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五十、心操くんとお買い物
「えー! 心操くんも七月が誕生日だったの? 言ってよー」
「いや、なんでだよ」
「なんでって、クッキー焼いてきたのに」
「クッキー?」
七夕の日はプレゼントマイクの誕生日だったようで、苗字は手作りのクッキーを焼いてプレゼントしたらしい。
そう言われれば、クラスの女子たちが紙袋を携えてきゃーきゃーと騒いでたな。あれはそういうことだったのか。
「クッキーなら一人分も二人分も変わらないからさ」
「なんか、ついでみたいな言い方だな。まあ、気持ちだけ受け取っとくよ」
「いやいや、気持ちだけなんてダメだよ。あ、そうだ。今度お買い物付き合ってくれない?」
「は? ……いや、祝われるはずの俺がなんでソッチの予定に付き合うんだよ」
「え、ダメなの?」
できれば次の週末がいいなぁ、とコッチの都合も無視して話を進める。苗字は常々、こういう所がある。
鍛錬の疲労で萎びていた黒い翼がバサバサと音を立てはじめて、はあ、とため息が出た。この様子じゃ俺の言葉なんかろくに聞いてないんだろ。まあ、休日は自主練以外、特に予定もないけど。
──バサバサ、バサバサ、バサバサ
彼女は気づいているんだろうか。彼女の背中の翼が〝彼女〟以上に正直であることを。額に手を当てて「まあ、いいけど……」と折れると、苗字の顔にパッとあかりが灯った。
「やった! 行きたいお店があったんだけど一人じゃ行きにくくてさっ。あ、ケーキのお店なんだけどね──」
嬉々として語り出す姿を横目に、正直そこまで嫌じゃ無い自分がいちばん嘆かわしいなと思う。
「ほら、これ見て!」
苗字がスマホの画面を突き出す。行きたい店があるのは本当のようで、映し出されているのはカフェスペースのあるケーキ屋のホームページだった。
サイトのトップには〝あの人気ヒーローとコラボ!〟という黄色い広告が目につく。ケーキはちょっとPFCバランス的に良くない気がするが、まあ、たまにならいいかもしれない。
「……それ、大丈夫か」
突然の背後からの声に、身体が跳ねた。木陰でデバイスを片手に仕事をしていた先生が、俺らの間に分け入ってすとんと座る。
普段、休憩中の先生は俺たちの会話にはあまり入ってこない。仕事してるか、仮眠をとってるかのどちらかだ。
それなのに今日はどうしたんだろう。もしかして、よほどケーキがダメなのか。
案の定、苗字が首を傾げた。
「え、なにがですか?」
「……お前じゃなくて、心操がだ」
「へ、俺ですか? ……ああ、食事バランス的にですよね」
「いや、そうじゃない」
「え?」
それなら尚更、どういう意味だろう。こういう話題には「そんな時間あんなら自主練しろ」とでも言い出しそうな先生が割ってはいるほどの危惧が何かあるのだろうか。
「ひっどーい。先生、わたしが心操くんを荷物持ちにすると思ってるんでしょ。そんなこと……しませんから!」
一拍あったな、今。
「いや……まあ、なんでもない、ゲホッ」
先生はそのまま口を閉ざした。やたらと意味深な感じだ。
にしても最近の先生は風邪気味のようで、よく咳をしている。夏風邪かな。夏はこれからだけど。
まあ、なにはともあれ、なるべく先生の手を煩わせないように自主練に励もうと、俺はより一層気を引き締めた。
「心操くーん、こっちこっち!」
飛び跳ねながらこちらに向かって手を振る苗字は、当たり前だが制服を着ていなかった。
正直なところ、昨晩は少し悩んだ──いわゆる、女子との一対一の外出はデートというやつに該当するんじゃないかと思って。
別に苗字を女の子として意識してるわけじゃない。けれど、もし誰かに見られた時に俺たちの意思どうこうじゃなく噂は勝手に広まってしまうものだから。学校帰りなら言い訳も立つが、休日にわざわざ二人でとなると話は変わってくる。
