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二十六、空を泳ぐ鯨

 腹が立ってしょーがねェ。

『お待たせしたぜ、エブリバディ! 準決勝、第二試合!』

 余裕ぶっこいて半分野郎とポニーテールに一杯食わせたあン時の態度も、クソデクのノートに齧りつく姿も、いつもへらへら笑ってやがる、あのツラも。

『会場の男共! もうお前ら彼女の虜になってんじゃねェの!? 空を制するはカラスの如し! ヒーロー科、苗字名前!!』

 一般入試で見かけてたら、ぜってー覚えてるはずだ。しかも、あの個性──本人は隠してるみてェだが、推薦入学とみてまず違いねェ。

『──かたや!! こっちは女にも一切の容赦はねェ……だがその実力は折り紙つきだぜ! ヒーロー科、爆豪勝己!!』

 コッチが態度で拒否っても、わかってンのかわかってねェのか人の懐にズケズケと踏み込んで来やがって。

「俺にも弓矢、使ってこいや」
「もちろんだよ」

 ああ、クソ。こんな時までへらへら笑ってンじゃねェよ。
 俺の前に立つ奴は、女だろうと容赦しねェ。こいつをブチのめして、半分野郎を完膚なきまでに叩き潰して──。

 そンで俺がトップになる。

『一瞬たりとも見逃すな!? アーユーレディ! スタァート!!』


 開始の雄叫びと共に垂直へ飛び上がったわたしの元へ、爆豪くんはなぞるように追いかけてきた。彼の眼光は鋭く光り、まさしく肉食獣が獲物を仕留めるときのそれだ。確実にこちらを〝狩り〟にきている。
 しかし空中での速さは、基本こちらに分がある。空での鬼ごっこなら、さすがの爆豪くんもわたしには勝てないだろう。

「近付かれたくねェのが、バレバレだなァ!」

 要所要所で的確に爆破を仕掛けてくる彼の顔には、不敵な笑みが張り付いている。逃がす気などさらさらないのだと、その表情が告げていた。

 光が瞬いて、ボンと大きな爆発音がする。羽が風圧を感じ取って、背後からの爆破を追いつかれるギリギリの間合いで避けた。
 そのやりとりを、幾度となく繰り返す。そう、これはあくまで心理戦の一つだ。
 しばらくすると、弓矢を出さないわたしにやきもきしてきたのか、彼の顔には少しずつ苛立ちが見え始めた。

「こざかしいわァ!!」

 暴言を吐かれても、今は下準備が最優先。だって、なるべく彼には消耗してほしい。追いかけるだけの時間なんて、勝気な爆豪くんにはさぞ酷なことだろう。
 煽るような鬼ごっこが、彼の眉間にじわじわとシワを寄せていく。

「ンだテメェこら!! 逃げてんじゃねェ、殺すぞ!!」
「こ、殺しはやめて!?」
「もらったァ!!」
「……よっ、なんてね」
「チッ!」

 追いつけそうで追いつけない鬼ごっこを、狭いフィールド内で繰り返す。喚き散らしながらわたしを追いかけて、こちらは煽りながら逃げて──となんだかギャグみたいなやりとりだが、観客はたいへんに盛り上がっているようだ。

 さて、そろそろかな──。

「……アァ?」

 段々と空が翳り始めた。爆豪くんが違和感に気づき、わたしへの追従を止めて地上へと降り立つ。彼が空を仰ぐのを視認して、空中でのホバリングに切り替えた。
 彼の視線が、空へと釘付けになる。

『オイオイオイオイ! ちーっと呼び過ぎなんじゃねェの!?』

 実況が轟く会場の空、その半分ほどを覆い尽くすように集まった黒い影たち。フィールドの上空では、おびただしい数の漆黒がうごめいている。

──カーッ! カーッ! カーッ!

 このために何日も前から集めてきたんだ。爆豪くんを前にして、こちらも出し惜しみなんてするつもりはない。

 薄く広がった影たちは、ゆっくりとわたしの頭上へと集い始める。それらは大きく渦を巻くようにわたしの周りをぐるりと一周すると、そのまま一つの塊へと収束してゆく。
 そうしてフィールド内を、ゆっくりと〝黒いうねり〟が泳ぎ始めた。

──カーッ! カーッ! カーッ!

