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四十四、日向ぼっこ

 演習試験会場は複数のフィールドに分かれており、それぞれが市街地ほどの規模を誇る。したがってこの演習場に限らず、雄英では戦闘訓練のほとんどがバス移動だ。

 第四戦で俺たちが使用した住宅地エリアと、外界とを隔てる巨大な塀。そこにそびえ立つ扉を前に、巡回バスは定刻通り到着した。一刻前に降り立った時とは打って変わって、後ろの生徒たちはその表情にやわらかさを取り戻している。

 バスに乗り込み席に腰を落ち着けた轟が、ふう、と安堵のため息を漏らした。隣に座った八百万も、また同じく。

「これでとりあえず、期末は一安心だな」
「ええ。自身のこともそうですが、なにより芦戸さんと上鳴さんの筆記が上手くいったようで、私も安心しております」

 ようやく雑談を交わす余裕ができたらしい。緊張の糸を解いた二人は、他の生徒たちの心配を口にした。

 俺の真向かいに座った優等生たちは、筆記はさることながら、演習試験も無事に突破した。
 八百万には体育祭以降、自信喪失のきらいがあったが、それすらも杞憂に終わり、この二人に関しては有終の美を飾ったといえるだろう。

 まぁ、教えることはまだまだあるが──。

「そういや、週末に勉強教えてたんだってな」
「はい。私の家で瀬呂さん、尾白さん、耳郎さんもご一緒に」
「そうか。そんな大勢でか」

 聞くところによると、どうやら中間最下位組の上鳴と芦戸は試験前の週末に八百万から教えを乞うていたらしい。
 まあ、他を慮るのはヒーローにとって重要な素質。勉強会は大いに結構。
 しかしアイツらにはせめて座学くらいは自力でどうにかしてほしいものだ、とも思う。

「着いたら起こせ」

 頭を垂れた俺に、彼らは威勢よく「はい」とだけ答えた。

 酷使した、という程でもない。が、手足につけたおもりは地味に体力を消耗した。あっちに戻れば引き続き行われているだろう生徒たちの戦闘を視聴し、各々の課題点を洗い出さねばならない。
 対戦した教師からの講評と、それを踏まえた採点。赤点者への立ち回りの指導計画から、合宿に向けた具体的かつ綿密なスケジュールまで、やることは多い。
 ヒーロー科の教師とはいえ、基本は事務仕事。面倒な業務は、そこそこにある。

 さて、今のうちに合理的に睡眠をとっておくとするか──。

 初夏の訪れを感じる陽光を背に受けながら、脳内は先日の職員会議に意識を飛ばした。

 

 期末試験の数日前。

「──続いて苗字ですが、彼女の弱点は近接戦闘です。射程距離が広範囲な分、間合いに入られると極端に弱い。無論、超回復を度外視しての話ですが」
「接近戦闘なら相手は限られるな」

 スナイプの言葉どおり、ヒーロー科教員の中で近接戦闘に特化した教師はそう多くない。

「俺か、オールマイト、ブラドもしくはエクトプラズム。しかし俺が相手では無個性の件が生徒に露呈する危険があります」

 オールマイトは、近接の弱みをぶつける上ではパワーバランス的に少し酷だろう。それとあの人の性格上、女子生徒というだけで手を抜きかねない。

 ブラドはおそらくB組で手一杯だ。だとすれば──。

「我ガ、相手ヲシヨウ」

 手を上げたのはエクトプラズムだった。

「ではエクトプラズム、お願いします。それと会場は、アイツの入試で使った例の〝箱〟にしましょう。そうすれば強制的に接近戦闘へと持ち込める」
「「異議なし」」

 ミルコとの職場体験で少なからず体術を学んできたのは確認済みだ。
 たった一週間だが、放課後の鍛錬からもそれは明らかで、わずかだが身のこなしに変化が見られる。……さて、少しは成長していればいいが。

 

「先生」
「相澤先生、バスが到着しましたわ」
「……あぁ、悪い」

 短時間とはいえ、いつの間にか本格的に眠っていたらしい。
 バスは生徒たちを最初に集めた中央広場に到着していた。傾いていた身体を起こせば、組んでいた腕の中で手枷がカシャンと音を立てる。

 まずは、これを外すとこからだな。

「んじゃ、お前らは休憩するか、モニタールームで見学でもしておけ」
「じゃあ、俺も芝生で昼寝してきていいですか」
「……あ?」

 俺も、芝生で、……昼寝?

