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四十、爆豪くんの宥め役

「よし、授業はここまでにする。期末テストまで残すところ一週間だが、お前らちゃんと勉強してるだろうな? 当然知ってるだろうが、テストは筆記だけでなく演習もある。頭と体を同時に鍛えておけ。以上だ」

「「全く勉強してなーい!!」」

 相澤先生が教室を去った後、三奈ちゃんと上鳴くんの叫びが高らかにこだました。確かにここのところ行事続きだったし、体育祭やら職場体験やらで勉強してない人も多いみたいだ。

 わたしも、もし入学前にやってなかったら、かなりつまづいていたと思う。

 入学前というのは、みんなが中学生として過ごしてきた三年間のことだ。
 この期間、わたしは学校に通ってない。
 公安から派遣されてきた学習員さんのもと、マンツーマンで学習していたからだ。ちなみにその人の手腕もあって実は高校の範囲も結構学習済みだったりする。今になって、そのありがたさが身に沁みてきた。

 ヒーローになるために必死に勉強して、必死に鍛錬して──。
 今年の春まではそんな生活をしていたのに、今ではもう懐かしむほど昔に感じる。

「芦戸さん、上鳴くん! が、がんばろうよ! やっぱ全員で林間合宿行きたいもん! ね!」

 そんな励ましをおくる緑谷君は、ちゃっかり五位だとわたしは知っている。

「うん! 俺もクラス委員長として皆の奮起を期待している!」
「普通に授業受けてりゃ、赤点はでねぇだろ」

 飯田くんは、たしか二位。さすが委員長って感じ。
 轟くんはわたしと同じくらいの順位だったはず……あれ、何位だっけ。

「お二人とも。座学なら私、お力添えできるかもしれません」
「「ヤオモモー!!」」

 そして、我らが百ちゃんが不動の一位。

 話の流れで、彼女が三奈ちゃんと上鳴くんたちの勉強を見ることになったようだ。週末に百ちゃんの家で勉強会が催されるらしい。
 友達と勉強会なんて、なんだか青春っぽくていいなあ。

 なによりも、みんなに頼られてプリプリしてる百ちゃんが、可愛すぎる。きゅんです。


 お昼時──。

 僕たちはいつも同じメンバーで学食に行くことが多い。飯田くん、麗日さん、苗字さん、そして僕の四人だ。
 最近はこのメンバーに加えて、嬉しいことに轟くんや蛙吹さん……じゃなくて、梅雨ちゃん、も一緒に食べることが増えた。
 さらに今日は葉隠さんも一緒になって、みんなで座るには丁度一席足りないねって、話していた時のことだ。

 困った僕たちを見て、隣のテーブルから切島くんが声を掛けてくれた。

「おーい! こっちで良ければ一席空いてるぜ!」
「わ、ほんとに?」

 声のする方を振り向いて、思わず身体がピクリとした。
 切島くんの向かいが二席空いている。つまり、そこの席に座るのは──。

「あ、じゃあ、今日はわたしがあっちに行くね」
「ご、ごめんねっ、苗字さん」
「いいの、いいの! この中だと、わたしかなって感じだし」

 まぁ正直なところ、そう言われるとそうかもしれないと思ってしまった。

 切島くんは、かっちゃんや上鳴くんたちと昼食を食べることが多い。
 切島くんの向かいに二席空いているということは、今日は上鳴くんがいなくて、どちら一方がかっちゃんの席なのだろう。
 かっちゃんの隣で昼食──とてもじゃないが、僕では穏やかに過ごせそうもない。

 あのノート事件以降、ふしぎなことに苗字さんがかっちゃんと話している姿を見かけるようになった。おはようとか、バイバイとか、かっちゃんにそんな言葉を掛けるのも切島くんを除いては彼女くらいだ。

