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四十八、いつもとは違う夢
いつも同じ夢をみる。でも、今日は少しだけ違った。
夢の中のわたしは誰かに怒っている。いったい、誰に怒ってるの? 顔が見えない。もっと近くに、近くに寄らなくちゃ──。
そうしてわたしは夢の中へと堕ちて、わたしを忘れた。
「われの背中に乗れば、あなた一人など容易く運べるというのに」
「兵たちを置いてはいけない」
「どうして兵が要る。われが居るではないかっ」
なぜだ。われの力に比べれば、人間の力など取るに足らないというのに。この男はいつも決まって、兵たちを気にかけている。
「そなたはヒノカミからの遣い。戦わせるわけにはいかん」
「〝道案内〟とはそういうものだ。戦とて例外ではない!」
「…………」
またか──。
「おい」
「…………」
不都合があれば口を閉じるが奴の定石。こうなってしまえば、しばらくは会話も成り立たなくなる。
呆れて、ため息が漏れた。これまた随分と身勝手な男に遣わされたものだ。
「まあまあ、カラス様。そうお怒りにならないでください」
背後から、うら若い声が聞こえた。
「我らの殿は、心根のおやさしい方なのです」
怒りが眉を這って、鋭く振り返る。では、その心根のやさしさ故に〝殿〟が命を落とそうとも、貴様の忠義はそれを許すのか──?
「っ」
しかし強く吐き捨てようとした言葉は、語りかけてきた兵の姿を目にして喉奥へと押し込まれた。
あまりにも若すぎる。童《わらべ》ではないか。
「……しかし、これでは時がかかり過ぎる。邪神に見つかってしまう」
「私共もより一層励みますゆえ、どうか気をお沈めくださいませ」
忠義とは年老いた兵ほど著しいものだ。命を捧げてきた、その年月ゆえに。
しかし〝殿〟として皆に慕われる此奴は、若い兵からも信仰を集めている。
一体どこがいいんだ、こんな口もまともにきけない髭面の──。
「カラス殿」
今度は、聞き慣れた声がした。
「……なんだ、オオクメ」
「しばし、よろしいですか」
あちらで、と指差した川縁からは清らかな水音がきこえている。オオクメは〝殿〟へと一礼し、こちらに有無を言わせず水辺へと歩き出した。黙って着いてこい、ということらしい。
「ではオオクメ様とカラス様のお食事は、のちほどご準備いたします」
またお声をかけてくださいね、と、若き兵──否、小童が去り際にほほえんだ。
あの、痩せ細った体。あれでは成人の儀も迎えておらぬだろう。薄汚れた身なりは鎧着すら与えられていない。風体からはとても感じられぬその余裕は、一体どこからくるのか。
はた、と去り行く小童の後姿を眺めて、その腕に目が止まった。
なんだ、あれは──。
小童には、片方の手首から先がなかった。腕の先端には白い布が巻かれ、その先が見事に途切れている。右腕だった。
なるほど、剣すら握れぬ者だったか。さすればより一層、命の重みのない者。こんな奴すら連れているからこの一行は歩みが進まぬのだ。
はあ、と嘆息し、オオクメの後を追った。
せせらいだ水が辺りを浄化している。
陽光の差す場所はうつくしい。尖った心が幾分か安まる気がした。
この一行に合流してから幾日が経っただろうか──。
『われは日の神様より天命を賜りし者。あなた様を大和へとお導きいたします』
突如、空から降り立ったわれを見て、オオクメは長い刀身を鞘から抜き去り、殺意を込めた目でこちらを見据えていた。邪神だとでも思ったのだろう。
『お下がりください、殿!』
『待て、オオクメ』
遣わされたときには、庇護対象が話のわかる奴ならいいと、その程度だったように思う。
授かった天命は、オオクメの後ろに立つ〝髭面の男〟──日の神様の末裔を守ることだった。
しかし、われの御心は常に日の神様と共にある。否、日の神様のためだけにあるといっても過言ではない。
『ヒノカミ、と言ったか』
『はい』
『ならば証明してみせよ』
髭面の男は、眼光を光らせこちらを伺っていた。疑心の目だ。
