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三十九、秘密の共有者

「あの……ご相談したいことが、あるんです」

 緑谷少年以外で、私に直接指導を仰ぎたいと言ってきた生徒は彼女が初めてだった。
 つまりそう、端的に言うと、私はとても気合が入っていた。大切な生徒が教師としての自分に助けを求めてきたのだから。

「失礼します」
「やあやあ、いらっしゃい! 苗字少女」

 人間、慣れというものは恐ろしいもので。緑谷少年との密会場所である仮眠室に、特段考えもせず呼びつけてしまった私は、お茶を淹れようとして自らを省みた。

 オウ、シット! マッスルフォームだとお茶も淹れづらいな。

 太くなった指はお茶を淹れるという細かい作業に手こずり、そんな様子を見かねた彼女は「先生、お茶くらい淹れますよ」と私の背中を押してソファへと催促した。

「すまないね」
「いえ、お気になさらず」

 彼女の細い指が急須へ茶葉を入れるのを確認し、その背中に問いかける。

「こうして二人でゆっくり話すのは初めてかな?」
「はい。オールマイト先生はいろいろとお忙しいので……少し、時期を伺っていたんです」
「いやぁ、そんな気遣いまでさせてしまってすまないね」
「いえ、大したことでは」

 彼女の柔和な雰囲気は鳴りを潜め、緊張した面持ちが相談事の深刻さをつぶさに表していた。
 よほど深刻な悩みなのだろう。教師である私がしっかりと導いてやらねば。

「実は、私も苗字少女に聞きたいことがあったんだ。……君の、個性の件で少しね」
「やっぱりオールマイト先生もご存知だったんですね。わたしの無個性のこと」
「ああ。資料を読ませてもらった程度だから、君の口から事の次第を直接聞いてみたいと思っていたんだ。……いや、その前にまずは君の悩みを聞くのが先だね。HAHAHA! 私としたことが」

 最後の一滴まで注がれた香り高い緑茶が、そっと私の前に差し出される。

「どうもありがとう。それで、相談というのは──」

──コンコン

 おや、まさかこのタイミングで来客か? この部屋に来るのは、緑谷少年くらいしかいないはずだが。

「失礼します!」

 スライドした扉が開いて、予想通りの人物が姿を現した。やはり緑谷少年だったか。

「オールマイト、苗字さんから僕を呼んでるって聞いて──」

 そこで、ハッとした。
 湯呑みを掴んだ指が、急速に冷えていく。

──コホン

 彼女が、わざとらしく咳払いをする。

「相談というか、──ワン・フォー・オールについて伺いたくて」

 私と緑谷少年の顔から、サーっと血の気が引くのを感じた。


「先に言わせてください。わたし他言するつもりはないんです。人には誰しも知られなくない秘密の一つや二つはあるでしょうから。現に、わたしにもありますし」

 オールマイトは先ほどからシューっという煙を出しつつも、冷や汗を掻きながらわたしの話に耳を傾けている。
 緑谷くんは青ざめたままだ。まるで蝋人形のようにオールマイトの隣で生気を失っている。

「ただ、前回ここでオールマイト先生の姿を目撃してから二週間ほど、こっそり二人の様子を伺ってたんですけど……あまりにも隠す気がない、といいますか……その、つまりバレバレで」

 緑谷くんが、ガクンとこうべを垂れた。秘密がバレたことに責任の一端を感じているのだろう。わたしは容赦なく続ける。

「だって、オールマイト先生はそこかしこで煙吹くし、よく緑谷くんを呼び出すし。〝蜜月ですね〟で済んでるからまぁいいですけど、相澤先生もあれは入れ込み過ぎだって──」
「わ、わかった……十分だよ、苗字くん」

 オールマイトが降参だ、と言わんばかりに両手を上げた。

「こっそり盗み聞きしてたのは、ごめんなさい」
「いや、それは我々が注意を怠っていたわけで、君が気に病むことじゃないさ」

 シューっと煙が濃くなって、それからボンッと音を立ててガリガリの男性が姿を現した。時間切れのようだ。
 それでも、わたしは驚かない。
 ここ二週間で幾度となく目撃してきた光景だからだ。

 緑谷くんはオールマイトの隣で膝をくっつけて縮こまっている。垂れた首は角度を増して、今や頭が膝にくっつきそうな勢いだ。
 追い立てたわたしが言うのもなんだが、大丈夫だろうか。

