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六十五、好きなタイプ

 オールマイトが事実上の引退を余儀なくされた先の事件は〝神野の悪夢〟と称され、一週間が経った今でも報道番組では繰り返し特集が組まれている。
 華々しい功績と共に称えられる英雄に対して、依然謎に満ちた「巨悪」の存在。それらは波紋となって、ヴィランに対する民衆の不安を駆り立てているようにも見えた。
 生徒たちが入寮して五日が経つ。
 状況から見て心的外傷を負ったと懸念されていた爆豪と苗字は、入寮後も無事に新たな生活へと馴染んでいた。特別に目をかけるとまでは言わないが、注視するのは担任として当然のことで、されどその心配は杞憂に終わりそうだなどと甘くみていた自分を俺は恥じることになる。
 
「おに、ちゃんっ……っ……なん、でっ」
 
 突然来訪した兄に飛びついて咽び泣く苗字を目にしたとき、後悔の念がどろりと押し寄せた──俺は一体、あいつの何を見ていたのか。
 何食わぬ顔で日常を過ごし、心に落とした影を気取らせず、それはきっと彼女が幼少期から培ってきた防衛本能なのだろう。
 だとしたら、許容すべきではないと思った。
 子どもはちゃんと子どもとして生きなければ、いつか壊れてしまう。あいつはそういう危うさを秘めている。
 
 同時に、驚きもあった。
 かりそめだと思っていた兄妹の絆の深さ。彼女にとっての兄という存在の偉大さ。そのどちらもが俺の想定を外れており、二人が抱き合う姿を目にしたときには〝依存〟の二文字が浮かんだほどだ。
 自身ですら気づかなかった深い心傷。細く張り詰めていた糸がぷつりと切れるように決壊した苗字を、俺はただ見送ることしかできなかった。
 早熟しているように見えたとて、まだ齢十五の子どもなのだ。そんな当たり前を思い知る羽目になるとは──。
 家族にしか癒せない傷なのだとしたら、そうしてもらうべきだと思う。ただ、それでも。何一つ気づいてやれなかった教師としての不甲斐なさに拳が固くなった。
 
「も、戻りました」
 
 寮の扉の前で夜風にあたっていた俺の前にふわりと舞い降りたのは、苗字ひとりだった。訊けば兄貴はそのまま帰ってしまったらしい。
 
「……もう平気か」
「はい、ご心配おかけしました」
 
 いつも通りの彼女に見える。しかし、いつもとは違って目元が赤く腫れている。
 少し前にも彼女の泣き顔を見た。
 あのときなんと声をかけてやればよかったのか。俺の選んだ言葉は正しかったのか。どうしてやればこいつはこんなにも溢れずに済んだのだろう。
 葛藤の中で無意識に手が伸びる。
 目元を隠すように下を向いた小さな頭に、手が触れていた。
 
「……あまり背負い込みすぎるな」
 
 乗せた手が、柔らかな髪をくしゃりと掴む。
 
「心配してるのは、お前の兄貴だけじゃないよ」
 
 そう、ずっと心配していたんだ。
 
「あいつらだって」
 
 お前たちが無事でいることを、誰もが祈った。
 
「それに、俺も」
「……先生も?」
 
 驚いた顔が俺を見上げた。はっとする。
 いや、待て。今の言い方だと、教師としての立場以上に何かを含んでいるように聞こえやしないか。
 途端に違和感が増して、思わず手を引っこめた。なにをやっているんだ、俺は。
 
「いや、つまりだな──」
 
 訂正しようとした矢先、苗字が「わたしは」と声を被せた。
 
「弱くて、何にもできなかった自分が悲しくて」
 
 宙ぶらりんになった俺の片手を苗字の両手が追いかけるように掴む。顔は見えないが、わざと視線をそらしていることだけはわかった。
 
「それなのに、怖くて」
 
 夜風に攫われそうなほどのか細い声が弱音を吐く。
 
「……怖くて、たまらなくて」
 
 繋がっている手から、温かさが伝わってきた。
 
「でも今までのわたしなら、きっと言えなかった」
 
 彼女の血潮が、生きていると告げている。
 
「誰にも……きっと、お兄ちゃんにも」
 
 ああ、俺は──。
 
「でもね、さっきちゃんと言えました」
 
 担任としてだけじゃない。
 ただこの少女を、ひとりの大人として──いや、もっと大切な〝なにか〟として、心配していたんだ。ずっと。
 そんなことに、たった今、気づかされた。
 
「来てくれなくて悲しかった、って」
 
 ゆるく繋がれていた手が、するりと離れていく。
 
「先生があのとき言ってくれたから、悲しいを言葉にしてもいいんだって」
 
 途端に、ふしぎな侘しさに引き入れられた。
 
「……そうか」
 
 心が、強く掻き立てられる。
 どうか彼女にとって、救いがあればと。
 それが俺からの言葉じゃなくとも構わない。
 ただ、俺からの言葉であればうれしい、とも。
 
 苗字がゆっくりと顔を上げる。
 その頬はやわらかな色に染まっていた。
 
「先生、ありがとう」
 
 朗らかに笑う少女が、心穏やかに生きていけるのなら、俺は──。


 名前のお兄さんであるホークスがやってきたあの日以降、わたしたちA組はどことなく無意識下で結託し、名前のそばを囲むようになっている。
 もちろん今までだって名前の近くには誰かしらがいたけれど、その輪はより強固なものとなってA組の中にたしかな変化をもたらしていた。
 
