20
障害物競走
「さーて!! 先頭が一足抜けて、お次は──って、あれぇ!? 上空で止まってんぞ、一体どうした苗字!!?」
「……聡いな」
「あぁ!?」
会場の巨大モニターに小さく映った苗字は、コースの遥か上空にいた。ホバリングしながら、顎に左手を当て、右手をその肘に添えている。その姿はかつて一度だけ見た、彼女の”兄”が考え事をするときの姿、そのものだった。
「ヘイ! 解説してくれよ、ミイラマン!」
その鳥瞰する姿は、鳥類の中でもずば抜けて知能が高いといわれるカラスを、そのまま体現したようだった。この世のすべてを見透かすように、目敏く、上から人間を見下ろしている。
「毎年、最終種目は一対一のバトル形式。それを見越してのことだろう」
「くぅー!! 今のうちに敵情視察ってか!? あいつ、どんだけクレバーなんだよ!!!」
マイクの実況に合わせるように、近くの塀に隠れていたであろうカメラロボが、彼女を”抜いた”。
ズームアップされた顔が、会場の巨大スクリーンに映し出される。伏目がちな彼女の口元には、添えられた左手の人差し指が、緩慢にその下唇を撫であげていた。時折見せる妙に大人びた姿は、十六の少女には見えない。もしかしたら、彼女に課せられた痛烈な過去が、そうさせるのだろうか。
隣から、ごくりと、唾を飲み込む音がする。
オイ、と言葉にならなかった空気が、口から漏れた。生徒に見惚れてんじゃねぇよ、の言葉は自分がアナウンス席に居ることを自覚し、ぐっと飲み込む。
後続の生徒たちを見下ろしていた苗字が”こちら”に気づいて、わずかに目を見開いた。すぐさま逸らされた瞳。意図を察したのか、しばらくの間を要して、ゆっくりと、恥ずかし気に戻った視線。かすかにほほ笑んで、ほのかな赤ら顔が、左手を振る。
嫌な予感がした。その瞬間、会場には轟音のような黄色い歓声がほとばしっていた。
『俯瞰してみるんだ、名前。勝ち筋は、かならずある』
後続の生徒たちを上から見下ろしていると、上位はそのほとんどがA組で構成されていた。別段、驚くことでもない。それならむしろ、こちらにとっては好都合。
ただしA組の生徒に紛れて、同じくヒーロー科であるB組の人たちが順位を上げてきている。わたしは彼らの顔と知り得る限りの個性を、頭に叩き込んだ。
自分の下を轟くんと爆豪くんが過ぎ去ってから、しばらく経つ。そろそろかな? と、翼に力を込めたとき、ふと足元を通り過ぎる紫色の頭が目についた。──あ、あの人は!
急降下して、彼の前に立ちはだかる。
「こんにちは! 普通科の人、だよね? ……その人たちは、お友達?」
彼はなぜか、他の生徒たちに担がれていた。下を支える生徒たちは、瞼は開いているのにまるで意識がないかのようで、首がゆらゆらと揺れている。 ……どうやら、お友達ではなさそうだ。
急に目の前に人が現れて驚いたのだろう。彼は大きく目を見開いたまま、固まっている。そしてゆっくりと、片方の口角を上げた。不気味な雰囲気が、更に怪しさを纏う。
「……こんにちは。羨ましい個性だな、まったく」
突如、彼の右手がわたしの左腕へと伸びた。びっくりして、その腕を引っ込める。なんとなく触られるのはよした方が良さそうだ、と思ったからだ。
「……あなたが、操ってるの?」
「!?」
しかし、わたしの問いに返答はなかった。その代わりに、先ほどよりも大きく開かれた目がこちらを真っ直ぐに仰いでいる。そのまま黙りこくった彼。おーい、と目の前で手を振っても、返事はなかった。
その時、背後で一際大きな爆音が轟いた。振り向くと、第三関門である地雷原の上を緑谷くんが鉄の板と共に飛んでいた。
『後方で大爆発!!? なんだあの威力!? 偶然か、故意か! A組 緑谷、爆風で猛追──っつーか、抜いたあああああー!!!』
──あ、ほんとにそろそろ行かなくちゃ。
「ねえ君、もし勝ち残れたら、またお話しようね」
「…………」
相変わらず返事をくれない紫の君へほほえむと、わたしは緑谷くんの軌跡をなぞるように、彼を追いかけた。
『さァさァ序盤の展開から誰が予想できた!? 今一番にスタジアムへ還ってきたその男──緑谷出久の存在を!!!』
「みーどーりーやーくーん!!」
「ぐへっ!!! ……わっ、苗字さん!?」
わたしは勢いそのままに、緑谷くんの背中へ抱きついた。
「すごい、すごいよっ! 緑谷くん! 一位だよ!」
「わああああ!!! あ、あ、あ、ありがとう、苗字さんっ」
こぶしを振りながら前に回り込むと、彼の顔が真っ赤に染まっている。わたしは宙に迷う彼の両手を掴んで、空へと突き上げた。
「やったー! やったー!」
「あ、ああ、あ、やった、ぁ〜」
湯気の上がる緑谷くんをそのままに、わたしは彼の腕を何度も空へと伸ばす。
頭には、あのノートが浮かんでいた。まるで彼の長年の努力が報われたようで、わたしは高鳴る鼓動をしばらく抑えることができなかった。