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職場体験 ①

「まさか、同じ行き先とはな」
「だねぇ……」

 窓側の席で流れ行く景色を眺めながら肘をつく轟くんに、まだどことなく緊張感の抜け切れないわたしは、コスチュームの入ったアタッシュケースを膝の上でもう一度強く握りしめた。予想だにしていなかった今の状況に驚いているのは、むしろこっちの方だ。

 わたしが職場体験先に選んだのは、”エンデヴァーヒーロー事務所”──ではないのだが、先方が待ち合わせ場所にと指定してきたのが、その場所だった。今回、かなり無理を通して依頼した体験先のヒーローは、単身で全国を飛び回っているため拠点を持っていない。
 エンデヴァーさんの事務所を待ち合わせ場所に指定してきたということは、二人はそこそこ見知った仲なのだろう。

 わたしが職場体験を希望するにあたって、まず第一関門であるお兄ちゃんを説き伏せるのに、だいぶ苦労した。しかしお兄ちゃんの事務所では相澤先生が到底許してくれそうにないことを伝えると、通話画面の先でやっぱり首も肩も落とした様子で、渋々了承していた。

 そこから第二関門として、わたしの大嫌いなコネ、つまりはお兄ちゃんのつてを使って依頼してもらった、”とあるヒーロー”。今回はポジティブな方のコネだから、自分の中で百歩譲って、まぁ良ししよう。

 もちろん先方からわたし宛に指名が来ていたわけではない。つまりはお兄ちゃんが個人的なヒーローネットワークを介してもぎ取ってくれた、プレミアムチケットなのだ。必ず、この経験を身にしなくては……。

 自分から思い立って提案したとはいえ、さすがにOKを貰えるとこちらも背筋が伸びる。昨晩からみぞおちの辺りに何かがつっかえたような感覚が抜け切れない。だって相手は、格上も格上の、超人気プロヒーローなのだから。

 はあ、とため息を漏らすと、隣の轟くんが顔を覗き込んできた。

「緊張してんのか」
「そりゃあ、ね……するよ、緊張」
「お前なら大丈夫だろ」
「へ?……あ、ありがとう」

 轟くんからの信じらない励ましに、少しだけアタッシュケースを握る手がゆるまったのはここだけの話。


「ハッ! 弱そうだな!」

 小麦色の肌、白い髪、真っ赤な瞳。鍛えられて引き締まったしなやかな身体に、極めつけのウサギの耳。コスチュームの胸元には、トレードマークの黄色い三日月があしらわれている。

 ヒーロービルボードチャートで十指に入るラビットヒーロー ──ミルコだ。

「珍しいな。お前が学生を受け入れるとは」
「あぁ、生意気なクソガキに頼まれたんだ。存分にシゴいてくれってな!」

 隣に立つエンデヴァーさんの威厳も相まって、完全に縮こまってしまったわたしの背中には、「大丈夫か?」と轟くんの手が添えられている。それを見て、目の前の燃え盛る炎がぴくりと動いたのをわたしは見逃さなかった。

 と、と、轟くん! 今はその慰め、やめてくれっ! あなたのお父さまが、険しい顔でこちらを見てますっ!

 途轍もない息苦しさの中で、わたしはようやく言葉を吐き出した。

「苗字、名前です……し、死なない程度に、よろしくお願いします!!」
「やだね!!」
「うえぇ!?」
「クソガキが高くて美味い飯奢るっつーからお前を受け入れただけだ。私は一人で自由にやるのが性に合ってんだ!」
「そ、そんなぁ、」
「まぁでも付いてくるなら好きにしな!」
「は、はい!」

 わたしは先の思いやられる濃密で過酷な5日間を、ここからスタートさせる。

 

──と、思ったのも束の間。

「じゃあな!」

 制服姿のわたしを事務所に置き去りにして、ミルコさんは窓から一目散に飛び出していった。

──ねえ、嘘でしょ? 置いていくの早すぎん?

 わたしが呆然としたまま突っ立っていると、エンデヴァーさんが呆れた様子でサイドキックであるバーニンさんを呼んでくれた。とりあえず今日からの5日間はこの事務所を拠点として使用させてもらえるらしい。施設の詳細は戻り次第伝えるとのことで、わたしは更衣室を借りて急いでコスチュームに着替え、とりあえずミルコさんの後を追うことにした。


 なるほど──、初日から完全にわたしを巻くつもりだなっ!

