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クッキーに想いを込めて
マイク先生の誕生日が七夕だと知ったのは、期末テストが始まる前の金曜日だった。例に漏れず、深夜帯のぷちゃラジを聴取していたわたしの耳に、『七夕は俺の生誕祭』というワードが飛び込んできたときには、すでに『贈り物を何にするか』という思考に浸っていた。
生徒からの贈り物なんて高が知れている、とは思う。しかもあのプレゼントマイクとなれば、きっと多方面からそれはそれは煌びやかなプレゼントが届くに違いない。別に、対抗心はない。それに一生徒からの贈り物だ。消え物がいいだろうと考えて、手作りのクッキーを作ることに決めた。
「失礼しまーす。マイク先生──」
いらっしゃいますか、という言葉は別の扉からの黄色い声援で掻き消された。
「マイク先生っ! お誕生日おめでとうございます!」
「ラジオいつも聴いてます! 誕生日プレゼント持ってきました!」
「Wow, Thanks !! 可愛いリスナーたち! 毎年ありがとね」
あちゃー、タイミング悪かったか。
語尾にハートマークをつけて、マイク先生を呼ぶ短いスカートの女子生徒たち。わたしが立っているのは職員室の後ろの扉。可愛い彼女たちがいるのは、前の扉。
呼び出されて席を立ったマイク先生の背中を眺めて、さてどうしようか、待つにしても長そうだ、なんて考えて足が止まる。廊下側からそっと前の扉を覗けば、彼女たちが渡しているのは大きな花束、メッセージカード。そしてわたしでも知ってる高級チョコレートブランドの袋。それを目にして、急激に心が萎えた。
はあ、やっぱ渡すのやめようかな──。
こんなお子ちゃまな贈り物、きっとマイク先生も困っちゃうよね。と、振り返った、その時。
「そんなとこで突っ立って何してる」
「っ!」
現れたのは、先ほどのHRで顔を合わせたばかりの担任教師。
「相澤先生……いや、その」
どうして先生はいつもタイミング悪く現れるのだろう。ほんと、どうして。
「……それ、マイク宛か」
指を刺されたそれは、完全に贈り物ですという顔をした黄色い紙袋。中には透明なラッピング袋と、添えられたリボンが凛としてこちらを向いている。
「あ、その……やっぱり渡すのやめようかなって」
「なんでだ」
「手作りのクッキーなんて……ダサいかなって、思って」
「そんなことないだろ」
わたしを通り越して職員室へと入っていく相澤先生が、おいで、と手招きした。廊下からはしばらく冷めやらぬであろう女子たちの熱意が猛々しく燃えている。今、職員室に入ったら、あれが終わるのを待たなきゃいけない。なんか、やだなぁ。
「時間あるだろ。ついでに資料作り手伝え」
「へ?」
ほら、はよ、と催促されて、わたしは悩む間もなく職員室へと吸い込まれた。
──カチッ、カチッ
人はまばらなのにコーヒーの香りが染み付いた独特な空間は、あちこちのデスクでテトリスのような書類が積み上がっている。異空間。しっとりと漂う激務の香り。
わたしの手元も、例に漏れず、寂しくホチキスの音を響かせていた。正確には、相澤先生の隣にあるマイク先生のデスクに座って、資料作りを手伝わされている。
「いっぱいありますね……」
「ああ。だから手伝わせてる」
待ち時間に丁度いいだろ、と言って先生が差した指の先には、マイク先生にプレゼントを渡すための長蛇の列ができていた。
うそん、いつの間に。
「まんまと嵌められた〜」
「鍛錬、いつも付き合ってやってんだろ」
「う〜、その言い方はズルくないですか?」
だって、放課後のあの鍛錬はどちらかと言えば先生からの誘いだった気がするし。
「たまには先生を敬いなさい」
「なんかその言い方だと、わたしが不真面目な生徒みたいです」
ぷーっとわざとらしく膨れるとまさかのダンマリで、隣からはカタカタというキーボードの音だけになってしまった。いや、そこで無視かいっ。
窓の外から生徒たちの帰宅の声が走り抜ける。放課後の職員室って、こんな感じなんだなぁ。同じ学校なのに、いつもとはまるで違う景色だ。先生たちはいつもこうやって、授業の後も当たり前にお仕事して、わたしたちが無事に卒業していくのを見守っているのか。
毎日、毎年、同じ場所から。
そう考えると少しだけ感慨深い気持ちになって、ふと相澤先生の横顔に目を向ける。先生はいったいどれほどの生徒を、この場所から送り出してきたのだろう。
「……お前、俺にも黙ってただろ」
あ、まだ会話続いてたんだ。
「なにをですか?」
「期末の話だ」
「ああ……だって先生に言ったら速攻で練習プランに組み込まれちゃいますもん」
「なんだ、ダメなのか」
「ダメじゃないけど……放課後のあれは、一応心操くんの時間だし」
相澤先生が、やわく手を止める。
「わたしが先生を奪っちゃ、悪いかなって」
「……お前、変なところで気遣い出るよな」
「へ?」
「それも」
顎で刺されたのは、黄色い紙袋。
「受け取ってどう思うかはアイツの問題だろ。お前が悩むことじゃないよ」
「……」
「放課後の件も同じだ」
あ、話戻るんだ。
「……ただ俺に黙ってたのは、釈然としないがな」
