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貸し一、でしたよね
茹だるような夏がやってきたというのに、ここ雄英高校の職員室は、より一層その冷たさを極めていた。
「駄目だって言ってんだろうが」
「そこをなんとかお願いします!」
「駄目なもんは駄目だ」
相澤先生のギロリとした睨みに負けないように、わたしはグッと唇を噛み締める。クラスメイトたちから託されたネゴシエーターとしての役目を果たすためには、こんな睨み一つで逃げ出すわけにはいかない。
ごくり、と唾を呑み込んだ。
「まァまァイレイザー、一日くらいいーじゃねーの」
「またいつ敵連合が襲ってくるとも限らん。泳ぐなら学校のプールで十分だろうが」
「学校のプールじゃ青春にならないんです!」
あ、先に言っておくけど、これは三奈ちゃんの受け売りだ。
「青春なんざしてる暇あんなら鍛錬に励め」
「その鍛錬に励むためにも、たまの休息が必要なんじゃねーの?」
優しいマイク先生が隣のデスクから何度も助け舟を出してくれてはいるが、相澤先生相手が相手ではあまり効果はないようだ。
「いいからお前は黙ってろ」
「ハイハーイ」
両手を上げたマイク先生が降参ポーズをとって、こちらに申し訳なさそうな視線を向けた。
うーん、やっぱりダメかぁ──。
実は相澤先生に今回の件をお願いする前に、マイク先生とは事前に打ち合わせをしていたのだけれど、〝生徒の安全が最優先〟な以上はどうしても最後に担任である相澤先生の許可が必要になる。
仕方ない。これまでもかなり粘ったが、やはり奥の手を使うしかないらしい。
わたしは意を決して、準備していた言葉を投げた。
「あーあ。わたし先生が入院したとき、わざわざお見舞いまで行ったのになあ……」
ちょっぴり棒読み感が否めない演技に、またギロリと睨みが鋭くなる。
背筋がぶるりとするが、そのまま続けた。
「あの時はすっごく心配したのに、先生は寝たフリして私を無視しましたよね」
「……」
「さすがにアレはショックでした」
「……」
「たしか苗字は手土産まで持ってきてたよなー?」
「そうですよ! あのゼリー、高校生のお小遣いにしては結構高い買い物だったんですよー? デパートの良いやつだったし」
しょんぼりと視線を俯かせて、下からチラリ。
お兄ちゃんにお願いする時はこれでイチコロだから、きっと他の大人にも多少の効果はあるはず。というか、あってほしい。
ちなみに相澤先生は、眉を寄せて険しい顔をしている。
「……駄目だ」
逡巡の末の結論は、結局ノーだった。
「えええええ。じゃあ、先生が複数人いたら許可してもらえますか?」
「俺ァは行くぜ!」
「ありがとうございます! さすがマイク先生!」
「おい待て。勝手に話を進めるな」
「ちなみにミッドナイト先生にはこれからご相談する予定なんですけど──」
そこまで言うと、相澤先生の眉毛がピクッと動いた。
「ミッドナイト先生ならきっと『青いわー!』って言いながらOKしてくれるはずだってみんなも言ってました!」
ついでに言うと峰田くんが不気味なヨダレを垂らしていたけれど、それは言わないでおこう。
面倒くさそうな予感を察知したのか、相澤先生が眉間をもんでいる。よし、あと一息だ。
「どうしても安全性がっていうなら、わたしのお兄ちゃんにも相談して応援に来てもらうことも──」
「はあ、もういい。わかった。……一日だけだぞ。あとこれは遊びじゃない。遠泳鍛錬だ。他の奴らにも、そう伝えておけ」
「了解しました! ありがとうございます!」
やったあ──!
マイク先生も両手で親指を立てて喜んでいる。こちらもニヤニヤが止まらない。作戦成功ですね、マイク先生!
そうしてわたしは無事にネゴシエーターとしての役目を全うし、意気揚々と職員室を後にしたのだった。
「「「海だああ!」」」
目の前に広がる白い砂浜。焼けるような太陽の光が、燦々と水面へと降り注ぐ。
あちこちにパラソルが突き刺さって、家族連れやカップルなどの海水浴客であたりは賑わっていた。
「すげえよ苗字! マジであの相澤先生から許可とっちまうなんてよー!」
「だな! さすがに今回は無理かと思ってたぜ」
上鳴くんと瀬呂くんが目をキラキラさせながらやってきた。
「まあね、借りを返してもらっただけだよ」
「「……借り?」」
「うん。目上の人を操るには普段から〝貸し〟をいっぱい作っとくといいって。これ、わたしのお兄ちゃんの受け売りなんだ~」
えっへん。無事に交渉役を全うし鼻高々にそう答えると、隣に立っていた百ちゃんが首をかしげた。
「名前さん、お兄さまがいらっしゃっるのですね」
「あー、うん! 百ちゃんにもいつか紹介できたらいいんだけど」
お兄ちゃんを友達に紹介する場面を想像すると、ちょっぴりニヤニヤしてしまう。きっとみんなビックリするに違いない。
「切島ァ、どうしたの? 顔が青いよ?」
「ンや!! な、な、なんでもねえよ!!」
少し遠くから、三奈ちゃんと切島くんのやりとりが聞こえた。
「おい、遊びじゃねんだぞお前ら」
近づいてきた相澤先生の一言で、みんながピシャリと整列する。今回は一応遊び半分訓練半分ってことで、先に遠泳訓練をやる流れになっている。
結局のところ、引率は相澤先生とマイク先生の二人になったらしい。
相澤先生の中で〝ミッドナイトに話すといろいろと面倒だ〟となったらしく、今回の遠出の件は校長先生にのみ話がいっているそうだ。
ちなみに峰田くんはとてもとてもガッカリしていた。
「今日は遠泳訓練だ。メニューが終わるまでは自由時間もねえからな。お前ら覚悟しとけよ」
「「「はい!」」」
「まァまァ、いいじゃねーの。息抜きも兼ねて、だろ?」
パラソルとクーラーボックスも持ったマイク先生が、めちゃくちゃバカンススタイルで相澤先生をなだめている。
髪をおろした姿が、やっぱりかっこいい!
