８時25分。教室内はUSJ襲撃の話題で活気づいていた。ここ二日間に流れたニュース番組では、一瞬だけどテレビにクラスメイトが映っていたし、それを見れば浮き足立つのが高校生というもの。

「皆ァ──！ 朝のHRが始まる、私語を謹んで席につけ！」
「ついてるよ。ついてねーのおめーだけだ」
「しまった……！」

　飯田くんの呼びかけに、しっかりツッコむ瀬呂くん。いつも通り、ドンマイ、飯田くん。そういえば相澤先生はまだ入院中だろうし、今日は誰がHRを担当するのだろうか。あ、マイク先生だったら、いいなぁ──。

「おはよう」

　ビクッと跳ねる。教室内に響くいつもの低い声。完全に不意をつかれた。昨日、自分が見たまんまの包帯ぐるぐる巻きの先生が、首から両腕を吊るしてのっそりと教室に入ってくる。ねえ、嘘でしょ？

「「相澤先生復帰早えええ！！！」」

　そういえば……昨日、先生の顔を見て安心してしまったので、見舞いの後にはお目付け役のカラスを解放していたんだった。まさか、たった一日足らずで退院してくるとは。予想だにしなかった相澤先生のタフネスに、驚きを通り越して恐怖すら覚える。

「俺の安否はどうでもいい。何よりまだ、戦いは終わってねぇ──雄英体育祭が迫ってる」

　えええええ。体育祭の告知だけなら、他の先生でもよくない！？ 眉間にしわを寄せていると、いつもの鋭い眼光がこちらを捉えたかと思えば、すぐさまふいと逸らされた。

「敵に侵入されたばっかなのに、体育祭なんかやって大丈夫なんですか？」
「また襲撃されたりしたら……」

　響香と尾白くんから、もっともな声が上がる。

「逆に開催することで雄英の危機管理体制が盤石だと示す、って考えらしい。警備も例年の５倍に強化するそうだ。何よりウチの体育祭は、最大のチャンス。敵ごときで中止していい催しじゃねェ」

　ずいぶんと強気な構えだ。それほど体育祭は重要なイベントということか。

「いや、そこは中止しよう？ 体育の祭りだよ？」
「えっ、峰田くん。雄英体育祭見たことないの！？」
「あるに決まってんだろ。そういうことじゃなくてよぉ」

　たしかに、雄英の体育祭は日本のビックイベントのひとつ。かつてのオリンピックに代わる催しとして国民には広く知られている。しかもわたしたちヒーロー科にとっては全国のプロヒーローに見てもらえる、人生最大のチャンス。もはや就活面接に近しいイベントといっていい。

　わたしは将来、お兄ちゃんの事務所でサイドキックとして働くつもりなのでスカウトに関しては無関係だが、それでもわたしの名が知られている方がお兄ちゃんへの箔が付くというもの。ゆえにこの体育祭に対しては、決して手を抜かないと入学前から決めている。

「年に一回……計３回だけのチャンス。ヒーローを志すなら絶対に外せないイベントだ。その気があるなら準備は怠るな」

　放課後。教室の前が、随分とざわついていた。いや、ざわついてるなんてもんじゃない。気づけば外に出られないほど廊下には人が溜まっている。

「なんだよ出れねーじゃん！ 何しに来たんだよ！」
「敵情視察だろザコ。敵の襲撃を耐え抜いた連中だもんな。体育祭の前に見ときてェんだろ。そんなことしたって意味ねェから、どけモブ共」

　峰田くんの叫びに、扉へ近づきながら爆豪くんが応えた。初対面の人への、”モブ”扱い。うーん、あいかわらず強靭メンタルすぎてヤバいな、爆豪くん。群衆からの冷たい視線に、こちらは固唾を呑んだ。

「知らない人のこととりあえずモブって言うのやめなよ！」と飯田くんからの指摘にみんなが苦笑いしていると、人だかりの後方で紫の頭が動いた。

「噂のＡ組。どんなものかと見にきたが、ずいぶんと偉そうだなぁ。ヒーロー科に在籍する奴は皆こんななのかい？」
「ああ？」

　人混みを掻き分けて、紫色の髪の男の子が現れた。

　どくん、と心臓がはねる。

　急激にバクバクと脈が速まり、つい反射で胸の辺りを押さえた。彼から、目が離せない。ガタンと音を立てて自席から立ち上がる。「どうしました？」という百ちゃんの声をそのままに、わたしはとぼとぼと歩き始めた。

「こういうの見ちゃうと、ちょっと幻滅するなぁ。普通科とか他の科ってヒーロー科落ちたから入ったって奴けっこういるんだ。知ってた？」

　なんだこの人、なんでこんなに胸がざわつくの。

「そんな俺らにも学校側がチャンスを残してくれてる。体育祭のリザルトによっちゃ、ヒーロー科編入も検討してくれるんだって。その逆もまた然りらしいよ。敵情視察？ 少なくとも俺は、いくらヒーロー科とはいえ調子に乗ってっと足元ゴッソリ掬っちゃうぞっつー宣戦布告しに────え、なに。」

　大胆不敵な青年に、気づくとあと一歩の距離まで近づいていた。この人、どこかで……

「──あの、どこかで会ったこと、ありますか？」
「は？ ……いや、ないけど」

　紫の髪。目の下のくま。特別目立つ風貌でもないのに、やたらと目を惹く顔だ。いや、目を惹くなんてもんじゃない。絶対、どこかで会ったことがある。どこで見かけた……？ しかし、記憶を探れど、思い当たる節はない。

「そもそも、そんなデカいもん背負ってたら、こっちも忘れないし」
「……それも、そうですね、」

　わたしのせいで周りに変な空気が流れていると、群衆の後ろの方から「おうおう！ 隣のＢ組のモンだけどよぉ！」と、とんがり目の人が頭を覗かせた。どうやら動けないご様子で、その場から不敵にも脅しをかけている。わたしの背中を低い声が撫でた。

「どけ、苗字」
「あ、ごめん。また明日ね、爆豪くん」
「……ケッ」

　あ、また無視された──。むむむ。片頬を膨らませてその横顔にひと睨みを利かせるも、効果はない。

「おい、どうすんだよ爆豪！ お前のせいでヘイト集まりまくってんじゃねぇか！」
「関係ねェよ……上に上がりゃ、関係ねえ」

　爆豪くんは男らしい一言を残して、そのまま人混みの中に消えていった。後ろの方では未だとんがり目の男の子がキャンキャンと吠えている。

　わたしはもう一度、目の前の人物を見上げた。まだ、やんわりと心臓がうるさい。こちらからの視線に気付いたようで、彼は怪訝な顔を返す。

　絶対に、どこかで会ったことあると思うんだけどなぁ……。

　わたしからの熱い視線に降参したのか、彼は首に手を当てて、その場からゆっくりと立ち去っていった。
　彼の背中が見えなくなった頃、そういえば名前くらい聞いとくんだったな、という後悔が頭をもたげた。