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四十九、クッキーに想いを込めて

 マイク先生の誕生日が七夕だと知ったのは、期末テストが始まる前の金曜日だった。例に漏れず深夜帯のぷちゃラジを聴取していたわたしの耳に『七夕は俺の生誕祭』というワードが飛び込んできたときには、すでに贈り物を何にするかという思考に浸っていた。

 生徒からの贈り物なんてたかが知れている、とは思う。しかもあのプレゼントマイクとなれば、きっと多方面からそれはそれは煌びやかなプレゼントが届くに違いない。
 別に、対抗心はない。それに一生徒からの贈り物だ。消え物がいいだろうと考えて、手作りのクッキーを作ることに決めた。

 

「失礼しまーす。マイク先生──」

 いらっしゃいますか、という言葉は別の扉からの黄色い声援に掻き消された。

「マイク先生っ! お誕生日おめでとうございます!」
「ラジオいつも聴いてます! お誕生日プレゼント持ってきました!」
「Wow, Thanks !! 可愛いリスナーたち! 毎年ありがとね」

 あちゃー、タイミング悪かったか──。

 語尾にハートマークをつけて、マイク先生を呼ぶ短いスカートの女子生徒たちが群がっている。わたしが立っているのは職員室の後ろの扉。可愛い彼女たちがいるのは前の扉だ。

 呼び出されて席を立ったマイク先生の背中を眺めて、さてどうしようか、待つにしても長そうだ、なんて考えて足が止まる。廊下側からそっと前の扉を覗けば、彼女たちが渡しているのは大きな花束やメッセージカード。そしてわたしでも知ってる高級チョコレートブランドの袋。
 それを目にして、急激に心が萎えた。

 はあ、やっぱ渡すのやめようかな──。

 こんなお子ちゃまな贈り物、きっとマイク先生も困っちゃうよね。と、振り返った、その時。

「そんなとこで突っ立って何してる」
「っ!」

 現れたのは、先ほどのHRで顔を合わせたばかりの担任教師だった。

「相澤先生、いや、その」

 どうして先生はいつもタイミング悪く現れるのだろう。
 どう応えようか逡巡していると、先生がわたしの手元に視線を移した。

「……それ、マイク宛か」

 指を刺された先には、完全に贈り物ですという顔をした黄色い紙袋。中には透明なラッピング袋と、添えられたリボンが凛として収まっている。

「あ、その……やっぱり渡すのやめようかなって」
「なんでだ」
「手作りのクッキーなんて……ダサいかなって、思って」
「そんなことないだろ」

 わたしを通り越して職員室へと入っていく相澤先生が、おいで、と手招きした。廊下からはしばらく冷めやらぬであろう女子たちの熱狂が猛々しく響いている。今職員室に入ったら、あれが終わるのを待たなきゃいけない。なんか嫌だな、と思った。

「時間あるだろ。ついでに資料作り手伝え」
「へ?」 

 ほら、はよ、と催促されて、わたしは悩む間もなく職員室へと招かれたのだった。


──カチッ、カチッ

 人はまばらなのにコーヒーの香りが染み付いた独特な空間は、あちこちのデスクでテトリスのように書類が積み上がっている。
 異空間。しっとりと激務の香りが漂う。

 わたしの手元も例に漏れず、寂しくホチキスの音を響かせていた。正確には、相澤先生の隣にあるマイク先生のデスクに座って、資料作りを手伝わされている。

「いっぱいありますね」
「ああ。だから呼んだんだ」

 待ち時間に丁度いいだろ、と言って先生が指差した先を見やれば、廊下の外でマイク先生にプレゼントを渡すための長蛇の列ができていた。

 うそーん、いつの間に。

「まんまと嵌められた~」
「鍛錬、いつも付き合ってやってんだろ」
「うぅ、その言い方はズルくないですか?」

 だって放課後のあの時間は、どちらかと言えば先生からの誘いだった気がするし。

「たまには教師を敬え」
「なんかその言い方だとわたしが不真面目な生徒みたいで嫌です」

 ぷーっとわざとらしく膨れると、先生はまさかのダンマリだった。隣からはカタカタとキーボードの音だけが返ってくる。いや、そこで無視かいっ!

