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入学

 律儀に自分の足で歩いてきたら、ギリギリの時間になってしまった。

 春の日差しもうららかなき日、国立雄英高等学校ヒーロー科1年A組。今、わたしはその教室の前に立っている。ふう、と一息。思えば3年振りの学校だ。

 いろいろあったが、なんとか”ここまで”来れた。この場所ではすべての学びを自分の血肉けつにくとしよう。ヒーローになるための素養もしかり、こと欠落している社交性も然り。

 よし、と意を決して扉を開いた。

「っ……」

 教室ではほぼ全員が着席しており、一斉に自分へと注目が集まった。ネクタイが、きつく締まる。両手にじんわり汗を感じて、今し方一球入魂した決意がぐらりと歪んだ。

 く、来るのが遅すぎたんだ! この黒い翼はどうしたって目立つし、不気味だし。その上人見知りのわたしには最初の印象こそ肝心なのに。ここで一言、挨拶でもした方がいいだろうか。いやしかし何か言おうにも、まったく言葉が出てこない。

 そんな折、背後から「うわ!」という声が飛び込んだ。振り返ると、どうやら後ろに立っていた人を自分の翼で驚かせてしまったようで、男の子が廊下の床にペタンと座り込んでいる。

「あっ、ごめんね!」

 咄嗟に手を差し出したが、彼には見えていないのか反応はない。怖がらせて、しまっただろうか──。

「黒い、つばさ……」

 漏れ出るような声。どうやら彼は”わたし”ではなく、この不気味な翼の方が気になるらしい。

 しかしその瞳には軽蔑の色などさらさらなく、きらきらとした恍惚が宿っている。そばかすが可愛い、やさしさをまとった男の子だ。

 自分の緊張がじわりと解けていくのを感じた。

「……わたし、苗字名前。よろしくね」

 笑顔で話しかけると彼はボン!と顔を真っ赤にして、わたしの差し伸ばした手をそのままに立ち上がった。

「ぼ、ぼ、ぼくの方こそ、驚いてしまってごめん!……ぼくは、」

 そばかすの男の子は途中で言い淀んで、わたしの後ろに目配せした。

 視線を追うと、机に足をかけた不良少年がメガネ男子と言い争っている。まさに問題児と優等生。初日からすごいなと感心してしまったが、目の前の彼はしっかりと絶望している様子だ。もしかして、知り合いだろうか?

 優等生くんがどしどしと近づいてくる。俺は私立聡明中学の──という彼の言葉を制止して、そばかすの男の子が”緑谷”と名乗った。

 緑谷くん、っていうんだ──。

 ふたりはそのまま入試の話に花を咲かせていく。そうか、一般入試だと既に顔見知りもいたりするのか。その点、自分には知り合いなど居ようはずもない。なんだか出遅れた感、満載だ。

「あ! そのモサモサ頭は! 地味めの!」

 扉の向こうから女の子が顔を覗かせた。こちらの女子も、緑谷くんとは既にお知り合いの様子だ。可愛いのに、結構ザックリいくなあ……。おそらくこの子も一般入試だったんだろう。

 徐々に疎外感が深まるのを感じて、手持ち無沙汰に自分の席を探し始める。邪魔になる前に、余所者は退散しよう。

 すると、やわらかい春の香りがふわりと鼻をかすめた。

「うわ! すごーい! おっきい翼やあ! きれーい!」

 女の子のやさしい香りと久しぶりに聞く”きれい”という言葉で、顔に熱が集まる。先ほどよりもうんと近い距離に、彼女は立っていた。

「……あ、ありがとう」

 わたしの翼は折り畳んでもくるぶし近くまであるから、初対面で大きいと言われることは多い。しかし、だからこそ、”きれい”はことさらにうれしい。昨夜、丁寧にブラッシングしといてよかった──。

 つい顔がほころんだ、そんな時だった。

「お友達ごっこしたいなら他所へ行け。ここはヒーロー科だぞ」

 突如、背筋にビリビリと電流が走る。聞き覚えのある低音ボイス。まさか、

「げっ」

 不意をついて出た声に、下からギロリと鋭い視線が突き刺さる。口元に手を当てるも時すでに遅し。隣で緑谷くんが「げ?」とこちらを伺っていた。

 ま、まずった……!

 下から突き刺さる恐ろしい視線。緊張からの緩和で、つい気が緩み切ってしまっていた。自分に言い訳しても、もう遅い。というか何なんだこの人。なんで寝袋に入ってるの!?