 彼らのささやきが聞こえる。あちこちから無数の声が飛び交っている。うねりはそれぞれに鳴き声を発しながら、まるで幼子が母の手を引くように戯れて、主人の声を待っていた。

 わかるよ、遊びたくてしょうがないんだよね──?

 目をつむった。わたしが念を発すると、騒いでいた声はやがて一つにまとまり、彼らは別の生き物としてこの世に生まれ落ちる。
 この会場にいる誰もが、彼らの可能性を知らない。

「ハッ、カラスが集まったから何だってんだ! 吹き飛ばして終いだ!!」
「……ただのカラスならね。でもこの子たちは違うよ」

 一は万を助け、万は一を助ける。
 互譲《ごじょう》の精神を知ったカラスに、爆豪くん、果たして君は勝てるかな──?


 それはまるで、広い海原を自由に泳ぐ鯨《くじら》のようだと思った。

 鯨は二手に別れたり、くっついたりを繰り返しながら、時折腹の中から光の矢を放っている。どこから飛んでくるかわからない鋭い矢で、かっちゃんは少しずつ、それでも確実に体力を削られていた。

「アァ! うぜェ!!」

 何カ所も穴の開いた体操服の袖を、かっちゃんが肩口から破り捨てる。露わになった腕には、苗字さんの矢で受けた傷から滴るほどの血が滲んでいた。
 あの瞬発力がなかったら、とうに二、三本は刺さっているに違いない。包帯の中で手汗がにじむのを感じる。

「苗字、マジおっかね~~!」
「ケロ、……名前ちゃん、今日は容赦ないわね」
「……すごいよ、苗字さん」

 本当に、よく研究されている──。

 かっちゃんは、近接戦闘ではほとんど隙ナシだ。動けば動くほど汗をかいて、爆破の個性が強力になっていく。誰もがうらやむ戦闘特化型の個性。

 しかし空中戦となると、話は別だ。爆破を利用して空中移動もできるけど、空を主戦場とする苗字さんに対してだと確実に接近しなければならない。つまり、いかにして彼女の速さに追いつくかが鍵になる。
 しかしスピードで勝る彼女だが、かたやその防御力は乏しい。間合いに詰められ一撃をくらえば、一貫の終わりだ。

 彼女の作戦は、おそらく──かっちゃんに空中での移動を強要させて燃料を消耗させながら、カラスを防護壁とし、かつそれを目眩しとしても流用する。そして、持ち前の弓矢で確実に相手の体力を削る。
 この洗練された策は、狭いフィールドでのかっちゃんとの戦いを想定した彼女なりの最善策なんだろう。

 黒いうねりが空を悠々と泳いでいる。彼女は確実に、あの中にいる。なのに、どこにいるのかはわからない。カラスの大群の中を自由自在に行き来する彼女は、外野から観戦する僕らでさえ矢を放つ瞬間でしかその位置を捉えることはできない。

「ナメんじゃねェ!!」

 しかし、やはりかっちゃんの爆破も決して劣ることはなかった。直撃をくらったカラスたちが、ぼとぼとと地面に落ちていく。恐ろしいほどの結束力で群れを成してはいるものの、やはりよくよく見ればあれはカラスの集団なんだ。

 このまま互いに消耗戦へともつれ込むか? いやそれだと、このおびただしい数のカラスを落とすには時間が足りない。かっちゃんが不利だ。
 彼ならどうする。……いや、僕なら、どう戦う?

 興奮で前のめりになる自分の身体をなんとか椅子に縫いつけていると、ふと、黒い塊の中からカラスとは一線を画す大きな翼が現れた。
 気のせいとも思える、一瞬の出来事。鯨の腹を内から切り裂くように蠢く、黒い翼。

「……カタ、つけてやる!!」

 その瞬間、かっちゃんが右の手首に左手を添えた。──来る!  麗日さんの流星群を破った、あの会心の爆撃が。

 でも──。

「っ!」

 ダメだ、かっちゃん!

 不気味な予感を感じ取ったものの、僕の喉はカラカラに乾いていて、言葉が音になることはなかった。
 僕の嫌な予感は的中して、黒い影とはまったく異なる方向から、光の弓矢を構えた苗字さんがその姿を現した。

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