 しん、と静まり返った職員室。反対に窓の外からは生徒たちの帰宅の声がする。放課後の職員室ってこんな感じなんだなぁ、とその声に耳を澄ませた。
 同じ学校なのに、いつもとはまるで違う景色だ。
 そんななか先生たちはいつもこうやって授業の後も当たり前にお仕事して、わたしたちが無事に卒業していくのを見守っているのか。毎日、毎年、同じ場所から。

 そう考えると少しだけ感慨深い気持ちになって、相澤先生の横顔に目を向けた。先生はいったいどれほどの生徒をこの場所から送り出してきたのだろう。

「……お前、俺にも黙ってただろ」

 あ、まだ会話続いてたんだ。

「なにをですか?」
「期末の話だ」
「ああ、だって先生に言ったら速攻で練習プランに組み込まれちゃいますもん」
「なんだ、ダメなのか」
「ダメじゃないけど……放課後のあれは、一応心操くんの時間だし」

 相澤先生が、やわく手を止める。

「わたしが先生を奪っちゃ悪いかなって」
「……お前、変なところで気遣い出るよな」
「へ?」
「それも」

 顎で刺されたのは、黄色い紙袋だった。

「受け取ってどう思うかはアイツの問題だろ。お前が悩むことじゃないよ」
「……」
「放課後の件も同じだ。……ただ俺に黙ってたのは、釈然としないが」

 それって、エペの話だよね?

 今度はすっかり手を止めてしまった先生と、ばちりと目が合った。その顔はどことなく不貞腐れた表情で──なんだろう。なんだか少しだけ、可愛いかもと思った。

「もしかして先生、はぶて──」
「HEEEEEEEEEY !! リスナー、お待たせしちゃったかなァ?」

 突然、頭にぽんっと軽やかな重みを感じた。

「マイク先生っ!」

 ぐりんと振り返ってワチャワチャと立ち上がり、デスクに置いていた紙袋を手に取る。そして想いの全てをマイク先生に差し出した。

「マイク先生、お誕生日おめでとうございますっ!」
「Thank you ! 悪いね、気ィ遣わせちゃって」

 マイク先生の両腕にはびっくりするくらい袋が下げされいた。しかも脇にはいくつもの花束が挟まっている。
 なるほど、これ以上はもう受け取れそうも無いようだ。その人気ヒーローの姿に苦笑いして紙袋をそっとデスクに戻す。

「マイク先生、すごい人気! これ、ここに置いておくのでよかったら──」

 すると、マイク先生が申し訳なさそうな顔をつくった。

「Non, non ! ダメ、やり直す」
「へ?」

 両腕いっぱいの贈り物たちを、どかんとデスクに置いて、マイク先生がニヤリと笑った。

「レディー、お待たせしました」
「あ、はいっ」

 まるでダンスを申し込むような仕草を返されて、急いで袋を手に取る。マイク先生が空いた両手で、大切そうにわたしからの贈り物を受け取ってくれた。

 レディーなんて、ちょっぴりドキドキする。先生のこういう優しいところが好き。えへへ、と思わず顔が綻んだ。

「お口に合うかわからないですけど……手作りのクッキー、です」
「Wow, really ? 最高じゃん! 見てもいい?」
「もちろんっ」

 中身はなんてことないアイシングクッキーだ。けれども、わたし力作のマイク先生のお顔がデコレーションされている。

「やっば! 嬉し過ぎて食えねェよ、これは」
「ふふ、そこはしっかり食べてください」

 ありがとうね、と細まった若草色の瞳が「ん?」と息を吹き返す。どうやら、もう一枚の方を見つけたようだ。

「実はもう一枚あるんです。そっちはお兄ちゃんがデコってくれました」
「え」
「あ、マイク先生は知ってますっけ? わたしの〝お兄ちゃん〟」
「も、もちろん Of course. あの〝お兄ちゃん〟だろ?」
「ええ、あのお兄ちゃんです! 絵は下手だけど、生地はわたしが焼いたものなので味は保証します」
「せ、センキュー! あー、兄貴にも伝えといてくれな」
「はいっ!」

