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精密検査

 白い天井が見えるとドラマではたいてい病院だよな、とやけに冴えた頭が語りかける。それほどに眠っていたんだろうか。

「おはよう」

 この低音ボイスは、と聞き覚えのある声にベッドサイドへ視線を向けた。──やっぱり、”相澤さん”だ。

「すごく、眠ってましたよね……わたし」
「ああ、今は翌日の朝だ」
「……え、」

 入試が15時スタートだったから、翌日の朝ということは軽く計算しても18時間近く眠ったことになる。こんなに熟睡したのはいつ振りだ? ショートスリーパーのわたしは6時間以上眠れることなど稀なのに。つまりそれだけ力を使い果たしたということだろう。

「ここは……病院ですか?」
「そうだ。寝起き早々悪いが、今から精密検査を受けてもらう」

 ゆっくりと上半身を起こし、んーっと背伸びをする。ふと、自分の寝癖が気になった。ショートヘアの宿命だ。かるく撫でつけたが、やっぱり片側の髪が外向きに跳ねている。まさか泊まりになるとは思わなかったな。

 ハネを手でねじりながら、丸椅子に腰掛ける相澤さんの顔をそっと見つめた。昨日は入試という緊張でよく見えていなかったが、こうして近距離で眺めると目の下のくまがかなり深い。控えめに言っても、真っ黒だ。しかも無精髭が確固たるいかがわしさを演出している。……先生って大変なんだな、と他人事な考えが頭をよぎった。

「わたし、全部治ってると思うんですけど」
「ああ、”だからこそ”の検査だ」

 だからこそ、とは──?

 言葉にする前に、病室の扉が開いた。看護師さんらしき人がやってきたので、話はそのままお預けとなってしまった。


 検査を滞りなく終えた午前10時。精密検査と聞いて身構えていたが、意外にも採血やCT、あとは口の中の細胞を取られたりと存外簡単なものだった。健康診断は公安の機関で定期的に受けているし情報も共有されているだろうから、こちらとしては今更なにを調べるのやらという印象だ。

 検査を終え元いた個室に戻ると、部屋を出た時と変わらずの位置に相澤さんが座っている。早かったな、と言って手元のノートPCを閉じた。他人の病室でも仕事するのか、この人。こっそり必殺仕事人と呼ぶことにしよう。

「結果は15分くらいで出るみたいです」

 そう言ってベッド脇に相澤さんと向かい合いように腰掛けると、枕元にわたしのスマホとヘッドフォンが置かれていた。確か部屋を出る時は無かったはずだ。彼が持ってきてくれたんだろうか。

 とりあえず、よかった。これでお兄ちゃんに連絡できる。

 スマホを開いてメッセージを確認すると、やっぱり、通知10件。全て同一人物からだ。

 “力を使いすぎて寝てたみたい さっき起きた”と簡単に一報を入れる。すぐさまシュポッと通知音が鳴った。

”安心した”

 自分で言うのもあれだけど、兄はシスコンに片足を突っ込んでいると思う。それがわたし的には、たまらなく嬉しかったりするのだけれど。あ、お土産はなにがいいかな──。

「……朝食だ。今のうちに済ましといてくれ」

 他に考えが及びそうな瞬間、相澤さんの声がそれを遮った。はっと顔を上げると、サイドテーブルには朝食らしきトレーが置かれている。当たり前だが、昨日から何も食べていない。しかし、いかにもな病院食に食欲はあまり湧いてこなかった。

「じゃあリンゴだけ、いただいてもいいですか」

 なんで果物だけなんだ、とでも言いたげのしかめっ面だ。受け流すようにへらりと笑うと、はぁ、とため息をつきながらりんごの乗った小皿を渡してくれた。手にとって、シャクと頬張る。……あれ、おいしい。病院食なのに意外と甘い。もしかしたら、わたしの想像以上にここは格式高い病院なのかもしれない。

 ちょうど食べ終わったころ、俺の個性は──、と言って相澤さんが精密検査の理由を語り始めた。

 相澤さんの個性である”抹消”は、一度見た対象の個性を次の瞬きまでの間だけ消すことができる、というものだそうだ。わたしのように元から翼が生えている異形型の個性には無効だが、カラスを操作したり回復したりといった発動型の個性は例に漏れず”抹消”できるらしい。ただしドライアイだから酷使はできないそうだ。かわいそうに、やっぱり仕事人じゃないか。

 そしてここからが本題なのだけど、”なぜか、わたしには相澤さんの抹消が一切通用しない”のだという。ゆえの、精密検査なのだそうだ。

 正直、通用しないことがそんなに問題のあることなのかがわたしには分からなかった。しかし話の途中で入ってきた医師に、わたしはこの後とんでもない話を聞かされることになる。


「結果からいうと……”無個性”だね」
「…………え?」

 白衣の男性が手元のカルテから顔を上げて、怪訝けげんな顔を崩さずにつぶやいた。

 わたしの話、だろうか──? 

