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期末試験 ③

 あの時とは違う。今度は戦って勝たなきゃいけない。もしくは逃げ切るか。人それぞれ会場が異なるようだけど、わたしが逃げられるようなフィールドだろうか。

 いや、きっと飛んで逃げて終わりなんて、そんな簡単な試験じゃないだろう。入試の時とは、レベルが違うはずだ。

 陽の差さないモニタールームは、画面の向こうの喧騒と隔てるように静寂が響いていた。

「相手があのオールマイトじゃ仕方ねえが…… 一方的だな」
「ケロ……」
「いや、きっと大丈夫さ。緑谷くんたちなら」
「そうだよ! デクくんなら、きっとっ」

 最悪のチームワークで始まった演習試験は、蹂躙されるだけの時間から脱した。わたしたちが知り得ないなにかをきっかけに、犬猿のふたりが阿吽の呼吸で歩み出す。

『どいてください、オールマイトッ!』

 緑谷くんの渾身の一撃がオールマイトの頬に撃ち込まれたその時、長く息を潜めていたモニタールームに歓声が上がった。爆豪くんを脇に担ぎ走り抜ける緑谷くんは、無事にゴールを通過していく。

『緑谷・爆豪チーム、条件達成』

 十戦目の終了を告げるアナウンスが、軽やかに鳴り響いた。

 その瞬間、ふわり、と吹き抜けた初夏の風。閉鎖空間に高まっていた熱気が、背後の扉から一気に流れ出る。お迎えがきた。

「苗字」

 わたしを呼ぶ、おだやかに厳しさを突きつける声。

「相澤先生」

 思ったよりも小難しい顔をしている先生の顔に、思わずふっと力が抜ける。先生がそんな顔しなくても。

「話は聞いたか」
「はい」

 なぜわたしだけ一人なのか、なんて。そんな野暮な質問はしない。さらに高みへ。そう望むのは、ここにいるクラスメイトたちだけじゃないもの。

「なんか……そんな気がしてました、正直」
「入学の日、言っただろ。雄英は3年間全力でお前たちに苦難を与え続けると。これはお前の能力に応じた試練。プルスウルトラさ」

 ふしぎと踏み出した足に怖さはなかった。だってわたしはひとりじゃない。背中を押してくれる仲間がいる。

「名前ちゃん! 応援しとるよっ」
「ケロッ! 名前ちゃんなら、きっと突破できるわ」
「ええ。名前さんならきっと。信じています」
「……俺はまだ納得してねえけどな」
「まあ、苗字くんだけだからな、ひとりでの演習試験は。しかし君ならきっと突破できる。俺はそう信じている!」

 この気持ちは、そう、初めて青空へと飛び立ったときの、あの感覚に似ている。

「苗字」

 すべての淀みを振り切って、わたしがこの空の主なのだと感じる、あの高揚感に。いたずらに震える、あの熱狂に。

「思い切りやってこい」

 相澤先生は、わたしが困難を乗り越えることを期待している、そんな顔をした。

「はいっ!」

 その期待に応えたい。だから、立ち向かうんだ。目の前に突きつけられた苦難へと、全力で。誰よりも強く、速く、あの背中に追いつくために──。

 

 グラウンドβに設置された我がための箱は、変わらぬ陰湿さと共にそこにあった。外は気持ちいいほどの洗濯日和だというのに、足元から立ち籠める湿気の匂い。その中で黒いマントが待っていましたとばかりにこちらを振り返る。

「来タカ」

 窓のない密室に通されて、出口はヴィランの向こうにひとつのみ。ガチャンと閉められた重厚な扉が容易には開かないことをわたしは知っている。

「遠慮ハ必要ナイ。コチラモ全力デ挑ム所存」

──遠慮は要らん。本気でかかってこい。

 意識の中に刻まれた言葉が、降り立つように現世へと折り重なる。そう、わたしの試練はここからはじまった。

「はい。全力で行きます!」

 泥濘ぬかるみを吹き飛ばすように叫んだ。廃墟の静けさが、吐息の音を拾う。

『苗字、演習試験。レディゴー!』

 待ちわびたゴングが、高らかに鳴り響いた。


 エクトプラズム。個性、分身。口からエクトプラズムという物質を出し、任意の位置で本人に化けさせられる。一度に出せる数は大体30人。まあこの部屋で出せるのは、広さを考えてせいぜい4〜5体程度だろう。

 弱点は、喉元。個性の発動箇所を狙う。それと、義足。相手は狡猾なヴィランだ。抜かりなくいこう。

 エクトプラズムという物質が一体どんなエネルギーなのかは解らない。だけど、先の戦闘ではダークシャドウくんの一振りで分身は消滅していた。つまり攻撃は当たるし、衝撃にはさほど強固でもない。

 踏影くんの強みは、間合いに入らせない射程範囲と素早い攻撃。けれど裏を返せば、間合いにさえ入れれば脆い。同じ弱点を持つからわたしだからこその、この組み合わせなのだろう。

 数と、神出鬼没が強みのエクトプラズム。しかし、この狭いフィールドでは神出鬼没ではない。つまりわたしに試されているのは──

 近接戦闘、その一択!

 

 ゴングと共に吐き出された靄。シューっと四体の分身が姿を現す。瞬時に構えた弓矢の手元。手前の二体が忍び寄る。早い!

「「コノ距離デハ、弓矢ナド無意味!」」

 左右から一体ずつ振り翳された義足が迫る。

 低い室内を跳び上がり、構えていた矢を弓から離した。反転した世界で天井を蹴り上げる。一体の脳天へと矢を突き立てる。一瞬よぎる、いつかの脳無。ブスリ。容赦無く刺した脳天がフッと靄へと還る。勢いそのまま地面へと舞い降りる。片足のもう一体を回し蹴りで振り抜いた。

 後ろへとよろけた隙は、逃さない。放った矢が眉間に打ち込まれる。霧散する。

 しかし消滅したのは束の間の2体。無限に湧いて出る敵、消耗するのはわたしの方。できる限り早く本体へと近づかねば。後方の二体がわたしを攻撃圏内に収めていた。

 ご本人様はまだまだ後ろで見物か。一瞥した先に大きく口を開くその姿。アレをやらなくては無限ループだ。急ぎ矢を放つ。

 ビュンと分身の隙間を縫った矢は、さながらスローモーションのごとく本体の喉元できれいに止まった。磨かれた反射神経、プロヒーローの俊敏さに正面から立ち向かおうなんて、甘かったか。

「素早さには、そこそこ自信あったんですけど」
「甘イナ」

 素手で掴まれては、弓使いとしての名折れだ。勘弁してくれ。

 迫り来る二体と、新たに現れた二体が包囲の輪を縮める。四体で攻める戦法か──? 

「サア、決メルンダ。決意ト覚悟ヲ!」

 襟元を掴まれるような緊迫感の中で、わたしの翼は空気の揺れを捉えた。頭にちらついたのは、いつかの勝ち気なバニーだった。

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