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五、個性把握テスト

 A組の生徒は、全員で二十一名。名前順のはずの出席番号はなぜかわたしで終わっている。教室で着席したときに翼が邪魔になるからとか、適当な理由をつけて最後に回されたんだろうか。妙な特別扱いが別の意味を含んでいるようで怖い。

 つまり何が言いたいかというと、第一種目の五十メートル走は二人ずつこなしていくため、わたしだけハブということだ。
 みんなの視線が集まる中、クラウチングスタートのポーズをとった。

「え? あの子、足で走るん?」

 誰かの声が届いて、思わずピクリとする──いや違うよ、こっちの方が飛び出しに抵抗がなくてスムーズなんだよ、との返事は勿論できていない。やっぱり大勢から注目されるのは苦手だ。

 パンッと鳴る合図で勢いよく翔び出した。
 結果は、四秒台前半。まあ、ぼちぼちじゃないだろうか。

 その後、握力や立ち幅とび、反復横とびを終えてそこそこに好調な成績を残していく。正直、握力はどうしようもないのでお手上げだった。

 次はソフトボール投げとなって、さてどうやって飛ばそうかと考えあぐねていると、近くに立っていた飯田君が「緑谷くんはこのままだとマズいぞ」と顎に手を当てていた。確かに今のところ、彼は世間でいう一般的な成績しか残していないようだ。

「ったりめーだ。無個性のザコだぞ!」

 突然の〝無個性〟というワードに身体がビクッと跳ねる。まさか無個性で、ヒーロー科に? できるものなのだろうか、そんなことが本当に。

 それともわたしと同じで、個性ではない別のなにか──?

 緑谷くんに対して急激に興味が湧いて、行く末を見守った。一回目の投球を終えた彼に相澤さんが近づいていく。捕縛布が宙を舞って、入試で自分が対峙したときと同様に髪が逆立っていた。
 いろいろ知った今なら分かる、あれが〝抹消〟するときの姿なのだと。

 ちなみにあの日、病院からの帰宅途中で彼のことをネットで調べてみた。が、情報はほとんど出てこなかった。ヒーローなのにどうやらメディア露出を控えているらしい。あの個性なら敵に顔を知られていない方が有利だろうから、その点は大いに納得だが、なによりもまず本人がそういう類を嫌っていそうな気がする。

 横道に逸れた考えが、緑谷くんの二回目の投球で現実に戻された。凄まじい力で投げ出されたボールは、はるか遠くへと飛んでいく。

 あれが、緑谷くんの〝個性〟──。

 ボールはすぐに見えなくなった。それと引き換えに個性を使用した彼の指は痛々しく腫れ上がっている。
 しかし、なるほど。
 一回目の投球時に個性を抹消されていたということは、つまりあれは〝本物の個性〟なんだろう。やはり無個性で別の能力をもつ者など、そう易々とは見つからないか。

 投球を終えた緑谷くんを観察していると「デク、てめえ!」と不良少年、もとい爆豪くんが駆け出していく。一体、どうしたんだろう。口振りから察するに、二人は入学前からの知り合いのようだが、絶対に良好な関係ではない気がする。

 荒ぶる爆豪くんは瞬時に相澤さんの捕縛布に捕まってしまった。あの布が身体に巻き付いた時の感覚を思い出し、こちらもぶるりと身震いする。

「んぐぇ! ……んだ、この布、固ェ!」
「炭素繊維に特殊合金の鋼線を編み込んだ『捕縛武器』だ。ったく、何度も何度も〝個性〟使わすなよ……俺はドライアイなんだ!」

 ああ、どうぞお大事に──。

 その後、自分の番が回ってきたのでとりあえずカラスを使って遠くに運んでおいた。

 

 ソフトボール投げの後も、自分なりにそこそこの成績を重ねていく。特に持久走なんかはぶっち切りでゴールした。スピードに乗ればどんどん加速できるから長距離飛行はお手のものなのだ。えっへん。

 そうしてすべての種目を終え、わたしたちは一カ所に集められた。結果が映し出されると、講評もなくあっさりしたものだった。

 わたしの結果は、三位か。うんうん、悪くないと思う。ちなみに最下位は緑谷くんで、その姿を探すと顔を伏せて小さく震える肩が目についた。〝除籍〟の恐怖がさらりと背中を伝う。

「ちなみに除籍はウソな。君らの最大限を引き出す合理的虚偽」

 相澤さんの発言に、クラスのピリついていた空気ががなだめられていく。とりあえず緑谷くんが除籍にならなくてよかったが。しかし。
 仕事人は、うそつき。メモ。

 テスト中、緑谷くんが指を押さえて辛そうにしていたので何度かお茶子ちゃんと声を掛けたが、わたしたちに心配をかけたくないのか「大丈夫だよ」の一点張りだった。彼の指は今も見事に変色していて、あらぬ方向へと曲がっている。絶対に大丈夫じゃないだろう。難儀な個性だなあ。

 まわりで胸を撫で下ろす生徒たちへの「あんなの冗談に決まってますわ」という八百万さんの強気な言葉が耳に届いた。はて、実際のところはどうだろうか、と残る疑念には見て見ぬ振りをしておいた。


 放課後。

 今日は初日ということもあり体力テストだけだったようで、着替えて教室に戻るとホームルームを経て解散となった。帰り支度を始めるクラスメイトたちを一番後ろの席から見渡す。

 授業は終わったが、今日の自分のミッションはまだ達成とは言い難い。なぜなら、まだ話せていない女の子があと三人もいるからだ。
 これはあくまで幼少期に培った経験則にはなるが、女の子という生き物は初日でコミュニティを形成しそこで成果が挙げられなかった者には風当たりが厳しい、という傾向にある。

