぎと、踏み出した足に震えはなかった。
 だってわたしはひとりじゃない。今は、背中を押してくれる仲間がいる。
 
「名前ちゃん! 応援しとるよっ」
 
 お茶子ちゃん。
 
「ケロッ! 名前ちゃんなら、きっと突破できるわ」
 
 梅雨ちゃん。
 
「ええ。名前さんならきっと。信じています」
 
 百ちゃん。
 
「……俺はまだ納得してねえけどな」
 
 轟くん。
 
「まあ、苗字くんだけだからな、ひとりでの演習試験は。しかし君ならきっと突破できる。俺はそう信じている!」
 
 飯田くん。
 
 心に、やさしい炎が灯った。
 この気持ちはそう、初めて大空へと飛び立ったときの、あの感覚に似ている。
 
「苗字」
 
 すべての淀みを振り切って、わたしがこの空の主なのだと感じる、あの高揚感に。いたずらにたぎる、あの熱狂に。
 
「思い切りやってこい」
 
 相澤先生は、わたしが困難を乗り越えることを期待している、そんな顔をした。
 
「はいっ!」
 
 その期待に応えたい。だから、立ち向かうんだ。
 目の前に突きつけられた苦難へと、全力で。
 誰よりも強く、速く、あの背中に追いつくために──。
 
 
 
 グラウンドβに設置されたわたしのための箱は、変わらぬ陰湿さと共にそこにあった。外は気持ちいいほどの洗濯日和だというのに、足元から立ち籠めるこの湿気の匂い。その中で、黒いマントが〝待っていました〟とばかりにこちらを振り返る。
 
「来タカ」
 
 窓のない密室に通されて、出口はヴィランの向こうにひとつのみ。ガチャンと閉められた重厚な扉が容易には開かないことを、わたしは知っている。
 
「遠慮ハ必要ナイ。コチラモ全力デ挑ム所存」
 
──遠慮は要らん。本気でかかってこい。
 
 意識の中に刻まれた言葉が、降り立つように現世へと折り重なる。
 そう、わたしの試練はここからはじまった。
 
「はい。全力で行きます」
 
 泥濘ぬかるみを吹き飛ばすように叫んだ。
 廃墟の静けさが、吐息の音を拾う。
 
『苗字、演習試験。レディゴー!』
 
 待ちわびたゴングが、高らかに鳴り響いた。


 エクトプラズム。個性、分身。
 口からエクトプラズムという物質を出し、任意の位置で本人に化けさせられる。一度に出せる数は大体三十人。まあこの部屋で出せるのは、広さを考えてせいぜい四、五体程度だろう。
 
 弱点は、喉元。個性の発動箇所を狙う。
 それと、義足。相手は狡猾なヴィランだ。抜かりなくいこう。
 
 エクトプラズムという物質が一体どんなエネルギーなのかは解らない。だけど、先の戦闘ではダークシャドウくんの一振りで分身が消滅していた。つまり攻撃は当たるし、衝撃にはさほど強固でもない。
 
 踏影くんの強みは、間合いに入らせない射程範囲と素早い攻撃。けれど裏を返せば、間合いにさえ入れば脆い。彼と同じ弱点を持つからわたしだからこその、この組み合わせなのだろう。
 
 数と、神出鬼没が強みの敵。しかし、この狭いフィールドでは神出鬼没ではない。つまりわたしに試されているのは──。
 
 近接戦闘、その一択!
 
 
 
 ゴングと共に吐き出された靄から、シューっと音を立て四体の分身が姿を現した。瞬時に弓矢を構える。その切っ先へと、手前の二体が忍び寄る。
 
 速い!
 
「「コノ距離デハ、弓矢ナド無意味!」」
 
 左右から一体ずつ振り翳された義足が迫る。
 
 低い室内を跳び上がり、構えていた矢を弓から離した。反転した世界で天井を蹴り上げる。
 一体の脳天へと矢を突き立てた。一瞬よぎる、いつかの脳無。ブスリ。容赦無く刺した脳天がフッと靄へと還る。
 勢いそのままに地面へと舞い降りた。片足のもう一体を回し蹴りで振り抜く。
 
 後ろへとよろけた隙は逃さない。シュン、と二本目を放つ。矢が敵の眉間に打ち込まれた。霧散する。
 
 しかし消滅したのは束の間の二体。無限に湧いて出る敵に、消耗するのはわたしの方だ。
 できる限り早く、本体へと近づかねば。後方の二体がわたしを攻撃圏内に収めている。
 
 本体はまだまだ後ろで見物か──。
 
 一瞥した先に、大きく口を開くその姿が見える。
 アレをやらなくては無限ループだ。急ぎ三本目の矢を放った。
 
 しかし、ビュン、と分身の隙間を縫った矢は、さながらスローモーションのごとく本体の喉元できれいに止まった。磨かれた反射神経、プロヒーローの俊敏さに正面から立ち向かおうなんて甘かったか。
 
「素早さには、そこそこ自信あったんですけど」
「甘イナ」
 
 矢を素手で掴まれては弓使いとしての名折れだ。勘弁してよ。
 
 迫り来る二体と、新たに現れた二体が包囲の輪を縮める。
 四体で攻める戦法か──? 
 
「サア、決メルンダ。決意ト覚悟ヲ!」
 
 襟元を掴まれるような緊迫感の中で、翼が空気の揺れを捉えた。
 頭にちらついたのは、いつかの勝ち気なバニーだった。

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