第四曲 TRUE LOVE 〜相澤〜
山田と知り合って早々に紹介された〝マイシスター〟と呼ばれる少女は、サポート科らしい作業着のつなぎを着ていた。
ヒーロー科まで名の轟くほどの美人とは、コイツのことか。
肩を組んで「ヘーイ! 俺の可愛い妹チャン、よろしく!」って。いや、妹じゃなく幼馴染で、そもそも血は繋がってないんだよな。つーか同い年だろ。どんだけ面倒くさい紹介なんだ。
バコンと強めに殴られた山田は、鼻を押さえてしゃがみ込む。
「……よろしくね、相澤くん」
「あんまりよろしくしたくないな、山田の知り合いなら」
「ウォーイ‼︎ 相澤、ソレどういう意味だよ⁉︎ つーか痛ェよ、名前! 加減を知れ、加減を!」
「このアホとは知り合いじゃない。たまたま隣の家に住んでるだけの赤の他人です」
「そうか、ならよろしく」
「辛辣ゥー‼︎」
まあ、こんな感じの出逢いだった。
「俺、白雲朧! よろしくな!」
白雲が混ざってからは、よく四人で騒ぎながら屋上で昼飯を食べた。
屋上がダメなときは、学食に走ったり、苗字の工房に入り浸ったり。基本は他愛もない話で馬鹿騒ぎしていた(主に山田と白雲が)。
苗字はさすが山田の〝妹〟なだけあって、人当たりがよく、外交的な人間だった。どこか筋の通ったカッコよさもあって、男の中で工具を握っているからなのか、負けん気も強い。
ただ俺は、たまに話題にのぼる苗字の告白話が、なんとなく得意じゃなかった。彼女はあまり話したがらないが、浮いた話はすぐに校内をめぐって〝兄〟である山田の耳に入ってしまう。
「ンで? 結局どしたの、ソイツ」
「断ったよ」
「シヴィー‼︎」
「いいじゃん名前、一回くらいならデートしてやれよ!」
「……タイプじゃなかっただけ」
「マイシスターのお眼鏡に叶わなかったワケね」
「そりゃ仕方ねーな! なあ、ショータ!」
「俺に振るな」
俺たちは遊ぶために雄英に入ったんじゃない。半人前ですらない俺たちに、恋愛なんて楽しむ時間はないはずだ。あと、そもそも興味もない。
「じゃあ、名前はどんな男がタイプなのよ」
ぬっと現れた香山先輩が話を複雑に傾ける。俺はこの人も恋愛話と同じくらい得意じゃない。
「どんなって、そんな急に言われても……」
「やーね。恋は突然落ちるものなのよ? はっきり定めておかないと、ろくな男が寄ってこないわよ」
「……えー、……んー、まあ、しいて言うなら」
「強いて言うなら?」
「……自分に甘くない人、がいいかな」
うわー、むっず、と吐き出した白雲が、でもなんかいーな、ソレ、と同調すると、苗字は、うんっ、とはにかむように微笑んだ。
その笑顔を見て、根拠のない考えが脳裏をよぎる。もしかしたら彼女には、すでに心に決めた人がいるのかもしれない、と。……まあ、だから何だという話だが。
俺たち三人がインターンに赴くようになった頃、白雲が将来は四人でヒーロー事務所を立ち上げようと言い出した。
慎重な姿勢を見せる俺のとなりで、苗字が、わたしもいいの? と控えめに尋ねる。
「当たり前だろ! 名前のサポートがなきゃ始まらねーよ!」
そう返された彼女が、花を咲かすように笑った。
「相澤くんもやろーよ!」
その言葉に俺は、考えておく、と返しつつも、頭の中では事務所にキャットタワーを設置するというしあわせな空想が広がっていた。
それからすぐに、俺と同じインターン先で、白雲は亡くなった。
訃報を伝えると、苗字は顔を真っ青にして、嘘だ、と言って飛び出した。飛び出して、そのまま戻ってこなかった。
数日後、葬儀に参列するとなって、久しぶりに顔を見せた彼女は、見るも無惨な姿になっていた。大きな瞳は真っ赤に血走っていて、瞼をパンパンに張らして。散々泣き尽くしたのだろう、声も掛けられないほどで──。
でも、ボロボロの彼女はたくましかった。
「朧を、ちゃんと見送ってあげようね」
「我慢しないで、相澤くん。朧のために、今日は泣いてあげようよ」
「私たち四人は、ずっと……ずっと一緒だもんね、ひざし」
棺の前で、最後まで声をかけ続けた苗字を、俺は心から尊敬した。両手で俺と山田の背中をさすりながら「朧は最後までヒーローだったね。よくがんばったね。えらいね」と。
俺たちが言いたくても言えないような言葉を、全部、掬い取ってくれた──。