ただ、メッセージのやり取りの中ですら、苗字はそんなこと気にもしない様子だったから、こっちが変に意識するのもまた違う気がした。
そうなると、俺が悩むのは何を着ていくかってことで──制服? は、休日なのに変だよな。ショッピングモールに行くのにジャージも違う気がする。まあ無難な私服で行けばいいか、となって、結局のところ俺の格好は黒めのシャツに黒スキニーという無難な様相に落ち着いた。(決して浮かれてはいない)
「結構人多いねー!」
小走りで近寄ってきた苗字は、リネン素材の白いシャツに白いスキニーという格好だった。見たところバッグもなく、荷物は肩から下げたスマホだけのようだ。
俺の色がまるで反転したかのようなコーディネートに、少しだけ違和感を覚える。ちょっとだけカップルコーデに見えなくもない。
いや、見えてたまるか、揃えてない。
「……真っ白だな、苗字」
「心操くんは真っ黒だね」
ふふふ、と笑う顔から視線を逸らす。首の後ろが、妙にこそばゆい。
「で、どこ行くんだよ。こんなデカいとこに呼び出して」
ここ、木椰区の巨大なショッピングモールには、おそらく百以上の店舗が軒を連ねている。こういう人混みには、俺は用がある時にしか来ない。無駄に疲れるからだ。
「この前見せたコラボケーキっ、食べにいってもいい?」
「ああ、言ってたやつか」
「ダメかな?」
「……別に、そうは言ってない」
「そっか! お店はあっちだよ」
俺の話なんか聞いているようで聞いちゃいない苗字が小走りで駆け出した。
こっちがダメでも行く気満々だったろ。ったく、急に子どもみたいだな。なんてはしゃぐ姿を拝めながら、俺はゆっくりと彼女の後を追った。
「おいしかったね~」
「ごめん、ご馳走になって」
「ううん。わたしが食べたかったから、むしろ付き合わせた感じだし気にしないで」
「それでも──」
「二種類どっちも食べたかったの! よかった~、二人に写真おくろーっと」
俺がご馳走になったのは三日月とウサ耳がデコレーションされたショートケーキだった。察するにラビットヒーロー、ミルコとのコラボなんだろう。たしかこの前まで苗字が職場体験に行ってたヒーローだ。
本人に送るつもりなのか、彼女は俺の前に置かれたケーキをあーでもないこーでもないと角度を変えて何枚も写真を撮りまくった挙げ句、「じゃあ、お誕生日おめでとう!」と付け合わせのおかずみたいな言葉を吐いて俺にケーキを戻した。その時のなんとも言えない気持ちがまた胸に渦巻いて、心がざわりとする。
この様子ならご馳走になったことはあまり気負いしなくていいかもしれない。……けど、まあ。
「アンタは誕生日いつなの」
「あ、お返しとか要らないよ」
「……でも貰ったまんまだと気持ち悪いだろ」
「いいのいいの。あと、そこは〝ありがとう〟の方が素直にうれしいっ」
ああ、そういえば、一番に言うべき言葉をまだ言ってなかった。
「……ありがとう」
「うんっ、どういたしまして!」
連動するように黒い翼がばさりと動いた。この翼は彼女の喜怒哀楽を表すと知ってから、よく目がいくようになった。
ったく、本当にわかりやすいヤツ──。
「あ、心操くん、笑った~」
「笑ってない」
その後、苗字のすすめで俺のランニングシューズを新調したり、トレーニングウェアのおすすめを聞いたり。逆に苗字の服の買い物に付き合ってたら、彼氏扱いされてちょっと焦ったり。
こういう休日の過ごし方は新鮮で、というか初めてで。女の子とふたりで出かけることも、買い物に付き合ったり付き合わせたりすることも、なにかを一緒に選ぶなんて行為も。
そして、それが自分が想像してたよりは悪いもんじゃなくて。絶対に面倒だなんて考えていた自分を少しだけ反省の煙にくゆらせた。
そうやって新しい休日の過ごし方を身をもって体感しながら、ああ、人混みも思ったほど悪くない、なんて感じはじめた頃だ。
俺は彼女から驚くべき話を聞いた。