 机の位置でいうと真反対にいる蛙吹さんが教室を出て行く姿が見えた。遅かったようだ。明日こそ声を掛けてみよう。

 そして、残るは二人。内、自分の前の席に座っている八百万さんは先ほどの体力テストで一位の実力者。個性のことを話題にすれば、人見知りのわたしでもなんとか話しかけられそうな気がする。

 帰り支度をしている背中に「あの」と声を掛けた、そのときだ。

「なぁ、アンタすごかったな! 体力テスト!」
「っ!」

 思わぬ方向から、突如、黄色い頭が飛び込んできた。驚いてのけぞる。目をぱちくりさせて、吐き出そうとした言葉を全部飲み込んだ。
 彼はこちらの様子を気にも留めず続ける。

「俺、上鳴電気、よろしくな!」

 笑っている黄色い頭から目が離せない。手汗がにじむ。近い。この人、距離が近い。

「俺も思ったー! やっぱ飛べるってポテンシャル高ェよな~」

 続いて彼の後ろに立つ男の子が「俺は瀬呂、よろしく」と肘を上げた。あ、この人、テープの人だ。

 ふう、と息を整えて「……よろしく、苗字名前です」と答えると、黄色い頭──上鳴くんがさらにぐっと顔を近づけてきた。
 ち、近いってば。どうやら彼は人との距離感がバグっているらしい。

「おう! てかさ、苗字ってクソ可愛くね? いや~~教室入ってきたときマジ天使かと思ったもん、俺!」
「いやいや、お前ェ直球すぎだろ! それにしても翼でかいよなあ。その席狭くない?」
「あ、うん」
「つーかさ、苗字ってなに好きなん? 今度ふたりで飯行かね?」

 飯、というワードにふと兄との約束事が頭を掠める。
 引っ越し前にひとり暮らしを始めるわたしへ、兄から(半ば強制的に)誓わされた約束事──その名も〝ひとり暮らしの三箇条〟だ。

『ひとーつ、毎日かならず連絡いれること。俺、寂しがりやだからさ。ふたーつ、家に男を上げないこと。これ絶対、ガチで。みーっつ、男と二人でご飯やデートに行かないこと! こっちも絶対』

 過保護、極まれり。

 当時は冗談半分に了承したが、入学早々まさか本当にそのような状況がやってこようとは。
 うーん、早速破るのもどうなんだろう。兄には(わたしが隠したいことでも)なぜかいつも速攻でバレてしまうから、黙って行くのも怖い。そして兄を怒らせてまで行きたいご飯などは、正直無いと思っている。

 ぐぬぬ、と断る理由を探していると、上鳴くんとわたしの間に女の子が割って入った。耳のプラグが見える。まだあまり接点のない耳郎さんだ。

「やめなよ、困ってんじゃん」
「……、」

 たしかに困ってはいる。けれど嫌ってわけじゃないんだよ、というわたしの言葉が口をついて出る前に、さらに背中が増えた。

「そうですわ、全くもって低俗ですこと」

 なんとこちらから声を掛けようとしていた八百万さんも参戦して、女の子ふたり分の壁が立ちはだかった。頼もしい大きな壁に上鳴くんが慄いて後ずさると、耳郎さんがこちらに向き直る。

「あんたも嫌なら嫌って言わないと」
「う、うん」

 どうやらわたしの返答が決定打になってしまったようで、ふたりの後ろで上鳴くんがガックリと項垂れて帰っていった。少しばかり申し訳なさが募る。その背中へと謝罪の視線を送っておいた。瀬呂くんは口先では揶揄いながらも、落ち込む彼の肩に腕を回して励ましている。

 なんか、逆にごめんなさい。でも女の子と話すきっかけを作ってくれてありがとう。そっと心の中で手を合わせておいた。
 二人が去るのを待って、彼女たちにお礼を告げる。

「ありがとう。耳郎さん、八百万さん」
「初対面の女性にあのような誘い方は感心しませんわ」
「そうそう、アレはないわ。でもヤオモモが怒るのは意外だったかも」
「そんなことはございません! 女性に優しくない方は見逃せませんの、わたくし」

 はて、「ヤオモモ……?」と首を傾げると「ああ、八百万百だから、ヤオモモね」と耳郎さんが答えた。
 ああ! なるほど、ヤオモモか。ひとり納得していると、耳郎さんがわたしの顔を覗き込んでくる。

「てかさ、堅苦しいの嫌いなんだ。ウチのこと〝響香〟でいいよ」
「え、ほんと? じゃあ、……響香、って呼び捨てにしても、いい?」
「うん。じゃあこっちも、〝名前〟。よろしくね」
「うん!」
「わたくしも、お好きに呼んでいただいて構いませんわ」

 なんとなく八百万さんの呼び捨ては気が引けた。ヤオモモはもっと気が引けた。

「じゃあ、百ちゃん……?」
「ええ。名前さん、これからよろしくお願いします」
「うん! ふたりとも、よろしくね」

 響香に、百ちゃん──やった! またお友達ができた!

 しかも初めての呼び捨て。すごく友達っぽい。

 つい気持ちが昂って「響香、百ちゃん、響香、百ちゃん」と自分の口に馴染ませていると、響香がぶはっと吹き出して「はいはい」と頬を染めながらそっぽを向いた。しつこかっただろうか。隣では百ちゃんがやさしい顔でほほえんでいる。

 わたしは初めての呼び捨てに胸の高鳴りを抑えられず(しかも照れる響香が可愛くて)しばらくそのやり取りを楽しんでいた。

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