「お二人は、師弟関係とかですか?」
「……そうだとも言えるし、そうでないとも言える。ある種、血よりも濃い関係さ。我々は、ワン・フォー・オールという絆で結ばれている」
「オールマイトっ!」
「構わない、緑谷少年。いや、致し方ないことだ。彼女の耳に入ってしまった以上、説明しないわけにもいかない」

 それからオールマイトはわたしに向き合い、静かに淡々と真実を語り始めた。

 話の発端は、彼が限界を感じて後継者を探していたことだった。
 そんな中、緑谷くんに出逢ったこと。無個性だった彼にヒーローとしての本質を見せつけられて、力を譲渡すると決めたこと。
 ワン・フォー・オールとは紡がれてきた力であること。そして、それを受け継ぐ者は、いつか必ず巨悪と戦う運命にあるということ。
 なによりも、この話を知ること自体に危険が伴うということ。

 オールマイトが話を終えるとともに、緑谷くんが呼応するように気持ちを吐露した。

「僕は、オールマイトみたいなヒーローになりたくて、でも無個性で……ずっとヒーローは遠い存在だった。でも、そんな僕をオールマイトは選んでくれたから、育てようとしてくれているから! だから全力で、その期待に応えたいんだ! ……僕が、最高のヒーローになるために!」
「緑谷少年……」

 緑谷くんにとってのオールマイトは、わたしでいえばお兄ちゃんのような存在なんだろう。いや、個性で繋がっているというならば、それ以上といえる。
 彼から時折感じていた〝オールマイトのためならなんでもできる〟という気概が、わたしの中でようやく腑に落ちた。

「……うん、わかった」

 背筋を正し、バサリと翼を折りたたむ。

「この秘密は、必ず墓場まで持っていく。絶対。約束します」

 二人から安堵のため息が漏れた。
 反対に、わたしの腹には力がこもる。こちらだけが秘密を得るわけにはいかない。

「ちなみにオールマイト先生は知ってるんだけど、わたしも無個性なんだ」
「…………へ?」
「〝も〟って言い方は語弊があるか。緑谷くんは、今は無個性じゃないわけだし」

 緑谷くんは予想通りに目を大きくしたまま、小首を傾げた。

「苗字少女……」
「秘密の共有者になったんだもん。自分のことも話さないとフェアじゃないでしょう?」

 わたしはオールマイトに笑いかけた。

「ど、どういうこと? 苗字さんが、無個性って」
「そのまんまの意味だよ。わたしには〝個性因子〟ってのが無いみたいなの」
「個性因子、がない……?」

 わたしが雄英に入学したのは、わたしの意思だ。
 誰の命令でもない。

 お兄ちゃんに少しでも追いつきたくて、でも追いつけなくて。自分に足りないものって何だろうと考えた時に、それは〝学校にいくことでしか学べないこと〟だと気がついた。
 人見知りで、他人を信用できなくて、漠然と「この人みたいなヒーローになりたい」と思ってた頃とは、違う。

 街の人から愛されてて、頼りにされてて、強くて、カッコよくて──。
 そんなお兄ちゃんみたいになるために、わたしは彼から離れなければならないと思った。
 もっと人と、いろんな人たちと、接する機会が必要なんだと気がついたから。

「あるツテで雄英の特別推薦入試を受けることになって、相澤先生と対峙して、そこで初めてわかったことなの。その後いろいろ検査して、個性因子がないことがわかった。こんな翼は生えてるのに、笑っちゃうよね。……最初は驚いたし、ショックだった。けどね、今はどっちでもいいっていうのが正直な感想」

 個性だって、個性じゃなくたって、わたしの力はわたしのものだから。

「お医者さんには超人社会の亜種かもしれないとか、新しい進化の形だとか、逆に退化だとか、いろいろ言われたけど。それでも誰かを助ける力になるのなら、何でもいいって今は思えるようになった」

『名前は、名前の思う道を行けばいい』

「オールマイト先生も含め、ヒーロー科の先生たちはみんな知ってるんだけど。一応、みんなには秘密だからよろしくね」

 にっこり微笑むと、緑谷くんがぐっと肩に力を込めた。

「……う、うん! 僕も、絶対に誰にも言わない。墓場まで持っていくよ!」
「うん、ありがとう」
「こちらこそ、話してくれてありがとう。苗字さん」

 こうしてわたしたちは、秘密の共有者としての契りを結んだ。

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