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希望体験先
「はあ、どうしたものかなあ……」
先生のデスクに置き逃げしようにも、7限終わりまで待っていたら、帰りのHRで顔を合わせることになる。放課後はどうせ、職員室に戻ってそのまま仕事に取り掛かるのだろう──あの必殺仕事人のことだ、まず間違いない。
やはり先生が職員室に居ない隙を狙って、こっそりデスクまで”運ばせる”のが得策だな。そしてHR後、わたしは指摘を受けるより早く、窓から脱出! 逃げるように飛び去る! よし、この作戦で行こうっ!
わたしは自分の立てた完璧な作戦に思わずニヤリとして、時が来るのを待った。逃げ足だけは誰にも負けないんだもんね!
──などと考えていたわたしは、なんて愚かだったのだろう。数時間前の意気揚々とした自分を殴り倒したい。
7限目の退屈な座学を終えてHRを満面の笑みで待っていると、相澤先生が一羽のカラスを片手に捉えたまま勢いよく教室の扉を開けたのが見えて、わたしは目ん玉をひん剥いた。人間の手に首も羽も鷲掴みにされたカラスが、カーッ!カーッ!と命の危険を感じとったような叫びをあげている。
「うわっ! 相澤せんせー、どうしたんすか、そのカラス」
切島くんがすっとんきょな声を上げた。察しの良い数名が、わたしの方をちらりと横目で見る。
ま、ま、マズい……!
そのまま教壇を通り過ぎ、ゆっくりとわたしの席まで近づいてくる先生。こちらは重力に負け、どんどんと首が垂れていく。どく、どく、どく、と自分の心臓がマイク先生並みにうるさい。カッと熱くなった身体が、急激に冷えていくのを感じた。
先生が、わたしの前にたどり着く。ああ、だめ。怖くて顔が上げられない。
「おい、苗字」
「……は、はい」
「重要書類だぞ。自分の足で持ってこい」
「う、……ごめんなさい」
下からそろりと覗き込むと、恐ろしい顔をした先生がプロヒーローの威厳たっぷりに上から圧をかけていた。クラスメイトからは「あ〜…」という同情めいた声や、クスクスと小さな笑い声が漏れている。
「それとお前の希望先について話がある。後で職員室に来い。……逃げるなよ」
そう言い放ってわたしの机の上にカラスを置いた先生は、どこかしてやったりな顔をしている。わたしは半泣きで「……うぅ」という間抜けな返事をかましてしまうのだった。
クラスメイトの前で辱められたわたしのもとへ、放課後、みんなは群がるようにやってきた。
「名前、先生に怒られてんのっ! ウケるっ 」
「それそれ! めっちゃ笑ったわ!」
「う、うるさいよっ、二人とも」
わたしは響香のプラグで膨れた頬を突かれながら、その横でケラケラと笑う三奈ちゃんを余所に、渋々とカラスの頭を撫でていた。こっちは大真面目に殺されるかと思ったんだぞ! せめていじるのは勘弁してくれ。懐に抱えたカラスがわたしの思いに呼応するように、カー、と力なく鳴いた。
「でも苗字が怒られンのなんて、珍しくね?」
「はあ……上鳴くん。いいもん見たぜ、みたいに言わないでよ……」
「だってよー、なんか面白いよな。優等生が叱られてるとこ見んの」
上鳴くんの相方みたいにニヤついた瀬呂くんが後ろから現れて、なんかもう泣けてくる。
「名前さん、それよりも相澤先生のもとに行かれなくて大丈夫なのですか?」
「う、うん。行ってくるよ。行ってくるんだけどさ、ちょーっと腰が重いだけ……」
「名前ちゃんも災難やなあ。あたしら待ってるからさ、気合い入れて行っといでよ」
お茶子ちゃんからのやさしい後押しに、隣の緑谷くんが「うん、そうだね」と頷いている。
「二人ともありがとう。でも、なんとなく長くなりそうだから、先に帰ってて大丈夫だよ……気持ちだけ受け取っとく」
「そういえば相澤先生、苗字さんの希望先の件で話があるって言ってたよね。どんな話だろう?」
不思議そうに首を傾げた緑谷くんに、わたしは苦笑いを返す。今際の際で弱りきったメンタルでは「さあ、なんだろうね……」と知らない振りを通すので、精一杯だった。
「ったく、お前なァ。これじゃただの帰省だろうが。もっとよく考えろ」
「やっぱり、そうなりますよねぇ……」
職員室に重たい足取りで赴くと、相澤先生から隣の生徒指導室と書かれた小さな部屋へ通された。向かい合わせでソファに腰掛けると、相澤先生がわざとらしい大きめのため息を漏らして、わたしに説教を始めたのはつい先刻のことだ。
「で、でも! 卒業したら、わたしはお兄ちゃんのサイドキックとして働くつもりだし、……それで、いいかなって……おもって……」
目の前の鋭い視線に圧倒されて、つい言葉尻が小さくなっていく。
「まあ、こっちも別に禁止はしてないがな。……見聞狭まるぞ」
「う、」
”見聞”という言葉に、お昼時に耳にしたお茶子ちゃんの言葉が頭をよぎる。
『こないだの爆豪くん戦で思ったんだ。強くなればそんだけ可能性が広がる! やりたい方だけ向いてても見聞狭まる! と!』
自分がたった紙切れ一枚の提出方法で頭を悩ませていたことが、なんだかとても滑稽に思える。
言われてみれば、まあ、たしかにそうなんだけどさぁ……。それでもまだ折れる様子のないわたしを見兼ねて、相澤先生は腕を組んで諭すような言い方に切り替えた。
「お前の指名に関しては体育祭での爆豪戦を評価されたんだろうが、俺からしてみればお前は近接戦闘に弱すぎる。そこら辺も視野に入れて、もう一度考え直せ。3年間はあっという間だぞ」
「……はい」
「自分の力だけで卒業するんじゃなかったのか?」
「ううー、……します」
的確すぎる指摘に、ぐうの根も出ない。
近接戦闘か。そこを突かれると弱いんだよなあ。てか、そんな恥ずかしい宣言をいちいち覚えないでほしいです、相澤先生。
とりあえず今晩、お兄ちゃんに電話を入れるしかない。わたしは首も肩も落として残念がる兄の姿が、まるで予知能力でも発現したかのように、鮮明に浮かんでくるのだった。