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仮眠室の密会
今朝はミルコさんの話が聞きたいって、あんなに熱烈に語ってたのに──。
放課後を迎えるなり、教室を飛び出して行った緑谷くんが気になった。今回が初めてのことじゃない。彼は時折、ふっと姿を消す。
「わたしも用事思い出したから、ごめん! 今日は先に二人で帰っててもらえるかな?」
不思議そうにするお茶子ちゃんと飯田くんを教室に残して、急いで彼の後を追った。わたしには保健室以外に緑谷くんが行きそうな場所が思いつかなくて。だから、ほんの出来心だったんだ、彼の後をつけてしまったのは──。
仮眠室という名の扉をノックをしてするりと入っていく緑谷くんを見つけたのは、最後の角を曲がってすぐのことだった。
「放課後に、仮眠室……?」
念のため曲がり角に隠れて、廊下の先をそっと覗き込む。
おそらくあの仮眠室は教員向けの部屋に違いない。寂しげな廊下にひっそりと佇む一室は、仮眠室というだけあって学内の喧騒からは遠い場所につくられている。人気のない廊下に、より一層疑念が深まった。
彼は一体、ここでなにを──?
わたしはその場で目を瞑って、仮眠室の窓側にカラスを飛ばした。
窓側には止まり木がなく、窓際をすっと通り過ぎる程度でしか室内を拝むことはできない。しかしその一瞬でも、中にいる二人の人物をはっきりと視認することができた。
緑谷くんと、……事務の人?
あの人はたしか、体育祭で緑谷くんが大怪我をした時に付き添っていた人だ。やっぱり学校関係者で、しかも知り合いだったのか。二人は何やら深刻そうな顔で話し込んでいる。
ただし前回とは異なり、男性の方は派手な黄色のスーツを着ていた。事務員にしては随分と洒落ている。──彼は一体、何者なんだろう。
気付けば自分の足は、仮眠室の扉の前まで到達していた。音もなく忍び寄り、扉にそっと耳を当てる。目を瞑って視界はカラスと共有しながら、かすかに音のする扉の奥に耳を傾けた。
しかし会話の内容は、ほとんど聞き取れない。それでも辛抱強く待つと、突如、緑谷くんから叫び声が上がった。
『え゛!! じゃ、じゃあまさか! ヒーロー殺しにワンフォーオールが!?』
『いや、いやないよ。君ならそれを──』
── わんふぉーおーる……?
ああ、ワン・フォー・オール。一人はみんなのためにってやつか。ヒーロー殺しに人を思いやる心でもあったのだろうか。
会話は続いているようだが、先ほどの叫び以外はやはりほとんど聞き取れない。カラスとの共有を切って、扉の奥の音に集中する。今度は男性の声が荒ぶった。
『無個性だと……彼にも、……さ。……まわりも……のない、個性を与えるだけという意味のない個性が! 力をストックする個性と、与える個性が混ざり合った! これが──』
「おい」
「ぎゃ!!!」
突然の声かけに身体が跳ねる。バッと振り返ると、そこには訝しげな目でわたしを見つめる相澤先生が立っていた。
「あっ……せ……せんせ、」
「お前、こんなところで何してる」
驚きのあまり背中を扉に張り付けてしまったわたしを、高い位置から黒点のような冷めた目が見下げている。
まずい、まずい! 見られた! よりにもよって、相澤先生にっ!
「いや、あの、えっーと、道に……そう、迷ってしまって………じゃ、じゃあ、わたしはこれで──」
考えうる限り最悪の危機的状況から、とにかく退散しようと横を向く。すると、ドンッと大きな音を立てて目の前を黒い腕が塞いだ。
「逃げるな。質問に応えろ」
「ひぃっ!」
逃げ場を無くして思考が停止する。せ、せめて理由を考えなくては。こんなところで耳をそばだてていた理由を、今すぐに、なにか、なにか──
「……中に、誰か居るのか?」
「い、いえ……」
「中の会話聞いてただろ、お前」
「盗み聞きなんて、そんなっ」
「盗み聞いてたんだな」
「あ、やっ、ちが……」
先生が腕を降ろして、そのまま扉をコンコンとノックする。「開けますよ」と言って、扉を開けた。
「……ああ、お二人さん。また仲のよろしいことで」
え──?