それから俺は、取り憑かれたように鍛錬に打ち込んだ。放課後の自主練を欠かさず、身体に痣が増えようとも、捕縛布に血が滲もうとも、今まで以上に人目を憚らず。どんな苦難にも、独りで立ち向かっていけるように。
時を同じくして、苗字はプログラマーとしての頭角を現し、世界的ハッキングコンテストで入賞した。専門をソフトウェア開発に絞ったことが功を奏したらしい。詳しいことは俺にもよくわからない。私は、私のやれることで世界を変えていくんだ、と、エンジニアとしての心構えを語る姿が、誰よりも眩かった。
顔を合わせる機会が減っていく──。
当然だ、これが本来のあるべき学生の姿なのだから。
俺にとっての衝撃的事件は、そんな最中に起こった。
最近、あまり顔を見せなくなった苗字が、気になっていた。
元気にしているだろうか──。
先週、久しぶりに目にした彼女は、痩せた身体がさらに細くなっていて。ちゃんと食ってるか、とそればかり口うるさく注意してしまう俺に、相澤くんこそちゃんと食べてよね、と笑う顔が、溜まっていた俺の疲れを吹き飛ばすようで、心地よかった。
たまには三人で一緒に昼飯を食おうと、口をついて出た俺からの誘いに、彼女はとびきりの笑顔で頷いてくれた。
しかし翌日、俺は日々の鍛錬の無理がたたって風邪をこじらせてしまう。
いや、風邪くらいでなんだ。戦闘訓練のある日は絶対に休めない。……休みたくない。だって白雲はもう、頑張りたくても頑張れないのだから。そう、自分に言い聞かせて──。
ふらふらの身体に鞭を打って実習をこなせば、放課後にはひとりでは歩けないほどの高熱になっていた。帰宅もままならない俺を、たまたま同じ方向のクラスメイトに身体を支えられ、なんとか家路に着いた。
結局、その後三日間も学校を休むことになり、俺は体調管理すらままならない自分を心底悔やんだ。
そんな、最悪の週明け。約束していた昼飯どき。
彼女の首元に、真っ赤な痕を見つけた。
見たこともないのに、なぜか、それがキスマークだと分かった。首元に三カ所もついていたから。苗字がひどく疲れてそうだったから。俺と、一度も目が合わなかったから。山田が、彼女の肩に、そっとジャージを掛けていたから。
違う、そうじゃない──。
俺が、いやらしい目で、ずっと彼女を見ていたからだ。
心臓が、握り潰されるような想いがした。
ここ最近、ずっと胸につっかえていた彼女へのモヤモヤは、心配でも気遣いでもなく、ただの恋心だった。俺が今まで嫌悪してきた感情は、すでに自分の中にあって、気づいた時には、もう手遅れで。無垢な女の子だと思っていた彼女は、俺の知らないところで、女になっていた。
いや、それがなんだ。彼女が幸せなら、それでいいじゃないか。
俺はただ選ばれなかっただけ……当然だ、手を挙げてすらないのだから。
じゃあ、せめて──。
せめて、俺は、
自分に甘くない男でいよう。
彼女の平穏な暮らしを、ヒーローとして陰で守り続けよう。彼女が自分の信じた道を、迷いなく突き進んでいけるように。
そうして、無我夢中で走り続けた。
振り返ると、苗字はいつも笑ってくれていた。眩しすぎて、目を閉じても浮かんでくるほどに。卒業して、数年ぶりに会えた日も。入院して見舞いに来てくれた日も。白雲の墓参りの日も。
いつだって変わらない、出会った頃からずっと。
『……ねぇ、いつから?』
『さあ、いつからだろうな……思い出せないよ』
俺はもうずっと、君だけをみつめている。
ガシャン、と玄関の扉が閉まった。
久しぶりの自分のテリトリーに、初めての来客。
「本当に、いいの? お邪魔しちゃっても」
邪魔なわけないだろ、と返してブーツを脱ぐ。想いが通じた途端、今度は手の届く範囲に彼女が居ないと、落ち着かなくなってしまったのは自分だ。
「野放しにする方が、ずっと気を揉む」
「もう! 付き合ってるんだから、そんなことしないよ……」
ぷーっと膨れる姿は可愛らしいが、まだまだ信用には値しない。なんたってこっちは、一度逃げられている。
「しっかり手枷をはめておかないとな」
「ふふっ、なにそれ、消太怖いっ」
旅行先から戻ったその足で、名前を俺の部屋へと招いた。彼女はキャリーケースを置きながら、だと思った、と殺風景な部屋を笑う。
「じゃあ、とりあえず……一緒にベッド、買いに行こっか」
「ああ、いいな。そうしよう」
無機質な部屋が彼女の色に染まっていく。
俺はそのことに、言い表せようもないしあわせを感じている。
これが真実の愛だと、信じてやまないほどには──。