 しかし、お兄ちゃんに無理をいって掴んでもらったプレミアムチケット。こちらとて簡単に逃すわけにはいかない。

 コスチュームを着て街に出れば、そこにはすでに準備万端のカラスたちが近くの電線に軒を連ねていた。わたしはそっと目を閉じる。カラスの目で捜索すれば、行動が大胆なミルコさんは比較的見つけやすい。案の定、即座に位置を捉える。

 超速で地上から飛び上がり、障害物のない空中を飛んで彼女の後を追った。

 都会の中を飛ぶのは、久しぶりだ。地元での訓練中も、こんな明るい時間に街中を飛ぶことはなかった。空を飛ぶのはいつも決まって、夜だったから。──今回、ようやく陽の元で許された活動。わたしはまだ雛鳥ですらないけれど、必ずお兄ちゃんみたいな立派なヒーローになってやるんだ。

 よしっと兜の緒を締め直し、風に乗ってスピードを上げた。
 

 しばらくして、ようやく彼女の背中を捉える。しかし到着すると、ミルコさんの足元にはいかにも敵です、といったなりの人間がすでに踏み付けにされていた。
 わたしに気付いたミルコさんが、少しだけ目を見開く。

「よく追いついたな!」 

 彼女の近くに降り立つと、走り寄る警察官たちの姿が見えた。ミルコさんは意外なわたしの到着に驚きながらも、周囲の群がる市民に片手でガッツポーツを決めている。まるでステージに演者が登壇したかのように、大きな歓声が上がった。男勝りで勝ち気な人だが、ファンサを忘れないあたりやっぱりNo.8のプロヒーローだ。

「次からはわたしにもお手伝いさせてください!」
「要らん!!」
「うえぇ!?」

 そういって足早に飛び立ったミルコさんを、わたしは負けじと自慢の翼で追いかける。ただ追いかけるだけの5日間になんて、させてなるものか。どっぷり成長して相澤先生をぎゃふんと言わせてやるんだからっ! そう息巻いて、わたしは先週、先生に言われた言葉をもう一度自分の胸に刻んだ。

『俺の助言の通りとはいえ、また随分と振り切ったな……』
『えへへ。今回はポジティブな方のコネなので許してくださいっ』
『まあいい。しっかり揉んでもらえ』
『はいっ!』

 

 日が暮れて、数時間が過ぎた頃。

 夜まで追って追われてを繰り返す内、体力のない私は猛烈な疲労を感じ始めていた。ビルの屋上をぴょんぴょんと飛び回るミルコさんの背中を、それでも歯を食いしばって追いかける。

 そんな中、ふと彼女の足が止まった。今日、何度か目撃した、彼女が小さな音を拾うときの仕草だ。

──なにか、ある。

 意識的に目を凝らすと、前方の大通り向かいの路地裏、遠くに見えるビルの隙間に、ナイフを掲げた男が立っていた。男は無理やり連れ込んだであろう女性に、何やら叫びながらナイフを振り上げている。

 わたしはミルコさんの斜め後ろから、羽をもぎり弓矢を構えた。しかし視界の端に映った彼女は、すでに自慢の脚力で動き始めている。

 くそっ、もう”音を拾った”のか、この人は!

 彼女のずば抜けた危機察知能力の高さには、目を見張るものがある。それでも──、

 一回くらい、一回くらいはせめて! この人に追いつきたい!

 力を込めて放った矢は、路地裏へ飛び出したミルコさんの横を飛び越え、ナイフを持つ男の腕を捉えた。距離があるので音は聞き取れない。しかし男の手から、たしかに刃物が落ちるのが見えた。

 次の瞬間、ミルコさんはすでに路地裏へと到着していた。男を頭上からバコンと踏み付けにする。

 こちらも急ぎ路地裏へと飛ぶと、思わぬ罵声を浴びせられた。

「人の獲物、とってんじゃねぇよ!」

 その暴力的な言葉とは裏腹に、やけに楽しげな声が耳に届く。

 わたしは、今日一日の彼女の横柄な態度に遠慮を失ってしまったのか、「……あたしだって、負けてばかりじゃないですから!!」と、勝ち気なウサギに向かって吠えるのだった。

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