「……ハイ、静かになるまで8秒かかりました。時間は有限。君たちは合理性に欠くね。
──担任の相澤消太だ。よろしくね」

 ここに居る時点でまさかと思ったが、彼の放った”担任”という言葉に、心の中でガックリと肩を落とす。今し方描き出した楽しい高校生活に、終わりの音が響いた気がした。


 女子更衣室にて。

 先ほど翼を褒めてくれた女の子は、麗日お茶子ちゃん、というらしい。お茶子ちゃん、なんて可愛らしい名前なんだ。彼女は今もキラキラした目でわたしの翼を見つめている。

「ねえねえ、すこしだけ触ってもいいかな〜?」
「あ、うん、もちろん」
「わあ〜〜、ふさふさやあ!」
「私も私も! 私も触りたーい!」
「あたしも! わあ〜〜! ふかふか! 羽毛布団みたいだね!」

 お茶子ちゃんに続いて、ピンク色の女の子と透明な女の子──三奈ちゃんと透ちゃんがわしゃわしゃと触りながら抱きついてきた。そりゃあ本物の羽毛だからね、と心の中でくすりと笑う。

 それにしても、くすぐったい。なかなか翼を人に触られることがないから、ものすごくくすぐったい。こんなに大勢の女の子に抱きつかれるのも初めてで、恥ずかしさが突き抜けそうだ。

 しかしそろそろ着替えないと、時間に遅れてしまう。これ以上あの人を怒らせるのだけは回避せねば、今後の学校生活に差し支えそうだ。

「着替えてもいい、かな? 私”これ”のせいで着替えが大変で……」
「あ、そうだね! ごめんね!」
「てか、どうやって着替えるの?」

 三奈ちゃんが覗き込んでくる横で、背中に穴の開いたブレザーへと手を掛けた。服は、着るのも脱ぐのも一苦労だ。当たり前だけど翼は取り外せるわけじゃないから、服を肩から外して手や翼の先でそれをどうにかこうにか引っ張って、と器用にやらねばならない。

 ちなみに着るのはもっと大変だ。翼の先を服の穴に通して、とドタバタしているとみんなが手伝ってくれた。初対面なのに着脱の介助までしてもらい、恥ずかしさで居た堪れなくなる。「……ありがとう」と伝えると、3人はにこにこと笑っていた(透ちゃんは見えないけど、なんとなく笑ってる気がした)。

 クラスの女の子たちがやさしい人たちで、本当によかった。担任以外は、実に順調なすべり出しだ。


 指定の体操服に着替えてグラウンドへ急ぐと、【個性把握テスト】なるものの実施が告げられた。

「入学式は!? ガイダンスは!?」
「ヒーローになるならそんな悠長な行事出る時間ないよ。雄英は”自由”な校風が売り文句。そしてそれは”先生側”もまた然り」

 あなたの身なりが一番”自由”だけどね、という考えが頭をよぎって、顔を横に振る。いかん、いかん! こういう考えがさっきの失態を生むんだ、気をつけねば。

「お前たちも中学の頃からやってるだろ? “個性”使用禁止の体力テスト。国は未だ画一的な記録を取って平均を作り続けてる。合理的じゃない。まぁ、文部科学省の怠慢だな」

 相澤さんが、さきほど教室で騒いでいた不良少年──爆豪くんにボール投げの指示を出す。

「死ねェ!!!」という掛け声とともにボールは投げられた。なるほど、彼は性根しょうねが捻じ曲がっているようだ。メモしとこう。

「まず自分の『最大限』を知る。それがヒーローの素地を形成する合理的手段」

 デバイスには 705.2m の文字が映し出されている。

 おもしろそう! と三奈ちゃんが隣で叫んだ。それを聞いた仕事人が、ニヤリと笑う。実に、不気味な笑みだ。

「……面白そう、か。ヒーローになる為の3年間そんな腹づもりで過ごす気でいるのかい? よし、トータル成績最下位の者は見込み無しと判断し除籍処分としよう。
──生徒の如何いかんは先生の”自由”。ようこそ、これが雄英高校ヒーロー科だ」

 わたしは、選ぶ学校を間違えたかもしれない。

 お兄ちゃんに『ヒーロー科の高校なら雄英しかないよ!』と言われ即決してしまった過去の自分を悔いる。いや学校じゃなくて担任の引きが悪かっただけか? 

 大きく落胆していると、ちなみに──、と聞こえて顔を上げた。

「推薦入試の奴にも容赦しないから覚悟しとけよ」

 自分へと突き刺さる視線に、明後日の方向を向いてやり過ごす。……絶対さっきの怒ってるじゃん。しばらく目を合わせるのはやめておこうと、心に決めた。

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