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三、ガイダンス
梅の香りが漂う三月初旬。入学前のガイダンスとして、わたしは再び雄英高校を訪れている。
ガイダンス前に〝擦り合わせ〟を行いたいとのことで学校側から事前に連絡があり、開始の一時間前に呼び出された。無論、擦り合わせとはわたしの能力の件についてだ。
先月、思わぬ形で判明した──〝無個性〟。
その後、公安委員会からは他言無用の御触れとともに、再三に渡り面談や診察が重ねられた。結果としては、今までと同様に〝個性〟として取り扱うことで落ち着いたようだ(もちろん対外的にではあるが)。
でも、だとしたら拘束された時間は一体何だったのかと思う。
「──というワケで、雄英でも君の能力を〝個性〟として扱うことになったのさ!」
「ソレト君ノ無個性ノ件ハ、ヒーロー科教員ダケデノ機密事項トナル。既ニ承知シテイルダロウガ、決シテ他ノ生徒タチニ他言シナイヨウニ」
「はい、重々気をつけます」
座ったまま、こくりと頭を下げる。
正直なところ、ここ最近の同じようなやりとりに辟易としていた。個性だろうが無個性だろうが、どちらにしてもわたしの背中に翼は〝ある〟のだから、当事者としてはそこまでかっちりと枠に嵌めなくてもと思ってしまう。今までだって自分も周りも個性として扱ってきたわけだし。
でもまあ、頭を下げておけば大人はやり過ごせるという学びにはなった。
別にわたしは反抗して大人たちとの約束を破りたいわけじゃない。ただまるで自分が悪事を働いてそれを咎められているようで、少し悲しくなっているだけだ。
「一つ、いいか」
お馴染みの低音ボイスが聞こえて視線を向けた。必殺仕事人は今日も気だるそうだ。
「羽が弓矢に変わるとき、硬度は上がるのか?」
思わぬ質問に目を見開く。はて。相澤さんはわたしへの大事な忠告よりも翼の方が気になるらしい。無個性を発見した本人のくせに、ヘンなの。
教員らの手元にはわたしの顔写真付きの書類があるが、その資料には書かれていないのだろう。羽の特性については特殊な研究機関で調べてもらう中で、最近判ったことがあった。
「硬度は上がります。羽は元々やわらかいし軽いですが、もぎると形が変化して弓矢になるんです。具体的な硬度は……うーん、よくわからないけど、この前調べてもらったらダイヤモンドによく似た分子構造だと言われました」
あのときは顕微鏡を覗き込む研究員の男性が興奮気味に話していたな、と思い出す。相澤さんは「そうか」と小さく返した。何かが腑に落ちたらしい。
「どうりで捕縛布が破れるわけだ」
「シヴィー! ダイヤモンドってマジかよ、規格外だなオイ」
「あら、ちょっとなによイレイザー。捕縛布破られたの?」
「……ミッドナイト、報告書読んでくださいよ」
なんだか本人そっちのけで盛り上がっている。
それにしても全員ヒーローとはいえ、妙な格好をした人が多い。トサカみたいな頭の人はやけにテンションが高いし、あとその隣には──キワドイ格好の先生が座っている。同じ女性だが直視するのが憚られるほどだ。この人も教壇に立つのだろうか、あの格好で。
こうやって見渡すと、今まで変人だと思っていた相澤さんが至極平凡な人間に見えてくるから不思議だ。
「とにかく、訓練中はあまり人に向けて放つなよ」
「……はい」
初めましての時からずっと感じていたが、相澤さんの目つきは最悪だ。話しているとつい萎縮してしまう。そもそも「人に向けて放つなよ」とはどういう了見か。戦い方を学ぶ場所じゃないのか、ここは。
「容易に人体を貫通する、というわけか。遠距離射撃の訓練なら自分が力になろう」
「はい、ぜひお願いします」
相澤さんはさておき、マスクをつけたテンガロンハットの先生と手解きの約束を取りつけた。弓矢は絶対に使っちゃダメということでもなさそうで、そこだけは安心した。
「イレイザー、お前下手したらあン時殺られてたかもなァ」
「黙れマイク」
