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いつもとは違う夢
いつも同じ夢をみる。でも、今日は少し違った。夢の中のわたしは誰かに怒っているようだった。誰に怒ってる? 顔が見えない。もっと近くに、近くに寄らなくちゃ──。
そうしてわたしは夢の中へと堕ちて、わたしを忘れた。
「われの背中に乗れば、あなた様一人など容易く運べるというのに」
「兵たちを置いては行けない」
「なぜ、兵が要る。われが居るではないかっ」
人間の力など、取るに足らないというのに。
「そなたはヒノカミからの遣い。戦わせる訳にはいかぬ」
「なぜだ。道案内とはそういうものだ。戦とて例外ではない!」
「…………」
またか──。
「おい」
「…………」
不都合があれば口を閉じるが奴の定石。これまた随分と身勝手な男に遣わされたものだ。
「まあまあ、カラス様。そうお怒りにならないでください」
「…………」
「我らの殿は、心根のおやさしい方なのです」
では、その心根のやさしさ故に”殿”が命を落とそうとも、貴様の忠義はそれを許すのか?
吐き捨てようとした言葉は、語りかけてきた若き兵を目にして喉奥へと押し込まれた。
「……しかし、これでは時がかかり過ぎる。邪神に見つかってしまう」
「私どももより一層励みますゆえ、どうかお気を沈めくださいませ」
忠義とは年老いた兵ほど著しい。命を捧げてきた、その年月ゆえにだ。しかし此奴は若い兵からも信仰を集めている。一体どこがいいんだ、こんな口もまともにきけない髭面の──。
「カラス殿」
「……なんだ、オオクメ」
「しばし、よろしいですか」
あちらで、と指差した川縁からは清らかな水音がきこえる。オオクメは”殿”へと一礼し、こちらに有無を言わせず水辺へと歩き出した。
「ではオオクメ様とカラス様のお食事は、のちほどご準備いたします」
またお声をかけてくださいね、と、若き兵──否、小童が去り際にほほえんだ。あれでは成人の儀も迎えておらぬだろう。薄汚れた身なりは鎧着すら与えられていない。到底感じられぬその余裕は一体どこからくるのか。
去り行く背中を見れば、小童には片方の手首から先がなかった。なるほど、剣すら握れぬ者だったか。さすればより一層、命の重みのない者。こんな奴すら連れているから、この一行は歩みが進まぬのだ。
はあ、と息を吐き出し、オオクメの後を追った。
せせらいだ水が辺りを浄化している。陽光の刺す場所はうつくしい。尖った心が幾分か安まる気がした。
この一行に合流してから幾日が経っただろうか──。
『われは日の神様より天命を賜りし者。あなた様を大和へとお導きいたします』
突如、空から降り立ったわれにオオクメは長い刀身を鞘から抜き去り構えた。邪神だとでも思ったのだろう。
『お下がりください、殿!』
『待て、オオクメ』
遣わされたときには、庇護対象が話のわかる奴ならいいと、その程度だった。授かった天命は目の前の人間を守ることだが、われの御心は常に日の神様と共にある、否、日の神様のためだけにある。
『ヒノカミ、と言ったか』
『はい』
『ならば証明してみせよ』
まあ、それも至極当然のことか。突然、空から黒い化け物が降り立ち人の姿へと変貌したのだ。疑り深くもなるというもの。われは背を向け、白張の衣をゆるめた。これを目にすればわかるだろうと踏んで。
背中に刻まれたそれは、われの忠義の証。
『その紋様……遣いというのは、確かなようだな』
『信じていただけましたか』
ゆるめた衣を戻し向き直る。髭面の人間。大太刀を構えた人間。その他大勢。……どいつも弱そうだ。立ち振る舞いからするに、この髭面の御仁が日の神様の子孫なのだろう。
日の神様とは似ても似つかん風体に、露ほどの畏敬の念すら湧いてこぬ。あのお方は、あんなにもお美しいというのに──。
もはや懐かしいとすら感じる出会い。日も数えるほどしか共にしていないというのに、われはこの一行が実に不愉快らしい。時が長く感じるのもそのせいだろう。
そよ風に揺れる水面では、太陽の光が揺れている。あたたかい。日の神様を、思い出す。あのやわらかに揺れる羽衣のような、やさしい光を。
そういえば、大役を仰せつかったあの日。あの方の手には水面のように揺れる水晶が煌めいていた。時折その水晶を覗いては、玄孫の身の上を案じて。ありていに言えば、われには玄孫の身などどうとでもよい。日の神様さえこの世に御座すならば。しかし日の神様が手にしてるというだけで、その硝子の玉だけは愛おしく思えた。たしかこの男の髪のような、美しいすみれ色の玉だったか──。
「それで、なんだ。オオクメ」
「……カラス殿が現れる少し前のことです。戦に負け、命からがらこの森へと逃げ仰せたことはお話ししましたね」
「ああ。聞いている」
「先の戦で、殿は兄君を亡くされました」
「……血縁か」
「はい。殿の実の兄君です」
「…………」
「兄君だけではございません。我々は奇襲に遭い、多くの兵を失いました。ここに残る者たちの家族を、です」
「カゾク? 眷属のことか?」
「ええ。我々人間は、血を分けた者のみを家族とするのではありません。寝食を共にし、労い、支え合い、そうして紡いでいくのです、家族という糸を」
「血のつながりのない者に、何の価値がある。ましてや忠義すら尽くせぬ者など。この世には上と下が居るだけだろう」
「上と下、ですか」
「ああ」
「殿の目指す世には、上も下もございません」
上も下も、ないだと?
「では、あの者たちはなんなのだ。上も下もないのであれば──」
あの使い物にならない童は、一体何だというのだ。
「上でも下でもない、ということです。皆すべて同じ。等しく同じ。それが家族です」
「……わからぬ。人間の考えることなど、われには」
「ええ、しかし、あなた様も私どもと寝食を共にするなればご理解いただきたい」
「……”カゾク”をか?」
「殿も、さきほどの童も、命の重みは同じです。置いていくことは致しかねる、ということです」
「命の重みが同じなど……馬鹿げている」
「それでも、等しい。殿も、兵も、私も、そしてカラス様も、また同じなのです」
「…………」
「我々は、家族なのです」
オオクメの言葉は、岩に染み入る朝露のようだった。
──ジリリリリリリ
「んっ……」
また妙な夢を見ていた気がする。でも、いつもとは、少し違う夢だったような。
昨夜、期末テストで疲れ切った身体はすんなりと睡眠を受け入れた。よく眠ったとまどろむ朝が、いつもと違って心地いい。まだ、もう少し眠っていようかな。こんなにも気持ちのいい朝はひさしぶりだから。
しかし薄目を開いて寝返りを打った先で、わたしの思考は停止した。
「おはよう、名前」
「っ!」
黄金に輝く鋭い目が、わたしと同じように横たわってこちらを伺っていた。