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十一、マスコミ騒動
たまたま廊下で会えたマイク先生とラジオネタで盛り上がっていたせいで、学食メンバーに置いて行かれてしまった。
いや、置いて行かれたというのは語弊がある。実際は「わたしの席は大丈夫だから先に行ってて」とお茶子ちゃんに伝えておいたのだ。
今日の食堂も、大混雑している。
わたしの席は確保できていないだろう。たまにはひとりもいいか、と近くの空いた席に座った。
久しぶりにちゃんとお腹がすいてる。授業中にぐうぐうお腹も鳴っていたし、ガツンと刺激が欲しい気分──そうだ、辛いもの食べよう。よし、カレーの中辛! と息巻いて注文した真っ赤なそれは、今わたしの目の前で悠然と胡座をかいている。
辛ああああ! なんこれ、これが中辛⁉ ぜっったい中じゃないよね⁉ 騙されたよね⁉
コップの水がすさまじい勢いで無くなっていくのに対し、カレーは見事なまでに皿の上で幅を利かせていた。
なんでこんなときに限ってひとりなんだ。三人がいれば、誰かに助けを求められたのに。
熱さと舌の痺れに負けてだらけきった翼を押し潰し、椅子の背もたれに首をのせた。はふはふと舌を冷やしていると、突如、頭上の放送機器から警報音が鳴り響いた。
『リリリリリリ! セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんはすみやかに屋外へと避難して下さい』
凄まじいサイレンに、のけぞっていた身体を起こす。
隣の女子学生が「に、逃げなきゃ!」と友人を催促している。隣のテーブルからは焦った男子学生の声が聞こえた。「侵入者だって! ほら、急げよ!」
侵入者? 雄英に? そんなまさか。
わたしは疑念を晴らすために、瞼を閉じた。
校内のカラスたちに呼びかけると、複数のカラスから〝イレギュラー〟を知らせる返答が届いた。一羽のカラスの視界を借りる。そこには校門前のセキュリティを破った報道陣たちが校舎の前まで押し寄せていた。
ああ、これか。ただの報道陣なら大したことないかと肩の力を抜くと、ちょうど扉の前に立っている相澤さんとマイク先生が映った。
え、先生たちが対応してるの?
椅子の上で、背筋がすっと伸びる。
報道陣に詰め寄られているマイク先生は、つい数十分前までわたしと廊下で話していた。つまり時間的に考えて、あの後すぐにこのトラブルへと駆り出されたことになる。絶対にお昼も食べれていないはずだ。
報道陣に詰め寄られた先生たちが、険しい顔でたじろぐ。マイク先生が大声で何かを叫んでいる。
許せない。いや、許されない。
わたしの大好きなマイク先生を困らせるなんて!
これはたぶんカラスの性分なのだけど、わたしは知らない人に自分のテリトリーを犯されるのが大嫌いだ。
息巻いて、そこら中に号令をかけた。
ねえ、みんな。彼らと〝遊んであげよう〟。
──カーッ! カーッ! カーッ!
「ちょ、もう! 何なのこれ!」
「あっち行けよ! くそっ!」
「うわあああああ、やめてくれ! 機材だけはッ!」
眼前で広がる惨劇にすぐさま少女の顔が浮かんだ。隣の男は腹を抱えて笑っている。
どう考えても後で説教すべき案件だが、今回ばかりは見逃しておいてやろう。
報道陣への骨の折れる対応の最中、いささか溜飲が下がったのも事実。それに頭の切れるあいつのことだ。どうせ証拠の羽一つ残さないのだろうから。
「HAHAHA! グッバイ! バッドマスコミュニケイション!」
「おい、あんま煽るなマイク。あることないこと書かれるぞ」
「だってよォ、不法侵入だぜ? こりゃもう敵だ。しかしまァ、アイツ次会ったらまーた頭なでてやんねェとなァ」
「……あ?」
「苗字だよ。アイツ頭なでてやると、すっげェ喜ぶんだよ」
──はあ?
「おい、生徒と不用意に接触するな。捕まるぞ」
「相変わらずお堅いナァ、お前は。可愛い生徒とのコミュニケーションだろ、コミュニケーション」
お前、それこそバッドコミュニケーションじゃねェか、という言葉が口をついて出る前に一羽のカラスがマイクの肩に留まった。
「お、よしよし。ありがとなァ」
そう言ってカラスの頭を撫でている。その黒い鳥がたいそう気持ち良さげに目を瞑って身を委ねている姿を見て、背筋に酷い悪寒が走った。
「ふっふっふっ!」
一仕事を終え、ひとり笑いながら席に留まっていると、気づけば周りには人っこ一人居なくなっていた。
対して食堂の出入口の先は恐ろしい人混みだ。生徒たちがてんやわんやしているのが遠目に見える。ただのマスコミだから、そんなに焦ることないのに。雄英生は危機意識が高いなあ、とぼんやり匙を握った。
「お前ェの方が食い意地はっとんだろォが」
「っ、爆豪くん!」
ガタンと自分の椅子が揺れる。つい二時間前の、ノート事件以来だ。彼の片手にはカレーの乗ったトレーが握られている。彼もカレーを選んだらしい。
「避難しろや、ボケ」
「ああ。あれはただのマスコミだから大丈夫だよ」
人差し指で、自分の目元を指さす。カラスが教えてくれた、の合図だ。伝わったようで「チッ」と返された。
「そうだ、よかったら一緒に食べない? 一人より二人の方がおいしいよ」
冗談半分で提案すると、彼はしばらくわたしを怪訝な顔で見つめて、それからドカッと大きな音を立てて向かいの席に座った。
「……爆豪くん、さっきはごめんね」
「るせェ」
「カレー、すき? これ辛過ぎるよね、中辛なのに」
「ザコ舌かよ。甘ェだろ、こんなん」
怒っているときの彼はまったく会話にならないのに、不思議だ。自分のカレーと同じ色をした真っ赤なそれを、大きな口でばかすかと消化していく彼は、訓練のとき同様なんだか頼もしく思える。わたしのお皿には半分近くも残っているのに。男子高校生の食欲ってすごいんだなあと、食事中の彼を正面からじっと見つめた。
よくよく眺めてみると、彼は意外にも端正な顔立ちをしている。
白くて美しい髪に、切れ長の目。真っ赤な瞳。まつ毛も長い。普段から大人しくしていたら、大層おモテになりそうなのに。
彼の性格を知ってしまっているためか、そんな場面がまったく想像できなくて逆に面白い。
堂々と観察していると、彼はあっという間に一皿平らげてしまった。
「オイ」
「ん?」
「……食わねェならよこせ」
「え、いいの?」
食べかけだけど、という言葉が音になる前に、彼は私の皿をぐいと引き寄せた。また大きな口で食べ始める爆豪くん。
「ありがとう」というわたしの言葉に返事はない。
残飯処理させちゃってごめんね、とか、辛いのによく食べれるね、とか。そんな掛け声よりも先に、思わず出た言葉。
「……爆豪くんって、意外とやさしいんだね」
それにも返事はない。でもわたしは彼の大きな口を眺めるだけで、なんだかとっても嬉しくなった。そうしてわたしたちは、誰もいない食堂でしばらく二人だけの時間を楽しんでいた。