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四十七、勝利の突き

 剣術のけの字も知らない奴が突然剣を渡されて戦ってみろと言われたところで、できることは限られている。仮に剣を扱えてもソイツに剣技が備わってないのであれば、手にする意味などない。

「ハ!? 苗字、武器変えたぞ!」

 切島の叫びに応えたのは、俺の目の前に立つ轟だった。

「あれは……エペだ」
「は? えぺ?」

 かつてオリンピックというスポーツの祭典に世界が熱狂した。そこで競われた中世ヨーロッパの騎士道から発達した剣技、フェンシング。
 その中で用いられる剣の一つが、エペだ。

 針のような細身の刀身で突きを繰り出す、刺突に特化した剣。多数との戦闘には不向きだが、急所に入りさえすれば一突きでもその威力は絶大。素早さに長けた者が選ぶ近接武器としては、最適解といっていい。

 もしや、演習が閉所での戦闘になると想定していたのか? 
 いや……まさかな。アイツはおそらく自身の弱点を克服するために、ただひたすら邁進しているだけだ。

『足技なら、死ぬほど受けてきたんだからァ!』

 まるで踊り子がステージの上を舞うように、黒鳥が水面の上を跳ねるように。高く、ときに低く。相手の急所を素早く確実に捉えていく。
 こんな見惚れるほどに美しい剣技を、隠していたとは──。

「マジかよ……笑ってやがるぜ、苗字」
「ケロ……すごいわ、名前ちゃんっ」
「名前ちゃん、いっけー!」
「名前さんっ! もう一息ですわ!」

 ヒーローには、個性に応じた役割ってのがある。
 別にオールマイトのように単身で敵を撃退するだけがヒーローじゃない。サイドキックとして仲間のサポートに長けた個性。災害時において人命救助に長けた個性。
 仮に自身の持つ個性が戦闘向きではなくとも、活躍の場はいかようにも選べる。むしろこのヒーロー飽和社会、大多数がそういう縁の下の力持ちだ。

 だが、それでも──。

 いざという時に丸腰で戦えない奴は、凶悪な敵を前にむざむざと命を落とすだけ。これは単なる俺の信条だ。

 しかし、いずれは生徒たちにも訪れるだろう。足が竦むような苦難に、単身、立ち向かわねばならない窮地が。そして力のない者は淘汰される。迫られる。自己か、他者か、残酷なその選択を。

 苗字はあまり戦闘向きじゃないと勝手に思い込んでいた。その上で心操との鍛錬に付き合わせ、少しでも体術や戦闘術を学ばせようとしてきた。

 しかし俺の想定は、良い意味で大きく外れていたらしい。職場体験でなにかを掴み、彼女は成長を遂げていた。そのことを、俺にすら隠して──大賢は愚なるが如し。いやアイツの場合は、能ある鷹は爪を隠す、か。

 教師を欺くとは、やってくれる。

「いつも俺の想像を超えていくな、あいつは」

 雨あられのように降る突きが、エクトプラズムに迫る。彼女がその切先を敵の喉元に押し当てるまで、あと少しだろう。


『見事ナ剣技ダ。賞賛ニ値スル』
『ありがとうございます!』
『コノ閉所デ、アノ数ヲヨクゾ凌イダ』
『えへへ……でも先生に、矢を素手で止めらときは焦りました』
『プロヲ、ナメテモラッテハ困ル』
『はいっ! 今度、個人レッスンお願いしますっ』
『イイダロウ』

 勝利のVサインをカメラに向けた彼女は、モニターの向こうで呆れるほどの笑顔をこぼした。

『苗字、条件達成。一年A組期末テスト、演習試験の全演習、終了』

「うおおおおぉ!! すっげェ苗字! 本当に勝っちまったぞ、エクトプラズム先生に!」
「素晴らしい剣技だ、名前くん!」
「ええ! 本当に見事な太刀捌きですわ!」
「名前ちゃん、やったあ!」

