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三十六、頼って欲しいんだよ
「名前さんはいかがでしたか? 職業訓練」
「んー、もうね、ボッコボコにやられたよ……」
「まあ、そんなに!」
百ちゃんに話しかけられて、わたしは机に突っ伏したままオーバーリアクション気味に答えた。
正直なところ、ミルコさんの顔を思い浮かべるだけで身体のそこかしこに痛みがよみがえる。今もまだ、骨が小枝のようにポキッと折れる感覚が身体に染みついたままだ。
「スパルタだったのですね……」
うん、スパルタっていうか殺されかけたに近いけど。なにせ肋骨が肺に刺さって何度も黒い血を吐いたし、その合間に腰骨もバキバキにへし折られたし。なにが一番怖いって、その間中ずっとミルコさんが楽しそうに笑ってたってことだ。
まあ、とてもみんなには言えないけれど。
「それでも行って良かったかな。大きな学びがあったし」
これは正直な気持ちだった。なにせミルコさんくらいぶっ飛んだ人間じゃないと、十六歳の少女を殴る蹴るの暴行なんて正義感が邪魔してやってもらえないから。
そう考えると得たものは大きい。きっとお兄ちゃんも、そこらへんを見越してミルコさんと繋いでくれたんだろう。
「お前、やっぱりあの時……」
「あっ! 違う違う、それは本当に違うの!」
あちゃ。轟くんの前で、この話は禁句だった。
斜め前からの鋭いツッコミに、職場体験での事件を思い出す。まあ、トラウマを植えつけられたのはわたしではなく、確実に彼の方だろうけれども。
「もしや苗字くん、君もエンデヴァーヒーロー事務所だったのかい?」
「ううん、違うの飯田くん。わたしはエンデヴァー事務所の施設を借りてただけで──」
かくかくしかじかでと、飯田くん、緑谷くん、百ちゃんに説明すると、間髪入れずに緑谷くんが食いついてきた。
「ええええ!? 苗字さん、あのラビットヒーローミルコのところに行ってたの!?」
「あぁ……うん、まぁ」
「すごいっ! すごいよ苗字さん! ミルコは拠点を持たずサイドキックも雇わずの個人で活動するヒーローなんだよっ! そのミルコが職場体験を受け入れてくれるなんてっ!」
「あはは、だね。個人主義すぎて街中じゃほとんど放置プレイだったけど」
「うわあ~! 後で色々聞かせてもらえないかな!? ミルコの目撃情報は全国津々浦々だからこそなかなか生で聞けるもんじゃなくて僕も色々とネットで調査を続けてるんだけど、どの情報も私情が混ざってるから特徴を捉えづらくてやっぱり直接目にした人から直接話を聞くに限ると僕は──」
「あ、相変わらずだね、緑谷くん……」
こういう時の緑谷くんは距離感がバグってて、時々びっくりするぐらい顔が近い。本人は気付いてない様子だけど、一体どこのお茶子ちゃんだよ、君。
「っていうか、大変だったのは三人の方でしょ。本当に心配したんだよ」
飯田くんを見上げながらお灸を据えると、彼は申し訳なさそうに眉を下げた。けれどもその表情はどこか吹っ切れたようにも見える。
「その件に関しては、心配をかけてすまなかった」
彼が頭を下げて、直角に折り曲がった。
違うよ、飯田くん。申し訳ないのはこっちの方。いつも一緒にお昼を食べて、一緒に帰る仲なのに。何一つ気付いてあげられなかったのは、わたしたちの方なのだから。
「頼って欲しいんだよ。……お友達だと思ってるから」
頬を膨らませながら追い討ちをかけたわたしに、飯田くんは少しだけ目を開いて、それから笑った。
「ああ、友人に隠し事はよくないな」
そのふっとこぼしたような、飯田くんにしてはちょっぴり人間くさい笑顔が、この一週間で大きく成長したのだと語っている気がした。
