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職場体験 ②
「ついてこい!」
そう言ってミルコさんに連れてこられたのは、街外れの路地裏に佇む大衆食堂だった。
歴史を感じさせつつも小綺麗に整えられた木造建築の一軒家。もう日を跨ごうという時間なのに、店先には”定食”と文字の入った赤い提灯が吊るされている。ずいぶんとアルカイックな雰囲気だ。
「おお! ミルコちゃん! いらっしゃい!」
店内に入ると、気前の良さそうな年配の店主が迎えてくれた。平日のこんな時間なのに、店内は随分と賑やかだ。客の数人もミルコさんに気づいて手を上げる。馴染みの店、なのだろう。
一番奥のテーブルに着きしばらく待つと、注文もしていないのになぜかわたしたちの目の前には定食やら丼やら麺やらが卓上に所狭しと並べられていく。その途方も無い数の料理に、わたしは言葉を失った。
え、これ誰が食べるん?
「私ゃ後進育成なんかするつもりはないが、ひとつ言いたい! お前、細すぎだ! 食え!」
そう言ってミルコさんは、手前の丼から順にすさまじい勢いで掻き込み始めた。
わたしの目の前にも大盛りの範疇を遥かに凌駕したカツ定食が、どどんと構えている。……到底、人間の食べれる量じゃない。
ぐっと息を呑んで、とりあえず揚げたてのカツを一切れ、箸でつまむ。小さくかぶり付いた。
「んっ、おいしっ」
量だけの店じゃなかったんだ……。意外にもそのままパクパクと箸が進んでいく。
「なんだか懐かしい味ですね。ミルコさんがこういったお店に来られるのは、少し意外です」
「なんだぁ? 文句あんのか?」
「ないですよ!」
「じゃあもっと食え!」
「食べてますよ〜……少食なんです、体質的に」
「そうか、じゃあもっと食え!」
「うええ!? 聞いてます、私の話!?」
ミルコさんが丼に埋めていた顔を上げて、こちらを見た。米粒のついた口元をニヤリと歪ませる。
「食って肥えろ。そしたら明日、手合わせしてやる」
「……え!? ほ、本当ですか!? よーしっ!」
今日の振る舞いからして、手合わせなど絶対に無理だろうと思っていた。予想外の言葉に後押しされて、嬉しさそのままに負けじと食らいつく。
一縷の望みをかけて、わたしは目の前の大盛りカツ定食に立ち向かうのだった。
『俺たちはしばらく保須に出張する。事務所は好きに使え』
どうせエンデヴァーは”ヒーロー殺し”を追ってンだろう。強え敵。気にはなるが、人の獲物を横取りするほど落ちぶれちゃいねぇ。……とかく、今回は公認のサンドバッグもあるしな。
「もっと食え!」
「ひえぇ……」
こいつ、動きは悪くねぇ。だが細すぎだ。蹴り甲斐もクソもあったもんじゃねェ。……よーし、肥やそう。
そうして馴染みの店に連れてくると、いつも通りのうまい飯が出てきた。ここに来れば頼まずともうまい飯が大量に運ばれてくるから好きだ。並べられていく皿を見て徐々に絶望していくこいつの顔も、そこそこ面白ぇ。
存外気に入った目の前のカラス。丼を掻き込みながら、明日はこいつをどう嬲ろうかと考えていると、親父がにんじん料理の皿を持ってきた。
ようやく来たか──。
「へい、おまち! ミルコちゃん、連れがいるなんて珍しいな!」
「まァな」
「うっぷ……ど、どうも」
「ハハ! 味はどうだい?」
「は、はいっ! おいしいです! でも、量が……おかしい、です」
「ハハハ! ウチに来たらミルコちゃんはこれくらいぺろりと平らげるからな! 通常運転さ!」
「お前、細すぎなんだよ。もっと食え!」
「ひえぇぇえ……ミルコさん、食えしか言わん〜」
青い顔をしたカラスを他所に、私はにんじんの皿を手に取って口に流し込んだ。
やっぱ、うめぇな、これ。
──バキッ
聞いたこともない音が身体に響いた瞬間、わたしは横腹に受けた蹴りで壁に叩きつけられていた。そのままズルズルと床に傾れ込む。
「ガハッ……」
「ハッ! 弱ぇな!」
昨晩、一度だけ先を越せた事実にかまけて「本気でやれば、きっと追いつける」などと、花を咲かせていた自分の頭をぶん殴りたい。ミルコさんに蹴られれば、わたしのひ弱な身体では当たり前に骨が砕けてしまう。
くそッ、回復するからって、バカスカと無遠慮に!