 

 さて、仕事に戻るとするか。

 歓喜に沸くモニタールームに、背を向けた時だった。

「相澤先生」
「蛙吹、どうした」
「ケロ……以前から気になっていたのだけれど、ひとつよろしいかしら」

 声を掛けてきたのは、友人の勝利を前にひとり浮かない顔をした蛙吹だった。かすかに香る、不穏な空気。

「……なんだ」
「名前ちゃんは……本当に一般入試なのかしら」

 まあ、そうなるか──。
 誰かに訊かれるのも時間の問題だと思ってはいたが。

 無言を返す俺に、蛙吹が続ける。

「彼女は最初の戦闘訓練からすでに洗練された空気があったわ。戦闘に、妙に場慣れしてるというか……推薦入学は二人と聞いているけれど、とても彼女が私たちと同じ立場で入学したとは思えなくて……ケロ」

 つまり『普通の中学生が戦闘経験を積むことができるものなのか』と、そう言いたいのだろう。

 大きく息を吐いて、向き直る。

「……そうだな。別に隠していたつもりはないが、そういう制度があると知られるのは今後の入試において弊害になりうると踏んでのことだ。……が、クラスメイトのお前らに言わない理由もないか」

 今後も、今回のような〝贔屓〟は少なからずあるだろうから。

「苗字は、〝特別〟推薦入学者だ」
「……特別、推薦?」
「ああ。半分は雄英からのスカウト、といったところだ」

 まあ、スカウトというのは完全に建前だが。そこまでの開示は許されない。
 卒業までも、もちろん卒業以降も、公安の諜報員となることはアイツの個性の件と同様に秘匿事項だ。

 公安お抱えのヒーローの卵。いずれは俺たちが想像すらしない場所で高難度の任務に就くのだろう。コイツらが社会に出る時に巨大な敵組織が無いことを願うが、現状ヴィラン連合を筆頭に犯罪は緩やかに増加の一途を辿っている。

 ヒーローが活躍する社会とは、すなわちヴィランが暗躍する社会。まさしく表裏一体。本来なら生徒たちに活躍できる場が無い方が望ましい世の中ではある。

 まったく、教師とはやるせない職業だよ。

「じゃあ、あの場で言わなかったのは爆豪を気にして、ですか」

 これまで口を閉ざしていた轟が、一歩前に出た。

「まあ、そうだな」

 言うなればお前もだがな、轟。 

「……多分、最初に聞いてたら俺も納得してなかった」
「轟。別にこれは入学時点での話だ。入ってからは関係ない。お前らにも実力が伴えばそういう〝贔屓〟も出てくるだろう。今回はそれが苗字だった。それだけの話だ」 

 轟が苦虫を噛み潰したような顔をした。
 まあ、簡単に納得はできないか。

 しかし納得できなくとも生徒に相応の試練を与えていくことは、〝贔屓〟だと非難するより肝要だ。なぜならヒーローとして世に出た時、社会が彼らに足並みを揃えてくれることなど無いのだから。

 

「なんか、バケモンみてェだな」

 どきり、とした。身体が凍る。怱忙《そうぼう》として脳裏に過ぎる、冬の病院。フラッシュバックのごとく脳裏に展開したのは、いつかの震える少女の姿。

──わたしは、バケモノ、ってことですか?

 強くたくましい彼女が見せた、幼子のように怯えた瞳。

「切島。その言葉、あいつの前では絶対に使うな」
「へ? いや、俺はスゲェって意味で……」
「それでもだ」

 その言葉に囚われた彼女が、クラスメイトの無為な言葉に傷つかないように。

「んじゃ、戻るぞ。演習試験は終了だ」

 複雑な表情を残す生徒たちを、見て見ぬ振りでやり過ごす。その程度の憂いはきっと、戻ってきたアイツがいつもの笑顔で晴らしてくれるだろうから。

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