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本戦 ④
正面から普通に対峙して、勝てる相手じゃない。──そんなことは、わかってる。
わたしは黒い怪物の腹で、幾度となく放った矢がいまだ決定打を打ち込めていないことに、少しの焦りを感じていた。
彼がいくら腕を負傷しようとも、意識を失うまで立ち向かってくるだろうことは想定していた。……が、正直なところ、わたしには急所に打ち込む以外、相手を行動不能にさせる術がない。
じりじりと消耗させて彼の体力を削り、ここぞというタイミングで蹴り落とすか? 喉元に矢を押し当てれば、さすがの爆豪くんも降参してくれるだろうか──?
「クソが!!!」
爆豪くんの止まない爆破に、仲間もジリジリと削られつつある。ボトボトと落ちてゆくカラスたちに、心が揺らいだ。──後で、必ず治してあげるからね、
……仕方ない、こちらから仕掛けるしかないか。
わたしは乾いた唇をぺろりと舐めて、瞼を閉じた。──落ち着け、大丈夫だ。
爆豪くんの我慢も、そろそろ限界だろう。苛立った人間の視野は極端に狭くなる。目の前に餌を置かれたまま、待てを強いられた犬のように。
さあ、食いついてこい──!
胸の高鳴りが、どくん、どくん、と耳元で大きく鳴り始める。
わたしの翼を模したカラスたちが、切開するように怪物の腹を割った瞬間、わたしは暗闇から飛び出した。爆豪くんは無防備にもわたしに左半身を見せたまま、右手首に左手を添えている。構えた弓矢が渾身の一矢を放つその瞬間、緊張と焦燥で切っ先がわずかに震えた。
──今だ、!
右手の指が弦から離れた瞬間、矢が光を放って爆豪くんの腕へと飛んだ。お願いだから、いい加減落ちてくれ!
しかしわたしの願いも虚しく、彼は視界の端で光を捉えた。瞬時に獣の目線とかち合う。
「そこかァ!!!」
彼が持ち前の瞬発力で、腕をこちらへと振り向けた。
ああ、ダメ!
わたしの放った矢は、向かい合った爆豪くんの顔へと飛んでいく。パンッ──という音を立てて、光の粒が弾け飛ぶ。当たった矢の勢いで、彼は後ろへのけぞった。そのまま頭から地上へと落下していく。刹那の出来事が、やけにゆっくりと感じられた。
「爆豪くんっ!!!」
わたしはすべての臨戦態勢を解いて、落ちていく爆豪くんの身体に手を伸ばす。
どうしようっ! 顔に、矢がっ!!
伸ばした手が、彼の服を掴んだ。身体を抱え込もうとした瞬間、突如、伸びた手がこちらの胸ぐらを掴み返す。ハッと息をのんだ。
「っ!」
なぜか、天地が入れ替わる。細めた目に一瞬だけ澄んだ青が映ると、彼の右手から放たれた爆破で、わたしはそのまま地上へと叩きつけられた。
「……ハァ……ハァ……ツメが甘ェんだよ、テメェは!!」
瞼を開くと、爆豪くんがわたしの上に馬乗りになっていた。わたしの首に掛けられた彼の手は燃えるように熱くて、その腕は流れる血でべっとりと濡れている。
肝を冷やした最後の矢は、彼の頬に一本の赤い線を残していた。それを確認して、身体からすべての力が抜け落ちる。
ああ、よかった、ほんとうに──、
ようやくわたしは、大きく息を吸い込んだ。時間をかけて、ゆっくりと吐き出す。
「……まいり、ました」
わたしは、そっと両手を上げた。
『苗字さん、降参! 爆豪くんの勝利!!』
「……アァ!? なに勝手に降参してんだよ! まだ俺はテメェに傷一つつけちゃ──」
腕を伸ばし、人差し指で彼の言葉を制した。唇に指を当てられた爆豪くんが、驚いて押し黙る。
わたしはそそくさと彼の下から抜け出し、血まみれの左腕を掴んで空高く突き上げた。不意に引っ張られた彼が、よろけながら立ち上がる。
「ばくごーくん、決勝戦進出、おめでとー!!」
「ア゛ァ!?」
『爆豪、勝────利!!! これで決勝は、轟 対 爆豪 に決定だァ──!!!』
「テメェ!! ザケんじゃねェ!! まだ終わってねェだろーが!!!」
しかし爆豪くんの雄叫びを打ち消すように、会場からは大きな歓声が沸き起こっていた。わたしは彼の腕を力一杯持ち上げ、観客に向かって笑顔でもう一方の手を振る。
一瞬の隙をまんまと逆手に取られたが、ふしぎと悔しさはない。勝ちを貫く彼に、勝利の女神がほほえんだ、それだけだ。
一生懸命に手を振っていると、突然、カクンと視界が傾いた。
あ、ヤバい──、
急激に襲いくる眩暈に、足元が力を失ったように崩れ落ちる。
うそ、こんなところで倒れたら、みっともない、のに……
唐突に広がっていく白んだ景色の中で、お兄ちゃんの心配する顔が浮かんだ。だめ、またしんぱい、かけちゃう、
しかし身体は、なぜか衝撃を受けることはなかった。ただ左の手首にだけ、かすかに圧迫感を感じる。頭上から「チッ!」という舌打ちが聞こえたかと思えば、身体がふわっと宙に浮いた。
鉛のように重くなった瞼の隙間に、爆豪くんの顔と、ぼやけた青空が映る。
「カラス……いっしょ、……おねがい、」
「わかっとるわ。……だァーってろ」
そんなことも、わかってくれてるなんて。やっぱり爆豪くんは、やさしいんだね──。
「……あり……がと」
「…………」
彼の腕の中は温かくて、おだやかで、ほのかに甘い香りがする。心地よい感覚に身を委ねていると、やがてわたしの意識はゆっくりと遠のいていった。