そもそも能力自体が、接近戦に向いていないんだ、わたしは──。だって戦闘スタイルは、弓矢での遠距離攻撃がメインだし。いや、と言うより攻撃方法はこれしかない、が正しいか。
ちなみにこの”日の矢”も、カラスの操作もすべて、兄との訓練の中で培ったものだ。
『名前は、索敵役や後方支援の方が向いてるよ。これからは得意を伸ばしていこう』
兄の言葉のままに、わたしは研鑽を積んできた。しかしその反面、接近戦にはめっぽう弱くなったともいえる。
加えて、超再生がこれを後押ししていた。秒速で骨も肉も回復してしまうわたしの身体では、筋肉が作られる過程をすっ飛ばしてしまう。
筋肉とは本来、切れた筋繊維がタンパク質を伴った補修を繰り返すことで作られていくわけだが、わたしの場合は補修というよりも傷つく前の状態に”戻る”という感覚に近い。よって近接戦闘に必要な筋肉がつかないんだ。
さらに言えば、背中には大きな”荷物”を背負っている。当たり前に視界を遮るそれは、自分の背後を視界不良に陥れていた。
「カッ……ハッ……」
「おーい! 待ち時間、増えてんぞォー!」
あばらが肺に突き刺さっている、気がする。
呼吸もままならないので、返事もできない。彼女が言っているのは、蹴られてからわたしが立ち上がるまでのロスタイムのことだ。
虫の息のまま、丸まった身体をなんとか床から引き剥がした。口の中には最初の蹴りを受けて以降、ずっと血の味が広がっている。
「ハァ……うし、ろ……からじゃ……ハァ……見えない、です」
「ハッ! 言い訳とかしゃらくせェ! お前の”それ”はお飾りかよ!?」
根性で立ち上がった直後、背後から腰骨が砕けるような蹴りが打ち込まれた。
「ゴフッ……!」
「ほら、てめぇの兄貴もやってんだろ? 察してみろよ!」
この人、言ったそばからっ!
文字通り、わたしはサンドバッグにされている。一瞬でも気を抜けば、意識がふっ飛びそうだ。
床にのさばったまま、悔しさを糧に自分の腕へと噛み付いた。白んだ景色が、少しだけ明瞭さを取り戻す。
クソッ、眠ってたまるか。たまるかっ!
背後からは「……いいねぇ」という上機嫌な声が届く。まるで捉えた獲物をうっとりと眺めるかのような、そんな声だ。彼女はわたしを跨ぎながら、上から見下ろしているに違いない。これがウサギだって? ──とんでもない。小動物を狩る肉食獣じゃないか。
立ち上がれど立ち上がれど、幾度となく打ち込まれる背後からの蹴り。その度に砕ける骨。せり上がる黒褐色の吐瀉物。無骨で無遠慮で無神経な攻撃に、わたしは気概と矜持で意識を縫い留める。立つんだ、名前。立て!
常人であれば命を伴う危機的状況。その中で、スローモーションに見えた、刹那。肉食獣の放つ風圧に、神経が研ぎ澄まされていく。──ああ、感じる。わたしは知っている、風の感じ方を。自分を取り巻く、気流の形を。
一瞬、何かを掴んだ気がした。そうして少しずつ、本当に少しずつだが、わたしは背後の気配を捉え始めていた。