 だってあんな泣き顔見せられたら、放っておけないでしょ──。
 
 今だって共スペにたむろすると見せかけて、名前のまわりを大勢が囲んでいる。
 
「なんかよー、前から思ってたけどさー」
 
 名前の右隣に座る上鳴が、唐突に話を切り出した。
 
「あ、いやー、まぁ……」
 
 続きを言い淀むそいつに、わたしは名前の反対側から顔を出して「なに、もったいぶんないで早く言いなよ」と、耳のプラグを触りながら返す。
 
「いやさー、それ、すんげェかわいいよな」
「え?」
 
 上鳴が名前の服を指さしていた。
 当の本人はあっけらかんとしている。
 
「あーたしかに。意外とキュートな格好するなとは思ってた」
「だろー!? 俺もちょっと意外だった!」
「え、変かな……」
 
 名前はスクエアネックの白いストラップワンピースを着ていた。タオル地が心地よさそうなそれは、おそらく部屋着にと持ってきたやつだろう。
 
「ちげーって! すげぇ似合ってるって話!」
「珍しく上鳴に同意」
「いやいや珍しくってなによ。耳郎ひどくね?」
 
 名前はぼんやりとした顔で、自分のワンピースを眺めている。
 
「かわいい……なら、よかったのかな」
「そうそう、よかったのよ!」
 
 上鳴はなぜか得意げに応えている。
 
「服に翼の穴を開けるのが面倒だから、ついこういう服を選んじゃうんだけど、可愛い感じの系統が多くって」
「あーなるほどね。たしかに名前にしては甘いなと思った」
「響香みたいにもっとかっこいい服とか着たいんだけど」
「いや、名前はそのままでいいんじゃん?」
「いい! すげーいい!」
 
 合いの手をいれる上鳴は相も変わらず顔までうるさい。
 
「そういう上鳴くんもかっこいいと思うよ」
「へ?」
 
 たぶん名前にとってはお世辞を返したつもりだったんだろう。
 けれど言われた本人はじわりと顔を赤くした。
 
「え、わ……ま、マジ? なんか照れるわ〜」
 
 ダメだ。完全に勘違いしてるわ。
 
「いやー、なんつーか、うん。……ありがとな」
 
 ああ、こいつ。チャラいくせして、実は褒められると弱いタイプなのか。ウケる。
 
「つーかよぉ、前から訊きたかったんだけどさぁ……苗字のタイプってどんなンなわけ?」
 
 褒められて完全に調子に乗った(というより激しく勘違いした)上鳴が名前に問いかけた。ソファの奥に見えるテーブルでは、数名の男子が耳をピクリとさせている。
 
「え、タイプ? 見ての通りカラスだけど」
 
 名前の斜め上を行く返しに、あたりが静まり返った。
 
「ブフゥ!」
「ちょ、麗日!」
「ごめんっ、我慢できんかった!」
「名前ちゃんのそういうところ好きよ。ケロケロ」
「いやいや、ホケモンじゃないんだからさ」
 
 名前は「え、どういうこと?」と笑いの意味をまったく理解できていない様子だ。
 
「違ぇよ!! どういう男が好きかとか、そういうタイプのことだって!」
「あ、あぁ……」
 
 上鳴がムキになって返すと、名前は「なんで突然そんなこと訊くの?」とでも言いたげな顔をしていて、ついに限界が来た。
 
「名前っ、ちょ、もうっ、最高っ! ハハハっ!」
 
 上鳴がじとりと奥から睨んできて、笑いに拍車がかかる。
 
「以前にも似たような会話がございましたわね」
「あー、そういやあったね」
 
 途端に共有スペース全体が静まり返った。
 男どもから、ごくりとつばを飲む音が聞こえる。
 
「名前、女子会で言ってたっけ。たしか──」
 
 あれは合宿訓練の夜に開かれたA組とB組合同の女子会でのこと。葉隠の発案で恋愛話に花が咲いた矢先、誰かが名前に尋ねたんだ──爆豪とはどうなのかって。名前はもちろん否定したけれど、そこからは男のタイプがどうとかの話になって。
 
『じゃあ、名前ちゃんはどんな男の子がタイプなの?』
『タイプとか……そんなのよくわかんない』
『イケメンがいいとか、優しい人がいいとか〜』
『うーん、あんまりピンとこない……』
 
 そして、たしか、こう答えた。
 
「自分より強いやつがいい、だっけ」
「あ、うん。そうだね」
 
「「「自分より強いやつ……」」」
 
 男子たちのささやき声が折り重なった。
 吹き出しそうになるのを、必死でこらえる。話に参加してなかった奴らまでが同じ言葉を呟いていて笑い転げそうになった。
 あんたら、下心見えすぎっつーの。
 
 しかも名前の隣に座る上鳴が絶望的な顔をしていて、限界がきた。
 
「ブフッ! 上鳴、顔ヤッバ!」
「ケロケロ、響香ちゃん。そこらへんにしてあげて」
 
 梅雨ちゃんのやさしさが逆に傷に沁みたのか、上鳴の顔はそこから二度と上がらなくなった。面白すぎでしょ!
 
「自分よりっていうか──」
「「「!?」」」
 
 名前の言葉に、男子どもがぐりんと顔を振り向かせる。
 その目には希望の光が宿っていた。
 
「お兄ちゃんみたいに強い人がいいなって」
「いや、それもう無理ゲーやん」
「アハハッ!」
 
 ああ、最高。やっぱ名前、だいすき。

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