まあ、それも至極当然のことか。突然、空から黒い化け物が降り立ち、人の姿へと変貌したのだ。疑り深くもなるというもの。
われは二人に背を向け、羽織っていた白張の衣をゆるめた。これを目にすればわかるだろうと踏んで。
背中に刻まれたそれは、われの忠義の証だ。
『その紋様……遣いというのは、確かなようだな』
『信じていただけましたか』
ゆるめた衣を戻し、向き直る。一行を一瞥した。
髭面の男。大太刀を構えた男。その他大勢。どいつも弱そうだ。立ち振る舞いからするに、この髭面の御仁が日の神様の子孫に間違いはないが、あの方とはまったく似ても似つかない。本当に同じ血筋か怪しく思える。
しかも、この風体──。
露ほどの畏敬の念すら湧いてこぬ。あのお方は、あんなにもお美しいというのに。
もはや懐かしいとすら感じる出会い。
日も数えるほどしか経っていないというのに、われはこの一行が実に不愉快らしい。時が長く感じるのもそのせいだろう。
そよ風に揺れる水面では、太陽の光が揺れていた。あたたかい。陽光を浴びれば、日の神様を思い出す。
あのやわらかに揺れる羽衣のような、やさしい光を──。
そういえば、大役を仰せつかったあの日。
あの方の手には水面のように揺れる水晶が煌めいていた。時折、その水晶を覗いては、玄孫《やしゃご》の身の上を案じておられた。
ありていに言えば、われには玄孫の身などどうとでもよい。日の神様さえこの世に御座《おわ》すならば。
ふわりと揺れる羽衣。きらりと光る水晶の玉。
あの方が手にしてるというだけで、その硝子の玉さえ愛おしく思えた。
そうだ、たしか。この男の髪のような、美しいすみれ色の玉だったか──。
「それで、なんだ。オオクメ」
われの問いに、奴は振り返りもせぬまま語りだした。
「カラス殿がいらっしゃる少し前のことです。私たちが戦に負け、命からがらこの森へと逃げ仰せたことは以前にもお話ししましたね」
「ああ。聞いている」
「先の戦で、殿は兄君を亡くされました」
「……血縁か」
「はい。殿の実の兄君です」
「…………」
「兄君だけではございません。我々は奇襲に遭い、多くの兵を失いました。ここに残る者たちの家族を、です」
「カゾク? 眷属《けんぞく》のことか?」
「ええ。我々人間は、血を分けた者のみを家族とするのではありません。寝食を共にし、労い、支え合い、そうして紡いでいくのです、家族という絆を」
「血のつながりのない者に何の価値がある。ましてや忠義すら尽くせぬ者など。この世には上と下が居るだけだろう」
「……上と下、ですか」
「ああ」
「殿の目指す世には、上も下もございません」
上も下も、ないだと──?
「では、あの者はなんなのだ。上も下もないのであれば──」
あの使い物にならない童は、一体何だというのだ。
「上でも下でもない、ということです。皆、すべて同じ。等しく同じ。それが家族です」
「わからぬ。人間の考えることなど、われには……」
「ええ、しかしあなた様も私どもと寝食を共にするなれば、ご理解いただきたい」
「……〝カゾク〟をか?」
「殿も、さきほどの童も、命の重みは同じです。置いていくことは致しかねる、ということです」
「命の重みが同じなど、馬鹿げている」
「それでも、等しい。殿も、兵も、私も、そしてカラス様も、みな同じなのです」
「…………」
「我々は、家族なのです」
オオクメの言葉は、岩に染み入る朝露のようだった。
──ジリリリリリリ
「んっ……」
また妙な夢を見ていた気がする。
でも、いつもとは少し違う夢だったような──。
昨夜、期末テストで疲れ切った身体はすんなりと睡眠を受け入れた。よく眠っていたと思う。とまどろむ朝が、いつもと違って心地いい。
まだ、もう少しだけ眠っていようかな。こんなにも気持ちのいい朝はひさしぶりだから。
しかし薄目を開いて寝返りをうった先で、わたしの思考は完全に覚醒した。
「おはよう、名前」
「っ!」
黄金に輝く鋭い目が、わたしと同じように横たわって、こちらを伺っていた。