お昼前から始まった遠泳訓練は、爆豪くんと緑谷くんと轟くんのレースで一悶着あったり、梅雨ちゃんが圧倒的すぎてレースにならなかったり──と、まぁいろいろあったけど、遠泳訓練自体はマイク先生が程よいところで切り上げてくれた。
「いっくよー!」
自由時間に女子はビーチバレーをすることに決まって、さっきからみんなでワイワイしている。なぜか訓練後に女の子はみんな違う水着に着替えて(というか、半強制的に着替えさせられて)見た目はそこら辺の海水浴客と変わらない様相になった。
「こっちの方が夏って感じするから!」
発案者の透ちゃん曰く、思い出をつくるには形から入るのが大切らしい。ふむ。
わたしは楽しければスク水でも何でもいいのだけど、それでも百ちゃんが作ってくれたこのお洋服みたいなフリルの水着は、露出が少ない上にとっても可愛くてお気に入り。
「ひゅ~! 女子着替えてんじゃん! かっわい~!」
みんなで楽しんでいると、上鳴くんが音もなく現れた。
「出たよ、チャラ男ズマ」
「なっ! 耳郎、それはさすがに酷くね!? 俺まだ何もしてなくね!?」
「いや、何かしてからじゃ遅いから。犯罪だから」
「そんな人を犯罪者予備軍みたいに!」
響香がすかさず突っかかっている。なんだか最近は、このふたりが熟年夫婦に見えるからふしぎだ。
「いーじゃん、せっかくの海なんだし。俺らもビーチバレー混ぜてよ」
そう言って現れる瀬呂くんも、瀬呂くんだ。
気のせいか鼻の下がちょっぴり伸びている気がする。
「そういう瀬呂くんも、よからぬこと考えてそう」
笑いながら下から覗き込むと、彼が目を丸くした。
「なーに言っちゃってんの。そっちこそガッツリ見てたくせにさ」
え──?
「わたしが? 誰を?」
「あれよ、あーれ」
瀬呂くんが指さした先は、少し離れたところに刺さったパラソルだった。その下には意気揚々と身体にオイルを塗るマイク先生がいた。
「え、わたしそんなに見てたかな?」
「見てたよ。事あるごとに手振ってんじゃん」
「そりゃあ、目があったら手は振るよ。だってみんなで海に来れたのは半分はマイク先生のおかげだもん」
そう言ってマイク先生の方に視線を向けると、こちらに気づいたのか、オイルのボトルを片手にニッコリと手を振ってくれた。思わず、笑顔で振り返す。
ひとつに結いたブロンドヘアが前に流されていて、なんだかモデルみたい。それに、あらわになった上半身の筋肉が意外にも──。
「ははっ! 顔赤くしてやんの!」
「えっ、違うもん! わたしはただ髪をおろしてるなって思っただけだけで……」
「ほーら、やっぱ見てんじゃん」
「か、からかわないでよ」
意地悪く攻めてくる瀬呂くんに、じんわりと顔の熱が高まっていく。そんなにからかわれるほど見てたかな。いや、見てないし!
ただ、やっぱりマイク先生もヒーローなんだなって思っただけで。
お兄ちゃんもいい筋肉だけど、なんだか同じようなギャップがあるなって、本当にそれだけで──。
「なになにー? 何話してんのー?」
わたしが声を荒げたせいか、三奈ちゃんが楽しそうに駆け寄ってきた。
「別に、何も!」
「苗字がマイク先生の裸体をガン見してたって話」
「ちょっと! 言い方に悪意あるよ、瀬呂くん!」
「ああ、わかるー! 意外とガタイいいよね、マイク先生! ギャップ萌えってやつ!」
さらりと話に乗る三奈ちゃんに、思いっきり否定した自分がなんだか恥ずかしくなった。
「てか峰田はー? 絶対になんか仕掛けてくると思ってたんだけど」
「いやいや、芦戸。お前、あの憐れな姿が見えてねーの……?」
「ええ? ……あ!」
わたしも今までまったく気づかなかったけど、パラソルの支柱にぶどう頭がくっついているのが見える。
「わあ……」
捕縛布にぐるぐる巻きにされた峰田くんが、口先から足先までをすべて封じられてパラソルの支柱に張り付けにされていた。もちろん、海とは反対方向に。
彼のやらかすスピードは天下一かもしれない、と素直に感心したのだった。