入試の時は、わたしだって本当に必死だったんだ。どこに刺さるかなんて気にする余裕がなかった。それに。
「あの時は、相澤さ……〝先生〟が、遠慮はいらないっておっしゃったので」
どこからか、クスクスと笑い声が漏れる。
「……んじゃ、次からは気をつけるように」
ふん、と鼻息が聞こえた。今日は相澤さんの言い回しがとても〝先生〟だ。まあ、先生なのだけれど。
苗字との質疑を終え壁の時計に目をやると、ガイダンスの時間が迫っていた。
「校長。そろそろガイダンスが始まります」
「おっと、そうだった! それじゃあ、君から僕たちに何か訊いておきたいことはあるかい?」
「質問はないですけど……一つだけ、よろしいですか」
「ああ、もちろんさ!」
苗字はおもむろに椅子から立ち上がり、ふうと息をついた。面談を終え気が抜けたというよりは、気合を入れ直したようなため息だ。それから深々と頭を下げ、腰を折る。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
そう言って彼女はゆっくりと顔を上げ、まわりを一瞥した。特にこちら側からの返答が無いためか、そのまま続ける。
「〝上〟からの指示で、先生方にご迷惑をお掛けしたかと思います。入学はコネだけど……ヒーローになりたい気持ちに嘘はありません。卒業は必ず、自分の力だけでやり遂げます。ご指導のほどよろしくお願いします」
ほう、と誰かの感嘆が漏れる。
正直なところ、俺自身も少しばかり驚いていた。どうやらこの少女は齢十五にして自身の社会的立場も、そして公安という組織がもつ多少の強引さももれなく理解しているらしい。
年の割に見識はある方か──。
「ふふっ、青いわァ~~! 私好きよ、そういうの」
「Yeah! 俺も気に入ったぜ! 気遣いのできるガールじゃねェか!」
他の教員たちの雰囲気も、多少緩んだように感じた。少女は今後こそ本当に気が抜けたようで、やわらかな笑みをこぼしている。
入試で俺に勝利したときと同じ表情だ。その屈託のない笑顔は、学び舎に入る前の〝卵〟であることを思い出させる。いや、まだ卵ですらないが。
自分もいささか毒気を抜かれた気がして、手元の資料に視線を落とした。
そこに記された〝過去〟を一切感じさせない少女の眩しさに、俺は少しの違和感を感じていた。
プレゼントマイク──もとい、マイク先生がガイダンス会場まで案内してくれることになった。かなりノリのいい先生で、とっても気さくだ。
なんとマイク先生も雄英出身で、相澤さんと同期なのだという。
「それ、ゼンハイザーか?」
「え、はい! よくご存じですね」
「俺ァ、ラジオやってるからな。ちィーと詳しいのよ、そこんところ」
口元をニヤリとさせて、わたしのヘッドフォンに刻印されているブランドマークを指でコツンと弾いた。
「いいよなモメンタム。でも中学生には高過ぎんぜ」
「兄が、誕生日プレゼントで」
「へェ~~、そりゃ良いな」
はい! と元気に答える。ついでにラジオの番組名を教えてもらった。眠れない夜は音楽を聴いてばかりだから、これからはラジオもいいかもしれない。これでわたしも正真正銘の〝女子リスナー〟というわけだ。
ガイダンスが開かれる講堂はさきほどの会議室から距離があったが、マイク先生との会話が楽しくて体感としてはあっという間だった。
講堂の扉が見えてきて、送っていただいてありがとうございました、と振り返る。その瞬間、頭にふわりとやさしい手が乗った。大きな手はすぐに離れていって、踵を返した彼は笑いながらひらりと手を振っている。
「気ィつけて帰れよ」
思わず、撫でられた頭に自分の手を乗せた。あんなにノリのいいお茶らけてそうな先生なのに、驚くほどやさしい手つきだった。つい、口がむにっとしてしまう。
担任がマイク先生だったらいいのになあ。ついさっきトサカ呼ばわりしたことを、頭の中でこっそり詫びておこう。
鬱屈としていた気分がすっきりと晴れて、意気揚々と講堂の扉に手をかける。そうしてわたしは、かつてないほどに入学の日を待ち遠しく思うのだった。