「ハイ! 私が来たーってな感じでやっていく訳だけどもね。ハイ、ヒーロー基礎学ね。久しぶりだー少年少女! 元気か?」
今回のヒーロー基礎学は、遊びの要素を含めた救助訓練レースを行うらしい。運動場γ、複雑に入り組んだ迷路のような密集工業地帯にA組は集められていた。救難信号を出すオールマイトを、町外れから五人が一斉スタートして救助に向かう流れだ。
「ふふっ」
クラスメイトたちの後方で説明を聞きながら、言っちゃ悪いけどこれはダントツだなとニヤけてしまう。
工場地帯が密集してようがわたしには一切関係ない。だって空中でわたしに勝てる人なんて、このクラスにはいないのだから。
ニヤニヤしていると、後頭部にビシッと衝撃を食らった。
「痛っ……!」
振り返ると、わたしの頭にデコピンをかましたらしい爆豪くんがこちらを睨みつけている。
「ニヤついてんじゃねェ、気持ち悪ィんだよ」
「なっ……」
え、急になにするの、この人。あいかわらずの悪童っぷりに、呆れて物も言えない。というか、わたしは前を向いていたんだから、爆豪くんからは見えなかったはずなのに。
嫌悪感たっぷりに「ありえない」と訴えると「翼がウゼェんだよ」と言い返された。──ああ、なるほど。たしかに翼はわたしの身体の一部だから、たまに気持ちが現れてしまうことがある。
ひとり納得していると、また「ウゼェ……」と咎められた。喋ってないよ、このカルシウム不足め、と心の中で悪態をつきながら、ジンジンする後頭部をさする。
もしや爆豪くん、職場体験で嫌なことでもあったのだろうか。八つ当たりとか、みみっちい奴め。
胸の内で小さく罵倒して、ぷいっとそっぽ向いた。
その先で三奈ちゃんと目が合う。こちらを見てニヤニヤする彼女は、いかがわしいことを考えていますという顔をしていた。
オールマイトまであと数十メートルというところで、視界の端に紫の玉がうつった。
「見つけた!! 俺は戦略的に行くぜコノヤロー!」
連なった紫色の数珠がこちらへと飛んでくる。それを空中でヒュイと躱した。
「俺も連れてけぇえ!!」
峰田くんだ。どうやらわたしにくっついて合理的に二番手を狙う算段だったらしい。
にやり。口の端を上げて、峰田くんに叫ぶ。
「いいよー! 一緒行こうか、峰田くん」
「……へ? いいのかよ」
予想外のわたしの反応に、意表をつかれた彼は「なぜ?」という表情のまま固まっている。峰田くんの元へと方向転換して、速度を落とさずにビュンと彼の足首を片手で掴んだ。
「ぐわっ!! も、もっと丁寧に扱ってくれよー! 苗字!」
逆さ吊りになった彼を掴んで、そのままオールマイトのもとへと加速する。
「ぎゃぁぁあああ!!!」
「あはははは!」
回転しながら風を切れば、彼の小さい身体は突風に押し負けて上下左右にぐわんぐわんと揺れ始めた。成す術もなく、強風と慣れない浮遊感に晒された彼は、涙を流しながら金切り声を上げている。
「降ろして苗字、おろしてくれぇぇええええ!!」
「はいはーい」
彼のお望み通りに泡を吹く彼を近くのタンクの上に降ろして、オールマイトの元へと到着した。もちろん一番手だ。
「HAHAHAHA! 苗字少女は職場体験でユーモアも磨いてきたのかな? すばらしい! ハイ、一着ね。おめでとう!」
「ありがとうございます、オールマイト!」
ぬっと頭を差し出すと、オールマイトから〝よしよし〟をゲットした。最高にいい気分だ。
クラスメイトたちの元へ戻ると、瀬呂くんから「なんか苗字、ちょっと意地悪になってねぇ?」と咎められた。
ひどいな、瀬呂くん。遊び心を掴んだと言ってほしいものだ。