「えー！ 心操くんも７月が誕生日だったの？ 言ってよー」
「いや、なんでだよ」
「なんでって、クッキー焼いてきたのに」
「クッキー？」

　七夕の日はプレゼントマイクの誕生日だったようで、苗字はクッキーを焼いてプレゼントしたらしい。そう言われれば、クラスの女子が紙袋を携えてきゃーきゃー騒いでたな。あれはそういうことだったのか。

「クッキーなら一人分も二人分も変わらないからさ」
「なんか、ついでみたいな言い方だな……まあ、気持ちだけ受け取っとくよ」
「いやいや、気持ちだけなんてダメだよ。あ、そうだ。今度お買い物付き合ってくれない？」
「は？ ……いや、祝われるはずの俺がなんでソッチの予定に付き合うんだよ」
「え、ダメなの？」

　できれば次の週末がいいなぁ、とコッチの都合も無視して話を進める。苗字は、常々、こういう所がある。

　鍛錬の疲労で萎びていた翼がバサバサと音を立て始めて、はあ、とため息が出た。この様子じゃ俺の言葉なんかろくに聞いていないんだろ。まあ休日は自主練以外、特に予定もないけどさ。

──バサバサ、バサバサ、バサバサ

　額に手を当てて「まあ、いいけど……」と折れると、苗字の顔にぱっとあかりが灯った。

「やった！ 行きたいお店があったんだけど、一人じゃ行きにくくて。あ、ケーキのお店なんだけどね──」

　嬉々として話す姿を横目に、正直そこまで嫌じゃ無い自分がいちばん嘆かわしいと思う。

　スマホの画面を見せてくるあたり、行きたい店があるのは本当のようで、映し出されているのはカフェスペースのあるケーキ屋のホームページ。トップには”あの人気ヒーローとコラボ！”という黄色い広告が目につく。ケーキはちょっとPFCバランス的に良くない気がするが、まあ、たまにならいいか。

「……それ、大丈夫か」

　木陰でデバイス片手に仕事をしていた先生が、突然、俺らの間にすとんと座った。普段、休憩中の先生は俺たちの会話にはあまり入ってこない。仕事してるか、仮眠とってるか。それなのに今日はどうしたんだろう。もしかして、よほどケーキがダメなのか。

　案の定、苗字が首を傾げた。

「え、なにがですか？」
「……お前じゃなくて、心操が」
「へ、俺ですか？ ああ、食事バランス的に、ですよね」
「いや、そうじゃない」
「え？」

　それなら尚更、どういう意味だ。こういう話題には「そんな時間あんなら自主練しろ」とでも言いそうな先生が割ってはいるほどの危惧がなにかあるのだろうか。

「ひっどーい。先生、わたしが心操くんを荷物持ちにすると思ってるんでしょ。そんなこと……しませんから！」

　一拍あったな、今。

「いや……まあ、なんでもない、ゲホッ」

　意味深な態度の先生は、最近風邪気味のようでよく咳をしている。夏風邪か？ 夏はこれからだけど。まあ、なにはともあれ、なるべく先生の手を煩わせないように自主練した方がよさそうだ。

「こっちこっちー！」

　飛び跳ねながら俺に向かって手を振る苗字は、当たり前だが制服を着ていなかった。

　正直なところ、昨晩、少し悩んだ。女子と一対一の外出は、いわゆる、デートというやつに該当するんじゃないかと思って。ついでに、何を着ていけばいいのかで。（いや、マジでほんの一瞬だけ。決して浮かれてはいない）

　そんな俺の格好は、黒めのシャツに黒スキニーという無難な様相に落ち着いている。それに対し苗字は、リネン素材の白いシャツに白いスキニー。見たところバッグもなく、荷物は肩から下げたスマホだけだ。俺の色が反転したかのようなコーディネートに少し違和感を覚える。ちょっとカップルコーデに、見えなくもない。いや、見えてたまるか、揃えてない。

「……真っ白だな、苗字」
「心操くんは真っ黒だね」

　ふふふ、と笑う顔から視線を逸らす。首の後ろが、妙にこそばゆい。

「で、どこ行くんだよ。こんなデカいとこ呼び出して」

　巨大なショッピングモールは、おそらく100以上の店舗が軒を連ねている。こういう人混みには、俺は用がある時にしか来ない。無駄に疲れるから。

「この前見せたコラボケーキっ」
「ああ、言ってたやつか」
「ダメだった？」
「……別に、そうは言ってない」
「あっちだよ！」

　俺の話なんか半分聞いているようで聞いてない苗字が小走りに駆け出した。こっちがダメでも行く気満々だったろ。ったく、急に子どもみたいだな。なんて考えながら、俺はゆっくりと彼女の後を追った。

「おいしかったね〜」
「ごめん、ご馳走になって」
「ううん。わたしが食べたかったから、むしろ付き合わせた感じ」
「そんでも──」
「二種類どっちも食べたかったの！よかった〜、二人に写真おくろーっと」

　俺がご馳走になったのは三日月とウサ耳がデコレーションされたショートケーキだった。察するにラビットヒーロー、ミルコとのコラボなんだろう。たしかこの前まで苗字が職場体験に行ってたヒーローだ。

　本人に送るつもりなのか、彼女は俺のケーキをあーでもないこーでもないと角度を変えて何枚も写真を撮りまくった後「じゃあ、お誕生日おめでとう！」と付け合わせのおかずみたいな言葉を吐いて俺にケーキを戻した。その時のなんとも言えない気持ちがまた胸に蘇って、心がザワザワする。

　この様子なら、ご馳走になったことはあまり気負いしなくてもいいかもしれない。……けど、まあ。

「アンタは誕生日いつなの」
「あ、お返しとか要らないよ」
「……でも貰ったまんまだと気持ち悪いだろ」
「いいのいいの。あと、そこは”ありがとう”の方が素直でうれしいっ」

　ああ、そういえば、一番に言うべき言葉をまだ言ってなかった。

「……ありがとう」
「うんっ、どういたしまして！」

　連動するように黒い翼がばさりと動いた。この翼は彼女の喜怒哀楽をよく表すと知ってから、よく目がいくようになった。本当にわかりやすいヤツ──。

「あ、心操くん、笑った〜」
「笑ってない」

　その後、苗字のすすめで俺のランニングシューズを新調したり、トレーニングウェアのおすすめを聞いたり。逆に苗字の服の買い物に付き合ってたら、彼氏扱いされてちょっと焦ったり。

　こういう休日の過ごし方は新鮮で、というか初めてで。女の子とふたりで出かけることも、買い物に付き合ったり付き合わせたりすることも、なにかを一緒に選ぶなんて行為も。自分が想像してたよりは悪いもんじゃなくて。絶対に面倒だなんて考えていた自分を、少しだけ反省の煙にくゆらせた。

　そうやって新しい休日の過ごし方を身をもって体感しながら、ああ、人混みも思ったほどじゃないなんて感じ始めた頃だ。俺は彼女から驚くべき話を聞いた。