「……え? わたしが、ですか? なにかの間違いだと思うんですけど」
「いや、間違いじゃないよ。君は正真正銘、”無個性”だ。……とても信じられないけどね」
「…………」

 いやいや、じゃあ、私の背中についてるこれは何なのよ。

 釈然としないまま、これは一体どういうことだ、と相澤さんに視線を投げる。しかしわたしの意に反して、彼はどこか腑に落ちたような表情をしていた。

「……彼女には”個性因子がない”、ということでしょうか?」
「ああ、イレイザー。まさにその通りだ。彼女にはなぜか個性因子がない。つまり彼女の能力は──”個性以外の別の何か”、ということになる」
「……別の何か、とは」
「それは、正直僕にも計りかねるよ」

 こんなことは初めてだ、と顎に手を添えてわたしをまじまじと眺める医師の態度が、嘘ではないのだと物語っている。隣の相澤さんも似たような体勢で眉間に皺を寄せていた。──とんだ茶番だ。疑念の晴れぬまま茫然としていると、ふと窓の外で鳴くカラスたちの声が、耳についた。

──カーッ!カーッ!カーッ!

 その鳴き声が、いつかの記憶の端とリンクする。自分の中で黒い感情がゆるりと渦を巻きはじめ、体の中がじわじわと侵食されていく。

──カーッ!カーッ!カーッ!

 居た堪れなくなって、床に差している自分の影に視線を落とした。肩が、上下する。床には存在感を示すように、たしかに、翼がある。これが、もし、個性じゃない、としたら?──だとしたら、わたしは、やっぱり、

「……わたしは、バケモノ、ってことですか?」

 苦しく吐き出した言葉が、胸をキリキリと締めつけた。こころの奥に押し込んでいた苦い感情が顔を出す。耐えきれずに膝の上で拳を強く握りしめると、ポンと、肩に誰かの手が乗った。──相澤さんの手だった。

「今はまだ何も判っていない。そんなに思い詰めるな」

 そしてその後の二人の会話を、わたしは他人事のように聞き流すことしかできなかった。

「この件は公安に話がいきますか」
「ああ、報告書を送るつもりだよ。一応、彼女はそこの所属だからね」
「おそらく、極秘案件になるかと思います」
「そうだろうね。このことは院内の者にも口外しないでおく。とりあえず今日のところはもう帰っても大丈夫だよ」
「はい、お世話になりました」


 駅まで送ろう、と車に乗せられてから暫く経つ。見知らぬ景色が右から左へ流れていくのを、助手席からただ呆然と眺めていた。またこの土地に来ることはあるのだろうか。……それともないのだろうか。

 いつの間にか入試どころの話ではなくなってしまった。本当にあの医師の言う通り、わたしの個性……と思っていた力が”個性ではない”のだとしたら。そんな得体の知れないバケモノを学校側が採るわけがない。

 遠路はるばるやってきた土地で、とんでもない目にあった気分だ。いや、気分じゃなくて実際に、とんでもない目にあった。

「荷物それだけか」
「え……あ、はい」

 わたしの荷物は首に掛けているゼンハイザーの白いヘッドフォンと、肩から下げているショルダーストラップ付きのスマホだけだ。今時、スマホが一台あればどこへだって行ける。ストラップに手を掛けて、飛ぶ時に邪魔になるので──、と答えると、そうかと返された。

「…………」

 途切れた会話を、歯牙にも掛けない様子だ。打ちのめされている少女に、一言くらい慰めの言葉でも掛けられないものだろうか。わたしは、【仕事人は口下手】と、心のメモに筆を走らせた。

 そうこうしている内に、駅の裏手に着いたようだ。

「ここでいいか」
「はい、ありがとうございます……いろいろと、お世話になりました」

 座ったまま、できる限り低く頭を下げた。もうこの人と会うことはないのだろうな、と思ったからだ。静岡の土を踏むことも、おそらくないだろう。

 そうしてドアに手をかけると、背後から──そういえば、と聞こえて振り返る。

「伝え忘れていたが、試験は合格だ。おめでとう」

 まったくもって抑揚のない声が、祝う気などさらさら無いかのごとく、合格を告げた。しばらくポカンとして、次第にじわじわと眉間に力がこもる。

 わたしは心のメモにまた一筆、書き足した──【仕事人に人情はなし】と。

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