 にっこり笑うと、マイク先生が頭をポンポンと撫でてくれた。


「で、なんでイレイザーに押し付けてんのよマイク」
「いやー、だってあの〝お兄ちゃん〟だゼェ? ……ぜってェ入ってンだろ、得体の知れねェモンが」

 マイクが言葉尻に口をすぼめる。その訝しむ声に、俺は同じ分だけ疑問を募らせた。

「でも生地はアイツが焼いたって言ってただろ」
「But ! ……絵面、見てみろよ」

 ほら、と差し出されたクッキーには、歪、というか悍ましい顔のようなものが描かれていた。おそらくマイクだろう。
 いや、正確には顔かどうかは判別できないのだが、もう一枚の苗字本人が作ったものを正とするなら、同じ配色で作られたこっちのクッキーもおそらく顔なんだろうと判断したまでだ。

「……本当に貰っていいのか」
「イエス。俺はコッチだけでいい。いや、コッチだけ〝が〟いい!」

 勿体無い。クッキーに罪はないだろうに。そもそも人から貰った好意くらい素直に受け取れ。

 俺は呆れ顔で透明のラッピング袋を破り、躊躇なく〝マイクの顔〟にかぶりついた。隣に座る本人は固唾を吞んでこちらを見守っている。正面のミッドナイトも、同じく。

 いや、絵面がなんだ。別に胃に入りゃ一緒だろ。味だってそっちと大差あるわけじゃあるまいし。
 サクサクと解けるような食感に、鼻を抜けるシナモンの香り。疲れた身体にやさしい甘さが沁みる。なんだ、ふつうに美味いじゃないか、と言い掛けて、喉が窄まった。

「ゴホッ! ……ゲホッ! ゴホッ!」

 大波の如く押し寄せた焼けるような喉の痛みに、咽せ返るような気管支の違和感。なんだこれ。

「ホラァァァアアアア!!!!!!」
「え、なになに、どうしたのよイレイザー」
「どうしたんですか、先輩っ」

 甘さを侵食するように広がってゆく奇妙な味。甘くない。いや、甘いのに、何かが喉に張りついて咳が止まらない。

「ゲホッ……み、みず……ゴホッゴホッ」

 ほら、と横から差し出されたペットボトルの水で、迷わず喉の異物を押し流す。なんなんだ、いったい。何が入ってんだ。つーか本当にクッキーか、これ。

「アハハハハ! ちょっとぉ、何が入ってたのよー?」
「えええ、先輩っ。口の周り、真っ赤ですよ!」

 十三号に促されて口を拭った。手元のクッキーを見ると、デスクには赤い粉がこぼれている。……粉? よく見れば、チョコレートと生地の間にはっきりとした赤い層が見える。どうやら俺の味覚が正しければ、これは──。

「とうがらし……ゲホッ」

 間違いない、唐辛子だ。しかも強烈な。喉が焼ける。

「やーね、シスコンも拗らせると大変。あー怖い怖い」
「え、シスコンってどういうことですか、香山さん」

 他人事のようにデスクを離れるミッドナイト。それを不審がって追いかける十三号。

 いや、それよりも──。

 この劇薬をマイクに食わせるつもりだった苗字の〝兄〟が、俺の脳内でひとしきり笑っている。おい、殺す気か。

「ゲホッ、ゴホッ、ゴホッ」
「……俺ァ、苗字の将来が心配だわ、マジで」

 咳が止まない俺の背中をさすりながら、マイクが隣で独りごちた。とんだとばっちりだ、くそ。

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