第五曲 バンザイ 〜あなた〜
「お前、最初に就職したのはあの会社だったよな」
一緒に暮らすようになってから、二ヶ月が経った頃。
消太の誕生日プレゼントを選ぶために二人で街中を歩いていたら、デジタルサイネージに流れたサポート会社の広告を指さしながら、彼が私に尋ねた。
それが最初のきっかけだったと思う。
その後、その会社いつまで在籍してたんだとか、次はどこで働いてたとか、その頃なにやってたんだ、とか。さながら尋問のように経歴を尋ねられて驚くとともに、私はそんなに信用がないのかと落ち込んだ。
ちゃんと世の中のために働いてたし、私生活はダメダメだったけど、仕事だけは信念をもって貫いてきたんだと咎めると、ああ、もちろん知ってる、なんてあっけらかんと言うものだから、毒気を抜かれてしまう。
いったい、なんだというんだ──。
年の暮れに、消太、ひざし、私、それから香山さんで飲みに行くことになった。ちなみにこの会は、招集ではなく強制連行である。
「ごめんなさい」
「…………」
「……も、申し訳ありませんでしたっ」
「……ンで?」
「私たちの連絡先まで消しちゃったのよね? どうしましょうか、マイク」
「姐さん、ウチの妹がすンません。ちィーと教育が足りなかったようで」
ひざしにはもう何回も謝ったじゃん、と心の中で膨れながらも、ぐっと堪える。今日は香山さん、もといミッドナイトへの謝罪の会なのだから、ここで口を挟むのは得策じゃない。
テーブルの下から消太の袖にそっと救難信号を出した。くいくいと引っ張れば、すっと引っ込む黒い袖。本日、彼は助け舟を出すつもりはないらしい。存分に扱かれてどっぷり後悔すればいい、と顔に書いてある。
どうやら私は未だに、あの夜あの部屋から逃げ出したことを許されていないようだ。この話題になると、消太は途端にピリッとした空気に変わる。
はあ、どうしたものか──。
「ちょっと、あんたも他人事じゃないわよイレイザー」
「……なんで俺まで」
「当たり前でしょう。誰のせいでこの子がとんずらこいたと思ってるの」
そうだ、そうだ! もっと言ってくれ!
「…………」
「ヘーイ、イレイザー。今日はお前のお咎め会でもあるんだゼ?」
「そゆこと。さ、今日はとっても楽しめそうね!」
そう言ってミッドナイトは蛇のように笑って、ドブ色のジョッキを二つ差し出した。
消太はもうずいぶん前から置き物のダルマに話しかけている。おそらく今晩の記憶は無いだろう。そんな彼を尻目に、私もテーブルに突っ伏したまま、今際の際を彷徨っていた。
「もぉ~、呑めましぇん……ううっ……」
「ふふふふふ! で、イレイザーとはどうなのよぉ~」
そんなの、もう、決まってるじゃないですかぁ。毎日、毎日、それはもう──
「……かっこいい、れす」
「ダー‼︎ マイシスの恋バナ辛ェー!」
「うっさいマイク! あんたは黙ってなさい!」
「……ハイ」
「で~、名前ちゃんはイレイザーのどこが好きなのかしらぁ~?」
「……やさしくてぇ、かっこよくてぇ、……いい身体れす」
「ギィエェェー‼︎」
「マイクうるさい‼︎ 摘み出すわよ⁉︎ ん~、それでそれでぇ~?」
「……へへ、だいすきぃ」
「きゃ♡」
「ギョエェェー‼︎」
後からひざしに聞いた話だと、ついに首輪つながれちゃったわね、というミッドナイトさんの言葉に、私はへらへら笑って畳に寝っ転がってバンザイして、にゃあっ、と応えたらいしい。
即座に記憶から抹消した。
「この日、お前を親に紹介したい」
年が明けて、早々。
壁掛けカレンダーの、とある日付を指さしながら唐突に言われた内容に、私は言葉を失った。
「……え?」
いや、待って、うれしい。……うれしいよ? でも、まだ付き合って四ヶ月だし、新しい職場にも慣れてないからお仕事の話になったらちょっと困っちゃう。そもそも──
「必ず空けといてくれ。いいな?」
「……うん」
消太は私に有無を言わせなかった。
プロポーズ、されたっけ──?
親への紹介って、婚約の後にやるべきことなんじゃないだろうか。
いや、いやいや。順序なんてどうだっていいじゃないか。彼が私をご両親に紹介したいと言ってくれているのだから、それだけで。
とにかく私のすべきことは、菓子折りを持って清楚に見えるフォーマルなワンピースを着て……いや、待てよ? お互いにいい年齢だもの、今後のビジョンとか聞かれるかもしれない。結婚は考えているの、とか、式は挙げるの、とか、子どもはどうするの、とか。あ、待って、消太のタキシード、見たら死ぬかも! 絶対カッコいいっ! 消太の子ども……、や、やばい、男の子と女の子、絶対にひとりずつ欲し──
「おい、聞いてるか」
「……は、はいっ! 聞いてませんでした!」
「……ったく、店はもう押さえてる。お前は身一つでいいから」
「いやいやいやいや、そんなワケには!」
気の利く女だと証明できるような菓子折り持っていきますよ、絶対に。
「っていうか、お店ってどこ? もしかして、都内?」
たしか消太は東京出身だったはずだ。
「いや、市内だ。後で送っとく。そんじゃ、いってくる」
スタスタと玄関に向かう消太を追いかける。
私よりも一日早く仕事始めを迎える彼が、玄関でお馴染みのブーツを履いて、私に振り返った。
ちょっぴり背伸びをして、無精髭のお顔を手で挟んで、ちゅっと音を立てる。
「いってらっしゃい」
最近よく笑うようになった彼が、にやりとして、おかわりをねだるのは二人だけの秘密。
「いってきます」
今日もまた、しあわせな一日がはじまる。