「その、あちらに……」

 八百万の指し示す先、窓の向こうを振り返る。
 と、同時にため息が出た。

「ぐっすり、眠ってらっしゃいますわね」
「あいつ……」

 仮にもプロヒーロー相手の期末試験だぞ。
 くそっ、どういう神経してんだ。

『疲れた時に日向ぼっこすると、体力が回復するんですよ』

 冗談みたいな真か、真みたいな冗談か。
 どっちでもいいがお前が単に休みたいだけだろ、と一蹴したのは放課後の鍛錬の時だったか。

 青々とした芝生の上で、彼女は驚くほど穏やかに眠っていた。
 周りには四羽のカラスが彼女を囲っている。そのうち一羽は若干苦しそうに抱きすくめられ、彼女から抱き枕にされていた。

 残りの三羽は監視役なのか、傍から俺たちを伺っている。特段、こちらを警戒していない様子を見るに、どうやらカラスの方で要注意人物を識別しているらしい。まあ、なんとも賢い防犯設備なこった。

 自身の翼をまるで掛け布団のようにして丸まった黒い塊。そこから覗く横顔が、すぅすぅ、と規則正しい寝息を立てている。
 脚は長いブーツを脱ぎ捨て、芝生へと素足を放り出されていた。気持ちよさそうに寝入る姿に、驚きを通り越して愕然とする。

 常々こう、天然というか、誰に対しても人懐っこい生徒だと思ってはいたが、他人を信用しすぎだ。
 雄英敷地内とはいえ、こんな野外で寝るなよ。つーか仮にも女の子だろ。無防備にもほどがある。もし先に峰田にでも見つかっていたら──と考えて、不毛にも除籍の二文字が頭をチラついた。勘弁してくれ。

「そういえば、名前さん。日向ぼっこをすると体力が回復するのだと以前おっしゃっていました」
「ンなのただの言い訳だろ。どう見ても昼寝だ、これは」
「苗字、気持ちよさそうだな」

 はあ、と止まらないため息には、まだ彼女に伝えていない演習内容の分も含まれていた。戻り次第、適当なタイミングで伝えようと思っていたのに。こうも気持ちよく眠られては起こすのも忍びない。いや、起こすべきだろ、試験前だ。

 俺の隣でブランケットを創造しながら、八百万がしゃがみ込む。
 おい、そんなもん創造するな、という言葉が音になる前に、彼女はそれを掛け終えてしまった。

「そういえば、苗字さんのパートナーは誰になるのでしょう。体力の残っている方と組ませるのですよね、相澤先生」
「ああ、その件だが……」
「それなら俺がやる」
「……轟さんが、ですか?」
「ああ、怪我もしてもねぇし。そこまで体力使ってねぇからな」

 いいですか、先生、と轟が振り返った。
 さて、どう言い訳するか、と己の手が首を掻く。

「……悪いが、それはできない」

 訝しんだ顔が二つ、こちらを向いた。はなから隠すつもりもなかったが、あの場で口にしなかったのは対抗心の強い爆豪を気にしてのことだ。

「なんでですか」

 はっきりと、わずかに怒りを乗せた声が疑問を口にする。
 何ででも、だ。なぜなら苗字には──。

「一人でやってもらうからだ。エクトプラズムと、一対一でな」

 二人が目を丸くして、面倒事を発する予感がした。ならば、と踵を返し、こちらも先手を打つ。

「起きたら伝えておいてくれ、当事者のソイツに。寝ている場合じゃないとな」

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