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ガイダンス
梅の香りが漂う3月初旬。入学前のガイダンスとして、わたしは再び雄英高校を訪れている。ガイダンス前に”擦り合わせ”を行いたいとのことで学校側から事前に連絡があり、開始の一時間前に呼び出された。無論、”擦り合わせ”とは、わたしの能力の件についてだ。
先月、思わぬ形で判明した──”無個性”。その後、公安委員会からは他言無用の御触れとともに、再三に渡り面談や診察が重ねられた。結果としては、今までと同様に”個性”として取り扱うことで落ち着いたようだ。もちろん対外的にではあるが。
拘束された時間は一体何だったのか、と思う。
「──というワケで、雄英でも君の能力を”個性”として扱うことになったのさ!」
「ソレト君ノ無個性ノ件ハ、ヒーロー科教員ダケデノ機密事項トナル。既ニ承知シテイルダロウガ、決シテ他ノ生徒タチニ他言シナイヨウニ」
「はい、重々気をつけます」
座ったまま、こくりと頭を下げる。正直なところ、ここ最近の同じようなやりとりに少しだけ嫌気が差していた。でもまあ、とりあえず頭を下げておけば大人はやり過ごせるという学びにはなったけど……。
別にわたしは反抗して大人たちとの約束を破りたいわけじゃない。ただ、まるで自分が悪事を働いてそれを咎められているようで、少し、悲しくなっているだけだ。
「一つ、いいか」
お馴染みの低音ボイスが聞こえ、視線を向けた。必殺仕事人は、本日も気だるそうだ。
「羽が弓矢に変わるとき、硬度は上がるのか?」
はて、相澤さんはわたしへの大事な忠告よりも、翼事情の方が気になるらしい。ヘンなの。
教員らの手元にはわたしの顔写真付きの書類があるが、その資料には書かれていないのだろう。その件については特殊な検査機関で調べてもらう中で、最近判ったことがある。
「……硬度は上がります。羽は、元々やわらかいし軽いです。もぎると形が変化して、弓矢になります。具体的な硬度は……うーん、よくわからないけど、この前調べてもらったらダイヤモンドによく似た分子構造だといわれました」
あのときは、顕微鏡を覗き込む研究員の男性が、興奮気味に話していたな。
「どうりで、捕縛布が破れるわけだ」
「シヴィー! ダイヤモンドってマジかよ、規格外だなオイ」
「あら、ちょっとなによイレイザー。捕縛布破られたの?」
「……ミッドナイト、報告書読んでくださいよ」
なんだか本人そっちのけで盛り上がっている。それにしても、やけにキワドイ格好の先生だなあ……。
「とにかく、訓練中はあまり人に向けてうたないように」
「う……はい」
「容易に人体を貫通する、というわけか。遠距離射撃の訓練なら自分が力になろう」
「……! お願いします」
相澤さん、目つき悪いんだよな。話しているとつい萎縮してしまう。
でもマスクをつけたテンガロンハットの先生と手解きの約束を取り付けた。絶対に使っちゃダメということでもなさそうで、少し安心した。
「イレイザー、お前下手したらあン時殺られてたかもなァ」
「黙れマイク」
あの時はわたしだって本当に必死だったんだ。どこに刺さるかなんて気にする余裕がなかった。それに──
「あの時は、相澤さ……”先生”が、遠慮はいらないっておっしゃったので……」
どこからかクスクスと笑い声が聞こえる。
「……次からは、気をつけるように」
今日は相澤さんの言い回しがとても”先生”だ。まあ、先生なのだけども。
苗字との質疑を終え壁の時計に目をやると、ガイダンスの時間が迫っていた。
「校長。そろそろガイダンスが始まります」
「おっと、そうだった!それじゃあ、君から何か僕たちに訊いておきたいことはあるかい?」
「……一つだけ、よろしいですか」
「ああ、もちろんさ!」
苗字は椅子からおもむろに立ち上がり、ふうと一息ついた。面談を終え気が抜けたというよりは、気合を入れ直したようなため息だ。それから深々と頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
そう言って彼女はゆっくりと顔を上げ、まわりを一瞥し、特にこちら側からの返答が無いためかそのまま続ける。
「”上”からの圧力で、先生方にご迷惑をお掛けしたかと思います。入学はコネだけど……ヒーローになりたい気持ちに嘘はありません。卒業は必ず、自分の力だけでやり遂げます。ご指導のほどよろしくおねがいします」
どうやらこの少女は、十五にして自分の社会的立場も、公安という組織がもつ多少の強引さも、漏れなく理解しているらしい。年の割に見識はある方か──。
「……ふふっ、青いわァ〜〜! 私好きよ、そういうの」
「Yeah! 俺も気に入ったぜ! 気遣いのできるガールじゃねェか!」
他の教員たちの雰囲気も多少緩んだように感じた。今後こそ本当に気が抜けたようで、緊張が解けたように笑みをこぼしている。入試で俺に勝利したときと、同じ表情だ。自分もいささか毒気を抜かれた気がして、手元の資料に視線を落とす。
そこに記された”過去”を一切感じさせない少女の眩しさに、少しの違和感を感じていた。
プレゼントマイク──もとい、マイク先生がガイダンス会場まで案内してくれることになった。かなりノリの良い先生で、とっても気さくだ! なんとマイク先生も雄英出身で、相澤さんと同期なのだという。
「それ、ゼンハイザーか?」
「え、はい! よくご存じですね」
「俺ァ、ラジオやってるからな。ちィーと詳しいのよ、そこんところ」
口元をニヤリとさせて、わたしのヘッドフォンに刻印されているブランドマークを指でコツンと弾いた。
「いいよなモメンタム。でも中学生には高過ぎんぜ」
「……兄が、誕生日プレゼントで」
「へェ〜〜、そりゃ良いな」
はい!と元気に答える。ついでにラジオの番組名を教えてもらった。眠れない夜はJ-POPを聴いてばかりだから、これからはラジオもいいかもしれない。これでわたしも正真正銘の”女子リスナー”というわけだ。
ガイダンスが開かれる講堂はさきほどの会議室から距離があったが、マイク先生との会話が楽しくて体感としてはあっという間だった。
講堂の扉が見えてきて、送っていただいてありがとうございました、と振り返る。その瞬間、頭にふわっとやさしい手が乗った。大きな手はすぐに離れていって、踵を返した彼は笑いながらひらりと手を振っている。
「気ィつけて帰れよ」
思わず、撫でられた頭に自分の手を乗せた。担任が、マイク先生だったらいいのになあ……。
わたしはかつてないほどに、入学の日を待ち遠しく思うのだった。