相澤先生の予想外の言葉に、思わず振り返る。
部屋の中には顔を真っ青にした緑谷くんと「や、やあ!」と片手を挙げたオールマイトが座っていた。そして彼は、見紛うことなき黄色いスーツを身につけていた。
「いろいろ見えるからって人のプライベートにあまり干渉するな」
「…………はい」
「それと、ああいった盗み聞きは素行が悪いだろ」
「…………はい」
「お前、俺の話聞いてないな?」
「…………はい……え!? いや、いやいや、聞いてます!」
「聞いてないだろ」
「聞いて……ませんでした。ごめんなさい」
一歩先を歩いていた先生が立ち止まって、頭を掻きながら、はぁ、とため息をついた。ああ、また先生にため息吐かせてしまった、と頭の隅で小さな警鐘が鳴っている。黒い背中は、呆れて言葉もないよ、と告げていた。
だって……とんでもないもの、見ちゃったんだもん……。
正直、わたしの頭の中は先ほど目にした事実で思考がキャパオーバーだ。ガリッガリの人物が忽然と姿を消し、筋骨隆々のオールマイトにすり替わってしまったのだから──。
いや、おそらくすり替わったのではなくて、変身してしまったのだろう。つまり変身前のガリッガリの人物こそが、オールマイト、ということになる。
もしかして、相澤先生もこのことを知ってるんだろうか──? それとも緑谷くんとオールマイトだけの秘密なのだろうか。まぁ、わたしも意図せず見てしまったけれども……うーん。二人だけの秘密なら、わたしは胸の内に秘めておくべきだろう。
いや、でも気になる。気になり過ぎる。だって、あの平和の象徴オールマイトだよ?
「……緑谷くんが、ミルコの話聞きたいって言ってたのに、どっか行っちゃって……変な部屋に入ってくから、気になって……そしたら中から声がして、それでつい……」
「さっきも聞いた」
「う、……はい」
横からそっと顔を覗けば、先生はやっぱりまだ眉間に深い皺を寄せていた。
「……ごめんなさい」
罪悪感で俯けば、夕日に照らされた先生の影が、長く廊下に伸びていた。それがまるで彼の怒りのボルテージを表しているようで肩がすくむ。大人に怒られるのは、苦手──。
「……本当にごめんなさい」
「はぁ……」
「ご、ごめんなさい! もう、しませんからっ」
「……そこまで怒ってないよ」
「え?」
顔を上げると、先生は眉間の皺をわずかに解いて、わたしを見つめていた。いかにも怒ってそうだったのに、今は少し憐れむような色に染まっている。今度は、謝り過ぎてしまっただろうか──。
「そもそも、あんな場所で話していたあの二人の方が変だろ」
「……そう、ですかね?」
「あぁ」
少しだけ高鳴った鼓動が落ち着いていく。
「そっか……それも、そうですね」
また歩き出した先生の後ろを、とぼとぼとついていく。しばらく沈黙を共有していると、ふと心操くんのことが頭に浮かんだ。なんでだろう、と自問自答する。
ああ、そうか、先生との沈黙も嫌じゃない、かもしれない──。
なんとなくそう思った。
「……そういえば、先生」
「なんだ」
「……あ、」
溢れ出そうになった問いは、先ほどのお説教がよぎって二の句が継げない。あー、とか、うー、とか言って本題を切り出さないわたしに、先生が「なんだよ」と言ってやきもきしながら振り返った。
「これは、その……本当に偶然見かけたんです。先生のこと、カラスで見てた、とかじゃなくて……」
「…………」
「だから、えーっと、その……」
すべてを察したであろう先生が、いいから早く言えと目で急かしてくる。
「心操くんと、森の中でなにしてるんですか?」
「…………」
さっきの沈黙が嫌じゃない、というのは勘違いだったかもしれない。重苦しい空気がざわりと背中を撫でていく。
「やっぱり、大丈夫です。ごめんなさい。……わたし、なにも見てません」
返答までの間に耐えられず、捲し立てた。また怒られるくらいなら、知らない振りをする方がマシだ。
「……明日の放課後、お前も来い」
「え?」
予想外の言葉に、わたしは目を丸くする。
「あいつにも練習相手が居ないと、張り合いがないだろ」
そう言って薄笑いした先生はめずらしく楽しげで、とにかくわたしは怒られなかったことにほっと胸を撫で下ろした。