それって、エペの話、だよね。今度はすっかり手を止めてわたしを見つめる先生、とパチっと目が合った。その顔はどことなく不貞腐れた表情で。なんだか、少し──。
「……もしかして先生、はぶ──」
「HEEEEEEEEEY!! リスナー、お待たせしちゃったかなァ?」
突然、ぽんっと頭に乗る軽やかな重み。
「マイク先生っ!」
ぐりんと振り返ってワチャワチャと立ち上がり、デスクに置いていた紙袋を手に取る。そして想いの全てをマイク先生に差し出した。
「マイク先生、お誕生日おめでとうございますっ!」
「Thank you! 悪いね、気ィ遣わせちゃって」
マイク先生の両腕にはびっくりするくらい袋が下げされて、花束が脇にいくつも挟まってて、なるほど、もう受け取れそうも無い。あちゃーと苦笑いして、紙袋をそっとデスクに戻す。マイク先生が申し訳なさそうな顔をつくった。
「Non, non! ダメ、やり直す」
「へ?」
両腕いっぱいの贈り物たちを、どかんとデスクに置いて、ニヤリと笑った。
「レディー、お待たせしました」
「あ、はいっ」
まるでダンスを申し込むような仕草に、急いで袋を手に取る。マイク先生が空いた両手で大切そうにわたしからの贈り物を受け取ってくれた。
レディー、なんて、ちょっぴりドキドキする。先生のこういう優しいところが好きなんだよなぁ、と顔が綻んだ。
「手作りのクッキー、です」
「Wow, really? 最高じゃん! 見てもいい?」
「もちろんっ」
中身はなんてことないアイシングクッキーだ。だけども、わたし力作のマイク先生のお顔がデコレーションされている。
「やっば! 嬉し過ぎて食えねェよ、これは……」
「ふふ、そこはしっかり食べてください」
ありがとうね、と細まった若草色の瞳が「ん?」と息を吹き返す。どうやら、もう一枚の方を見つけたようだ。
「実はもう一枚あるんです。そっちは、お兄ちゃんがデコってくれました」
「え」
「あ、マイク先生、知ってますっけ? わたしの”お兄ちゃん”」
「も、もちろん Of course. あの、”お兄ちゃん”だろ?」
「ええ、あの、お兄ちゃんです! 生地はわたしが焼いたものなので、絵は下手だけど味は保証します!」
「せ、センキュー! あー、兄貴にも伝えといてくれな」
「はいっ!」
「で、なんでイレイザーに押し付けてんのよマイク」
「いやー、だってあの”お兄ちゃん”だゼェ? ……ぜってェ入ってンだろ、得体の知れねェモンが」
マイクが言葉尻に声を潜める。訝しむ声に、俺は同じ分だけ疑問を募らせた。
「でも生地はアイツが焼いたって言ってただろ」
「But! ……絵面、見てみろよ」
ほら、と差し出されたクッキーには、歪、というか悍ましい顔(?)が描かれていた。おそらくマイクだろう。いや、正確には顔かどうかは判別できないのだが、もう一枚の苗字本人が作ったものを正とするなら、同じ配色で作られたこっちのクッキーもおそらく顔なのだろうと判断したまでだ。
「本当に貰っていいのか」
「イエス。俺はコッチだけでいい。いや、コッチだけ”が”いい!」
勿体無い。クッキーに罪はないだろうに。そもそも人から貰った好意くらい、素直に受け取れ。
俺は呆れ顔で透明のラッピング袋を破り、躊躇なく”マイクの顔”にかぶりついた。隣に座る本人は固唾を吞んで見守っている。正面のミッドナイトも、同じく。
いや、絵面がなんだ。別に胃に入りゃ一緒だろ。味だってそっちと大差あるわけじゃあるまいし。
サクサクと解けるような食感に、鼻を抜けるシナモンの香り。疲れた身体に、やさしい甘さが沁みる。なんだ、美味いじゃないか、と言い掛けて、喉が窄まった。
「ゴホッ!……ゲホッ!ゴホッ!」
大波の如く押し寄せた焼けるような喉の痛み。咽せ返るような気管支の違和感。なんだこれ。
「ホラァァァアアアア!!!!!!」
「え、なになに、どうしたのよイレイザー」
「どうしたんですか、先輩っ」
甘さを侵食するように広がっていく妙な味。甘くない。いや、甘いのに、何かが喉に張り付いて咳が止まらない。
「ゲホッ……み、みず……ゴホッゴホッ」
ほら、と横から差し出されたペットボトルの水で、迷わず押し流す。なんだ、いったい。何が入ってんだ。つーか本当にクッキーか、これ。
「アハハハハ! ちょっとぉ、何が入ってたのよー?」
「えええ、先輩っ。口の周り、真っ赤ですよ!」
13号に促されて手元のクッキーを見る。デスクにこぼれた赤い粉。……粉? よく見れば、チョコレートと生地の間にはっきりとした赤い層が見える。どうやら俺の味覚が正しければ、これは──
「とうがらし、ゲホッ」
間違いない、唐辛子だ。喉が焼ける。
「やーね、シスコンも拗らせると大変。あー怖い怖い」
「え、シスコンってどういうことですか、香山さん」
他人事のようにデスクを離れるミッドナイト、それを不審がって追いかける13号。
いや、それよりも──。
この劇薬をマイクに食わせるつもりだった苗字の”兄”が、俺の脳内でひとしきり笑っている。おい、殺す気か。
「……俺ァ、苗字の将来が心配だわ、マジで」
咳が鳴り止まない俺の背中をさすりながら、マイクが隣で独りごちた。
……とんだとばっちりだ、くそ。