 苗字さんはその人柄ゆえか、あのかっちゃんとも良好な関係を築いているらしい。改めて、すごい人だなと思う。
 それに先日の仮眠室での一件だって──。

 僕は苗字さんに席を移動させてしまった申し訳なさとほんの少しの興味で、つい隣の会話に耳を傾けてしまった。

「は……苗字、中間四位!?」
「うん」
「マジか~、お前もできる側の人間だったか……俺、中間十六位だったんだよ。どうすっかなー、マジで」
「体育祭とか職場体験とか、行事続きだったもんね」
「そーなんだよ。ンで週末さ、爆豪に勉強教えてもらうことになってんだ」
「へ~、爆豪くんってやっぱり頭いいんだね。まぁ負けず嫌いだし、そんな気はしてたけど」
「アイツ、あれで三位なんだぜ? ズリーよな、マジで」
「そうなんだ。じゃあ爆豪くんが教えてくれるなら切島くんも安心だね」
「まぁ、そうなんだけどな……つーか、よかったら苗字も来てくれよ。爆豪だけだと色々不安だしよ!」
「ははっ! それ爆豪くんに対して失礼だよ」
「ハハ! だな!」
「行くのは構わないけど。でも、わたしがいたら爆豪くんが嫌がるんじゃない?」
「ンなことねーって! むしろ──」

 うん。僕も、そんなことは無いと思う。

 長いこと一緒にいるから分かることだけど、かっちゃんは意外と苗字さんのことを気に入っている、と思う。
 口先では変わらず暴言を吐くし、一見雑に扱っているように見えるけど。苗字さんには、なんだろう……ちゃんと女の子の扱いをしている気がする。

 特に、体育祭で苗字さんが倒れたときも、あのかっちゃんが──。

「オイ。……ンで、ソイツが座っとんだ」

 あ、かっちゃん、戻ってきた。

「おかえり爆豪くん。席が空いてなくて。って、またカレー?」
「アァ? 文句あンのか、コラ」
「うーん。やっぱり無理な気がしてきたよ、切島くん」
「ンなことねーって! なぁ、爆豪! 週末の勉強会、苗字も混ざっていいよな!? 中間四位らしいぜ!」
「俺より下かよ、ザコだな」
「なっ! ザコって、たった一つじゃんっ」
「一つも二つも下は下だろうが、ザコ」
「ううー、爆豪くんってすぐそうやって人のことバカにする」
「ザコにザコっつって何が悪ィーんだよ」
「ザコじゃないもんっ! 職場体験で八二ヘアだったくせに大口叩いちゃってさー!」
「なッ!! テメェ、あん時やっぱ馬鹿にしてたんじゃねェーか! アレはジーパン野郎にクセつけられて洗っても直んなかっただけだ!!」
「そっちが先にザコとか言うからじゃん。また言ったら一生ハチニイボーヤって呼んじゃうもんねっ」
「テッメェ!! フザけたあだ名つけんじゃねェ!! ブッ殺すぞ!!」
「ふふふっ、思い出したらハチニイボーヤ、ジワるね」

 ブチギレのかっちゃんを気にも留めず、苗字さんは隣でクスクスと笑っていた。すごい、完全にかっちゃんをイジってる。
 思わず感嘆の息が漏れた。

「す、すごいな、苗字さん。普通にかっちゃんと会話してる……」
「会話になっとるかは微妙やけどね。名前ちゃんって初対面は私らにもバチバチに緊張しとったんに、慣れたら爆豪くんにもあんな態度なんやもん。肝座っとるわ~」
「名前ちゃんといると、みんな絆されちゃうものね。ケロケロ。好きよ、彼女のそういうところ」
「苗字の奴、爆豪の相手してんのか。すげぇな」

 こっち側の会話が弾んでないと思ったら、どうやらみんな隣の会話が気になっていたらしい。
 僕の横で飯田くんがカタッと椅子を揺らした。

「しかし、また爆豪くん。学食は公共の場だと言うのに。ここはクラス委員長として俺が──」
「あ、委員長! ちょっと待って! きっと名前ちゃんなら大丈夫だからっ」
「葉隠くん。しかし、あの様子では、また彼が暴走を──」

 いいから、いいから、と席を立とうとした飯田くんを宥める葉隠さん。もう少し見てて、という彼女の言葉に、僕たちはまた隣のテーブルに耳を傾けた。

「じゃあさ、どっちが教えるの上手いか勝負しようよ」
「アァ? ……いいぜ。望むところだ、このカラス女!」
「いや、いやいや、二人とも勝負ってなんだよ!」
「わたしが切島くんに数学教えるから、爆豪くんは古文担当ね。中間より成績上がった方が勝ちだから!」
「アアァァ!? 古文なんざ暗記科目だろうが! コイツにそんな伸び代あるわけねェだろ!」
「うわっ、ひっどーい。そんなこと言ったら切島くんに失礼じゃん。あ、もしかして、教える前から負け惜しみ~?」
「ンだと、コラァ!!」

 あ、あ、やばい。

 かっちゃんの声量が上がって、周りの人たちまで注目してる! かっちゃんの目がまた凄い角度にっ! 煽りすぎだよ苗字さん! 

「っ、やはり俺が注意を──」
「委員長っ! もう少しだから待って! ね、ほらほら!」

 渦中にいざ行かんとする飯田くんと、なぜかそれを必死で止めようとする葉隠さん。僕はどうしても我慢できずに、遂に横から声をかけてしまった。

「ちょ、ちょっと二人とも……」
「ウッセェ!! 話に入ってくんじゃねェ!! クソナードが!!」
「緑谷くん。これはわたしと爆豪くんの問題だから口出さないで」
「あ、は、ハイ~」

 かっちゃんはともかく、苗字さんにまで言われてしまったらどうしようもない。もう、僕じゃとめられない。

「切島くん。週末はみっちり勉強するから覚悟しといてね。もう手取り足取りやるんだから」
「てめぇ、俺が教え殺してやんだから、しっかりオツム持ってこいや!」
「おう! 二人とも頼むわっ!」

 どうやら二人は、切島くんの成績をかけて勝負するらしい。なんだか趣旨がよくわからなくなってきている。

 そんな時だった。 苗字さんの目がキラリと光った。

「……今だっ、もーらいっ!」
「あ? ……オイ!! 人の食いもん奪ってんじゃねェ!! テメェ、どんだけ卑しいんだよ!! 育ち悪ィんか!?」

 す、すごい! 苗字さんがかっちゃんのカレーを横取りした!

「あれれ、今日はあんまり辛くないね。もしかして、甘口にしてくれたの?」
「な! ……ンで俺の飯を、テメェのザコ舌に合わせなきゃなんねーんだよ!! 今日は辛くねェ気分だっただけだ!!」
「ふふっ、そんな気分な日ないくせに。さっき並んでるとき目合ったもん。やっぱり優しいね、爆豪くん」
「ぐっ……俺は、優しくねェ!」

 ぐぐぐと唸り声を上げながらも、なぜかかっちゃんの怒りは徐々に萎んでいく。まるで風船からシューっと空気が抜けていくみたいだ。

 結局かっちゃんは、最後に「ケッ!」と洩らしてカレーを掻き込みはじめた。そうして怒りのボルテージは、完全に鳴りを潜めてしまった。

 これが苗字さんの手腕か……お、おそるべし。

「ほらね~。名前ちゃんすごいんだよ、本当に!」
「ああ、確かに。俺が出る幕ではなかったか」

 葉隠さんの言葉に、飯田くんが深く頷いた。

「爆豪くんって優しいんや……私知らんかったわぁ」
「ケロ……」
「そ、そうだね。すごいや苗字さん。ほんとうに……」
「別に、最初から大丈夫だろ。苗字なら」

 ん──?

 轟くんの言葉が引っかかった僕は、そっと彼の顔を覗き込んだ。

 そういえば轟くん。
 君の苗字さんへの信頼も、ここ最近ずいぶんと変わったようだけど。
 もしかして君も、苗字さんに絆された口だったりする──?

 その答えは、彼のおだやかな表情を見れば一目瞭然だった。

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